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三章 神の娘




 カイは街の中をあてもなくさ迷い歩いていた。
 とにかく父と話をしたかった。だから父が待つ家に帰りたかったのだが、何の策も無く家に帰っても父に会えるかどうかは判らない。白鎧の集団がカイをカイだと認識した時、捉えに来る事は予想できたが、その後どのような扱いを受けるかは想像が付かないのだ。居場所が知れれば納得する程度ならば、こちらの望みを叶えて父に会わせてくれる可能性もあるが、直接は無関係の父の現状を考えるとそれは難しいだろう。下手すると、監禁されて二度と父に会えなくなるかもしれない。
 魔物出現と言う混乱があったとは言え、そこかしこに見張りを立てながらもカイがまだ捕まっていない現状から、相手方がカイの顔を知らない事は明らかだ。カイを知る街の者に引きずり出されるか、父と接触を取ろうとでもしない限り、顔を出していても捕まる事はないだろうと思うと、少し気が楽だった。ただでさえ苛立っていると言うのに、潜伏しなければならないとなれば、余計に不愉快な思いをする事になる。
 トラベッタに戻ってきた事が間違いだったのだろうか、と一瞬考えた。リタと共に王都に行くなりで時間を稼げば、彼らも諦めて帰ってくれたかもしれない。
 カイは首を振って今の考えをかき消した。軟禁状態の父を思えば、その手が使えない事は明らかだ。数日で済めばいい。意志も体も強い人であるから、ひと月程度ならば耐えてくれるだろう。だが、何ヶ月も、何年も、白鎧たちに居座られれば、父の健康や命が危うくなるかもしれない。
「隊長! どちらへ!?」
 空気を引き裂く大声が、カイの思考を遮った。静かにしろ、と怒鳴りつけてやろうと思い、声の主が白鎧であると気付いたカイは、必死に言葉を飲み込んだ。いつか顔を知られてしまうかもしれない事を考えると、彼らの印象に残る行動は取りたくなかった。
 大声を出したのは、今までカイが見た白鎧の中で一番年若そうな青年だ。青年が隊長と呼んだ人物は、先ほど門のところで見かけた男だった。名は、確かハリスであったはずだ。
 ただ者ではないのだろうと思っていたが、隊長だったのか。納得したカイだったが、すぐに諸悪の根源がその男である事を察し、更なる恨みを込めて睨みつけた。
「ジーク殿の所だ」
「ハリス隊長自らですか? 何か所要がありましたら、命じていただければ我らが」
「君たちには別件で頼みたい事があるのでな。すでにルイレに指示はしてあるが、まだ全員に連絡は行き届いていないか」
「カイ様の件で何か進展が?」
 ハリスは力強く肯いた。
 自分の名の後に様と言う敬称が着いている事実を気にしながら、カイはさりげなく視線を反らす。
「おそらく、すでに街の中に入っている」
 カイは背筋が凍りつく思いをした。
 黒門の前で同じ時間を過ごしたのはほんの僅かな時間で、その間、目を合わせる事すらしなかった。当然、自分がカイであると気付かれた覚えはない。何を根拠にカイは戻ったとの予測を立てたのか――そもそも、出現した魔物はどうしたのだろう。退治して戻ったのかもしれないが、あまりに早すぎる。
「更なる警戒態勢を敷き、追ってルイレからの連絡を待て。私はジーク殿の元に帰っていないかを確認に行く」
「了解いたしました」
 部下の方は一礼し、隊長の元を離れていった。
「――いや、待て。君には別の事を頼みたい」
 ハリスは部下を呼び戻すと、辺りに聞こえないよう声を潜めて指示を出してから再び部下を見送り、自身も涼しい顔をして歩きはじめた。カイたち親子が住む家へと向かう道を。
 そ知らぬふりをし、ハリスが通り過ぎるを待っていたカイは、何気なく目の前を通り過ぎようとしたハリスに突然腕を掴まれ、言葉にならない小さな悲鳴を上げた。
 反応できないほど素早く、それでいて力強い。振り解こうと抗うが、しっかりと掴まれた腕は動かす事もままならない。
「な、何ですか、突然」
 動揺が声に伝わり、激しく上擦った。一瞬「しまった」と思ったが、自分がカイでなかったとしても、この反応は自然なはずだ。むしろ余計に動揺するはずなのだから、今の反応で怪しまれるとは思えない。
