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四章 追想




 左右に立ち並ぶ人の壁の間を進むと、やがて静けさが訪れる。静かになってからさほど時を置かずして、馬が進む事を止め、車輪が回転する事を止めたので、とうとう大神殿に辿り着いたのだろうとカイは悟った。
 ここに辿り着いてしまえば、確実に引き返す事はできない。そう考えると、カイは無意識に長い息を吐いていた。元より心理的に引き返すと言う選択は残っていなかったが、物理的にも不可能になると思うと、運命がより重くのしかかってくる気がしたのだ。
「どうしてこのような時分に門が閉まっている?」
 普段よりも僅かに語気を強めたハリスの声に興味を引かれたカイは、窓から覗き見ようとしたが、大神殿の外観を捉える事はできてもハリスの姿を見つける事はできなかった。仕方なく諦め、大人しく待とうと正しく座り直したが、門が開く様子も、馬車が動き出す様子も無い。
 カイは再び窓から覗いて見たが、やはりハリスの姿は見つからず、しばし逡巡した後、馬車を降りてみる事にした。
 シェリアが無言で向けてくる感情の無い瞳は、勝手な行動を取るカイを引き止めていたのかもしれない。一瞬ためらったカイだが、声がかからないのを良い事に、好奇心に導かれるままにした。
「そうは申されましても、許可が降りるまで、この門を開けないよう指示されております。ハリス様の命と言えども、門を開ける事はできません」
「私や部下たちだけならば構わないが、シェリア様とカイ様をお連れしているのだぞ? 長旅でお疲れのおふたりを、こんな所でお待たせせよと?」
「それは」
 門の前に立つ若い騎士は、己の任務を果たそうと必死に反論しながら、突然視界に入り込んだカイに気付いたようだった。彼もトラベッタに到着したばかりのハリスたちのように、カイの顔を知らないはずだったが、背格好や歳の頃合い、瞳の色でカイが何者であるかを察したらしく、僅かな間の後にカイに向き直り、深々と頭を下げる。
 青年の突然の行動で、ハリスもカイが降りてきた事に気付いたようだった。慌てて振り返り、カイに礼をする。
「カイ様、お疲れのところ、お待たせしてしまい申し訳ございません。何やら神殿内で問題が起こったようで、門が閉じられているのです。すぐに開けるよう手配いたしますので」
「余計な事はしなくていい。こんな真昼間から門を締め切らないとならないような問題なら、俺の事よりも優先した方がいいんだろう」
「しかし……」
 ハリスの言を遮るように鈍い音が響きはじめると、重厚な門がゆっくりと開き、少しずつ中の様子をカイに見せつけた。
 光を浴びる事で鮮やかに光る新緑を左右に従え、真っ直ぐに伸びる白い道。道の終わりに建つ大聖堂が、白く輝きながら鮮烈な存在感を示す。
 あれが、大司教が祈りを捧げ、時に神の声を聞いていた場所。
「ジオール殿」
 美しい建物に目と意識を奪われていたカイは、門を潜って近付いてくる男の足音と、その男を呼ぶハリスの声で意識を呼び戻した。
 ジオールと呼ばれた男は、ジークやハリスと比べ、そう歳が変わらないようにカイには思えた。ジークよりも幾分ましとは言え鋭い眼光の持ち主で、気難しそうにも見える。ハリスとほとんど同じ格好をしているが、唯一剣帯を下げる場所が逆で、どうやら左利きの剣士らしい。
 門の前に居た青年に簡単に業務連絡を済ませたジオールは、自らの名を呼んだハリスに振り返ろうとしたが、その途中に立っていたカイを目に止めると、僅かに目を見開いた。
「カイ様のお出迎えに来てくださったのですね」
 ハリスの声に、ジオールは答えない。驚いたようにカイを見つめ続ける男の態度をごまかすように、ハリスはカイに振り返った。
「カイ様。こちらはジオール。今後、カイ様の護衛隊長を務める者です」
 ハリスの紹介に肯きかけたカイだったが、即座にジオールが口を挟んだ。
「いえ、カイ様の護衛隊長の任には、別の者が着きます。私ではありません」
「え……?」
 今度はハリスが驚く番だったが、ジオールはそれ以上説明を重ねようとはせず、カイに対して一礼をしてから話を進めた。
「カイ様、こちらの不手際でお待たせしてしまい申し訳ございませんでした。どうぞ、中へお入りください。まずはカイ様の護衛隊長を勤める者が、お部屋にご案内します。その後聖騎士団長よりお話がありますので、お疲れのところ申し訳ありませんが、大広間まで足をお運びください――ハリス、その時は貴公もシェリア様をお連れして共に」
「私も、ですか?」
「そうだ。重大な話がある」
 ジオールと言う男は見るからに真面目そうで、くだらない嘘や冗談を口にするようには見えなかった。重大な話、と言われて緊張を見せたハリスの態度を見る限り、見た目通りの人物なのだろう。
 ならば余計に、ジオールの言葉には引っかかるものがあった。何しろ今は、十五年以上も行方不明だった神の子カイが帰還したばかりなのだ。それと比較して同等かそれ以上の事でもない限り、重大とは言えないだろう。
 一体何が起こったのか。気になったカイは、ジオールの思考を覗けないものかと、彼の目を見つめたが、深い色の瞳は何も語ろうとしなかった。
「重大な話と言うのは、貴方が俺の護衛隊長になる予定が狂った事や、昼日中から門が閉まっていた事と何か関係があるのですか?」
 カイが問いかけると、ジオールは僅かに間を置いてから静かに肯いた。
「おっしゃる通り、どちらにも関連する事ですが、私の口から語るべき軽い問題ではございません。後ほど団長より説明がありますので、お待ちください」
「判りました」
 カイが了承すると、ジオールはハリスに向き直った。
「ハリス、途中までご案内を頼む」
「お任せください」
「では、カイ様。この場は失礼いたします」
 一礼し、踵を返してジオールは立ち去る。その背中をしばし見送った後、ハリスは「ご案内いたします」と短く言った。


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