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二章 約束




 セウルに案内された部屋は、カイがアシェルに到着した日に通された客間と同じだった。
 その時リタが座っていたソファには誰も座っていなかったが、カイが座っていた所には、ひとりの青年が腰を下ろして居る。居心地悪そうにあちこちを見ていた彼は、カイたちの入室に気付くと慌てて立ち上がり、不自然なほど背筋を伸ばしたまま深く礼をした。
 お世辞にも綺麗とは言えない格好と、屋敷にそぐわない雰囲気。おそらく彼はアシェルの民のひとりだろうと推測したカイは、彼を安心させようと軽く笑みを浮かべてみる。
 しかし青年は、カイの気遣いに気付く様子はなかった。セウルが「もういいですから」と何度か繰り返して落ち着かせるまで、ひたすら頭を下げるばかりだったのだ。
 再びソファに座った青年は、ぴったりと合わせた膝の上で握り締めた拳を、小刻みに震わせていた。血の気の引いた顔色と表情からして、緊張による震えではないだろうとカイは考える。不安、あるいは恐怖によるもの――自分たちが呼びだされた事と合わせれば、原因が何であるか予想するのは容易い。
「さきほどの話を、こちらのお二方にも話してくれますか」
 セウルが青年を促すと、青年は弱々しく肯いた。ようやく親を見つけた迷子のように安堵と不安を絶妙に混ぜ込んだ表情で、セウルと、リタと、カイの顔を一度ずつ見つめてから、ゆっくりと深呼吸し、口を開く。
「えっと、オレ、狩人で生計を立ててるんですが、魔物がこの町に出てからしばらく、仕事してなかったんです。魔物は山から来るって聞いていたから怖かったもんで。でも、一昨日魔物狩り――もしかして、お二方ですかね? 魔物狩りの方が倒してくださったし、昨日も魔物が出た様子はなかったし、もしかしたら大丈夫かなと思って今日は久々に山に入ってみたんです。やっぱり仕事しないと、食っていけませんから」
 カイは、無意識に緩みそうになる口元を意志の力で引き締めた。
 青年の言葉は、魔物を倒したその時よりも、「この町の役に立った」と言う実感をカイに与えてくれた。つい二日前の町の様子と比べれば、アシェルの民が仕事をしようと考え行動に移しただけでも、充分向上したと言えるだろう。
「それで山に入ったんです。元々この町の周りの山は険しいので、オレのように馴れている人間でもあまり奥の方には入らないようにしてるんですが、今日は万が一の事を考えて、いつも以上に気を配って、獲物が取れるぎりぎりまでしか足を踏み入れませんでした。あの山は獲物が豊富なので、それでも多少は仕事ができますから」
「で? 今日は、獲物取れたの?」
「多少は」
「多少、ね」
「兎を一羽狩ったところで、逃げ帰ってきたもんですから」
 カイとリタはほぼ同時に表情を引き締め、僅かに身を乗り出した。特訓中――厳密に言うならば休憩中だが――の魔物狩りのふたりをわざわざ呼んで聞かせる話なのだ。元より魔物関連の話である事は判っていたが、ここからが本筋となれば、聞く態度がより真剣になるのは当然の事だった。
「何を見たんです?」
 カイの問いかけに、青年は喉を鳴らした。
「魔物……だと思います。正面から見たわけではないんですけど、巨大な、蟻みたいなのでした。最初にこの町に来たヤツも、一昨日魔物狩りの人たちが倒したのも、巨大な蟻みたいなやつだって聞いて、同じだと思ったらオレ、怖くなって」
「一匹?」
「オレが見たのは一匹です。もしかしたら、仲間が居るのかもしれないですけど」
「近くには居なかった?」
 青年は少しだけ迷ってから続けた。
「あの山には洞窟みたいなのがあるんですよ。中がわりと広くて、深い。オレが見たのは、大きな蟻がその洞窟に入っていくところだったんです。だから見たのは一匹ですが、もしかしたら洞窟の中に仲間が居たかもしれません。中、確認してみようかと思ったんですが、さすがに怖くて、すぐに町に戻ってきて、町長さんちに飛び込びました」