「突然のご無礼、申し訳ありません。ですがこうでもしなければ、逃げられてしまうかと思いまして」
「逃げるとか、意味、判らないんですけど」
「お迎えに上がりました、カイ様」
 はっきりと名前を呼ばれ、カイの心臓は高く跳ねた。掴む手と掴まれた腕を媒介に、鼓動が早まる様子が伝わってしまうかもしれない。
「迎えに来たとか、カイ様とかも、意味、判らないんですけど」
 上擦った声で更に返すと、ハリスは小さく微笑んだ。
「先ほど魔物が出現したとの連絡が入った時、貴方は門の近くにおられましたね。門を早く閉めるため、本来門をくぐる前に行われるはずの手続きをせず、街に入った方々のひとりでしょう」
「それが、この街の、常識ですから。俺が悪いわけじゃないでしょう」
「貴方と商隊の一行はその小さな混乱に紛れて街に入った。街に入った後、商隊の方々は正規の手続きを踏んだようですが、貴方はそれすら逃れている。そして、魔物が出現したと言うのは誤報だった――形跡を残さずに貴方を街に入れるため、わざと誤報を流したのでは?」
 カイは喉を鳴らした。
 そして油断ならない男だ、と思った。突然の魔物の出現となれば、トラベッタなどの魔物が常時現れるような場所で育った者でもない限り、そうとう慌てるはずだ。あの、カイの前に居た商隊の者たちのように。
 その中で冷静に魔物と対峙する事を選び、街の事を考えて部下に指示を出しながら、周りを見る事も怠っていなかったとは。
「おそらく貴方が予想なさっている通り、我々はカイ様のお姿をよくは知らずにこの街に参りました。ですが、まったく存じ上げないわけではないのですよ。御年十六。空色の瞳と、御生母様であられるリリアナ様と同じ茶色の髪。体格は、近年ジーク殿と共に魔物狩りのをされているため、並の少年たちよりも鍛えておられるはず――」
 返す言葉が見つからなかった。その特徴を満たすものがこの街にどれだけ居るか把握していないが、たとえ百人居たとして、カイが「自分ではない」との嘘や言い訳を繰り出したとしても、この男の中ではすでにカイがカイである事に揺るぎないだろうと判ったからだった。
「私と共にいらしてください、カイ様」
 ハリスは優しい笑みを浮かべ、優しい口調で語りながら、しかし腕を捕らえる手に込めた力を弱めようとはしなかった。
 逃れられる気がしない。真実を何も知らないまま、突如降りかかった運命に翻弄されてしまうような恐怖に、カイは震えた。
 目を伏せると、凛としたリタの横顔が脳裏を過ぎった。
 ああそうだ。どうせ逃れられないのだとしたら、せめて真実を知りたい。自分がなぜそのような運命に巻き込まれなければならないのかを、自分は一体何者なのかを。知った上で、運命を逆に利用してやればいい。
 あの少女のように、自分も強くありたい。
「何の抵抗もなく私と共にいらしてくださるのならば、ジーク殿――お父上との面会も望むままです」
「……行けば、いいんですね? この街の誰かに危害を加えたりはしませんね?」
「元よりそのつもりはありません。我らがこの街の民に危害を加える可能性があるとすれば、咎人たるジーク殿への処罰のみ。それすら、私の権限で無かった事にできるのです」
 カイはハリスを睨み上げ、一瞬間を開けてから口を開いた。
「判りました、貴方と行きます。その代わり、まず家に帰らせてください。とにかくジークに会わせてほしい。全てはそれからです」
 ハリスはカイの視線を優しく受け止め、力強く肯いた。
「もちろんです。私は叶う事ならば、ジーク殿の了承を得たいと思っておりますから」
「行きましょう」と囁くように行うと、ハリスはカイの腕を手放した。どう抵抗されても逃がさないと言う自信があるのか、躊躇わずにカイに背を向け、歩きはじめる。
 カイは戸惑いながらも、無言でハリスの背を追った。
 父がどのような顔で、言葉で、カイを迎え入れてくれるのか――胸中を支配する不安を、拭いきれないまま。


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Copyright(C) 2007 Nao Katsuragi.