Stand by me

 放課後の練習のために部室で着替えていると、小さな着メロの音が、ボクの耳に届いた。
 ああ、この、どっかのお笑い番組の、ちょっと(だいぶ?)間の抜けたテーマソング。間違いなく天根のだ。
「天根、携帯鳴ってない? 早く出ないと切れちゃうよ? 出ないの?」
「電話にでんわ…………プッ」
 言った直後、天根は(ひとりで笑いながら)咄嗟に身構えた。
 多分、ほとんど条件反射なんだろうと思う。天根のダジャレと、バネさんの激しすぎるツッコミ。それは見飽きるほどに繰り返される、我がテニス部の日常だから。
「……?」
 けれど、今日は。
「バネさんならまだ来てないよ。今日は三年生だけの総会があるから三年全員一時間遅れるって、さっきサエさんから連絡入ったから、多分進路指導じゃないかな」
「……」
 天根は拍子抜けした顔で、緊張したポーズを解いて、途中だった着替えを続ける。
 さっきまで楽しそう……と言うか、ワクワクした感じの顔してたのに、いきなり百八十度変わって、つまらなそうな顔。
 まあその、「拍子抜けした顔」も、「ワクワクした感じの顔」も、「つまらなそうな顔」も、天根の事をよく知らない人からして見れば、「怖そうな顔」もしくは「怒っている顔」にしか、見えないんだろうけど。

 練習中も、天根はどこか調子が悪そうだった。
 自分の練習中はそれなりに頑張っているんだけど、少しでも休める時間になると、ぼーっとしゃがみこんで、空を見上げていたりして。
 コートに入るまでの動きも鈍い。「とぼとぼ歩く」を絵にすると、まさにこんな感じだと思う。
 そんな様子があんまりかわいそうに見えたんで、ボクは決意した。
「天根?」
「んー?」
「電話にでんわってなんだー!」
 なんて言いながら、ぺしって、天根の頭をチョップしてみる。
「……なんだそりゃ」
「いや、天根、バネさんのツッコミがなくてすごく寂しそうだから、代わりにボクがツッコミ入れてみたんだけど」
 天根はゆっくり首を動かして、ボクを見て。
 呆れた感じの目で、深いため息。
「若いな……」
 一学年しか変わらないのに、よく言うよなあ。
 それに天根よりはボクの方がしっかりしてるのにさ(ってサエさんもバネさんも言ってたから、自惚れじゃないと思う)。
「タイミング、勢い、手の角度。お前のツッコミは何もかもが足りない」
 そんな事言われても、ボクまだ素人だし。
「そんなツッコミじゃ、せっかくおもしろい俺のシャレが死ぬ」
 いやおもしろくないって、天根のダジャレは……。
 でも確かに。
 バネさんの異常とも言える体を張ったツッコミがあるからこそ、天根のダジャレが多少はおもしろくなるんだよね。って事はやっぱり、ツッコミって重要なんだなあ。
 ……バネさんって、偉大な人だなあ。
「そうだな。お前にはいつかバネさんに代わってツッコミになってもらわないとならねーし」
 勝手に決めないでよ。ボクいやだよ、そんな大変そうなの。
「練習するぞ、葵!」
「イヤだよ!! それより今部活中だよ、テニスの練習しようよ、テニス!」
「お、結構いいツッコミするな、お前」
 しまった。気に入られちゃったみたいだ。
 天根はボクの腕をぐっと掴んで、立ち上がって。
 なんだか目をキラキラさせて、空なんか見上げちゃって。
 もし今が夜だったら天根、絶対サムい事言うよ! 一番星とか指差して、「俺たちお笑いであの星を目指そう!」とか言いそうだよ!
 うわーん、助けてよ、サエさん、バネさん、ツッコミの神様!
「うわっ」
 突然、天根が前のめりに倒れ込んだ。
 勢いでボクも引っ張られちゃったけど、途中で手が離れたから、なんとか転ばずにすんで。天根の背中にくっきり残った足跡のマヌケさを、はっきり目にやきつける事ができた。
「この絶妙なケリは……」
「こらダビデ。いたいけな一年にして将来有望な俺らの部長を、お前のダジャレに付き合わせるんじゃねえ!」
『バネさん!』
 振り返ったボクと天根の声が合わさって、突如現れたバネさんの名前を呼ぶ。
 ああ、本当に助けてくれた。ツッコミの神様が。
「バネさん……」
 天根は嬉しそうに立ち上がって、背中をはたく。前触れもなく突然蹴られた事を、怒るどころか喜ぶなんて、やっぱり天根ってどっかおかしい。
「バネさん」
「なんだダビデ。何度も呼ぶなよ、気持ち悪いな」
「やっぱ俺、バネさんが居てくれないと駄目だ。バネさんが居ないと、思う存分シャレが言えない」
「言わなくていいっつの」
「だからバネさん、できるだけ俺のそばに居て、ツッコミ入れてくれよ」
 天根は自分の世界に入り込んでいるようで、バネさんの訴えをあっさり無視してしまった。
 だけどバネさんは怒る感じじゃなくて、複雑な顔して、頭をかいて、ため息ついて。
「おらダビデ。ダブルスの練習すっぞ」
 天根の後頭部をバシッて叩いて、ラケット片手にコートに入っていく。
 否定しないと、天根、調子に乗っちゃうよ、バネさん。
 それともやっぱりバネさん、ツッコミそのものを楽しんでるのかな……?
 だとしたら、訂正。天根はどっかおかしい、じゃなくて、天根とバネさんはどっかおかしいんだ。
 まあ、そうじゃなきゃ、一年以上も漫才コンビなんてやってられないって事かな。


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