 カイとリタは同時に安堵の溜め息を吐いた。
「帰ってきてくれて良かった。俺が知る限り、光が届かない地中の方が魔物は活発なんです。町に来ていた魔物より手強い可能性は高い」
 青年は小さく開いた口をそのままに、間抜けな表情で何度も瞬きをした。
 好奇心が恐怖心に負ける事によって、洞窟の奥で人知れず永遠の眠りにつかずにすんだ事は、青年のみならず、カイやリタ、何よりアシェルの町にとっても幸運と言えるのだろう。束の間の平穏が永遠に続くかもしれないと思いはじめた頃に再び魔物に襲われれば、未来が失われていたかもしれないのだから。
 カイは青年からリタに視線を移した。リタは「抜け駆け禁止」とでも言いたげな厳しい瞳でカイを睨んだ後、カイの意図を察したようで肯いてくれた。
 深い地中では、天上から降りそそぐ光が届かない。つまりは、エイドルードの加護も届きにくい。深い地中は、リタが守ってきた地やジークやカイが守ってきたトラベッタと同じように、エイドルードから見捨てられた場所なのだ。
 だからと言って、深い洞窟の近くが全て危険なわけではない。エイドルードの力が届かないほど深い所から地上まで魔物が出てくるなどと、そうそうありえる事態ではないし、たとえ出てきたとしても、光を浴びるうちに魔物の力は徐々に弱り、大抵は人を襲う前に朽ちてしまう。エイドルードの加護がある地で、充分な力を残しているうちに人里に出てくる事は奇跡に近い確率であり、この点だけで言うならば、アシェルは相当に運の悪い町なのだろう。
 ほとんどありえない偶然とは言え、魔物の出現に納得がいく理由を得た今となっては、アシェル近隣から魔物を撲滅するために尽力する事こそが、カイたち魔物狩りの仕事だ。
 洞窟に巣食う魔物を、根絶やしにしなければ。
「とりあえず問題の洞窟まで偵察に行きたいと考えてます。できれば、明るいうちに。せっかく帰ってきたところを申し訳ないですけど、案内を頼んでもいいですか?」
 青年は間抜けな表情のままカイを真っ直ぐ見つめた。
「今日、これから、ですか?」
「できるだけ早く片付けた方が町も安全だと思いますし……あ、貴方を戦いには巻き込みません。万が一途中で魔物と出くわしても、絶対に守ります」
「あたしたちの力を全面的に信用しろって言っても無理なんだろうけど、貴方を逃がす時間を稼ぐくらいの力はあるって、信じてほしいな」
 魔物の恐怖に震える眼差しが、カイとリタを素通りして、セウルを見た。セウルは一瞬申し訳なさそうに目を反らしたが、すぐに青年に向き直り、一礼する。
「怖い思いをさせて申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
 次期領主に頭を下げられては、断りようがないのだろう。青年は半ば諦めたような表情で肯き、深く息を吐いた。
「それじゃ、俺たちすぐに準備をしますので、少しだけここで待っていてください」
 カイとリタはどちらからともなく立ち上がると、客間を飛び出した。
 しばらくは並んで通路を歩いていたが、やがて小走りになる。平静を装いながらも自然と気は焦りはじめ、それが行動に現れてしまったのだった。
「この間出たのよりは、手強いんだろうな」
 それぞれの部屋に戻るため、道を分かった瞬間にこぼれたリタの呟きに、カイは足を止める。振り返ると、わき目も振らずに与えられた部屋に飛び込んでいくリタの背中だけが見えた。
 リタの言う通りだ。相手は町に出た魔物よりも力を蓄え、活発に動く事だろう。
 もっと、気を引き締めなければ。アシェルのためにも、自分たちのためにも。


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Copyright(C) 2007 Nao Katsuragi.