マヨヒガ

 修学旅行やら合宿やら、単なるお泊まり会でも、普段同じ屋根の下で眠らない連中が集まって泊まりこむとすれば、夜更かしして語り合うのは当然だ。
 話題は人それぞれなんだろーが、しかし夏だけはわりとどこでも共通しているもんで、一体誰がこんな常識を日本人に植え付けたかは知らねーけど、とりあえず俺たちはその常識に従って、顔を寄せ合い、蝋燭を一本だけ立てて、怪談話に華を咲かせていた。
 所で六月って夏と言っていいのか? まあどーでもいいか。
「なぜか血に染まった両手が恐ろしくなった男はね、すぐに手を洗おうと洗面所に向かって、蛇口をひねったんだよ。すると……!」
 ひとりひとり怪談ネタをひねりだして、樹っちゃん、俺、剣太郎と終わり、話術が巧みのサエが真打として登場した。雰囲気が常人離れした剣太郎の話もけっこう怖かったが、やっぱりサエのは格別だ。
「水に混じって流れてきた長い髪の毛が、男の手に絡まったんだよ……!」
「うわっ」
「こわっ」
「キモッ!」
 俺としてはサエの薄笑いが一番キモかったけどな。なんでそんな楽しそうに話すんだよお前。
「色も長さも髪質も、一年前に殺した婚約者のものとよく似ていて、男はあまりの恐ろしさにほとんど混乱しつつも妙なところで冷静で、水道が駄目ならタオルで拭こうと、振り返った」
「まさか、そこに……?」
「ああ、居たんだよ。胸の真ん中から血をどくどくと流す、青白い顔の婚約者が! 『どうして……? どうして私だけがこんなに苦しい目にあわないといけないの……?』」
 訂正。
 ナチュラルに声質を変えて女の台詞を語るサエが一番キモい。
 サエの顔を見ずに話を聞いてりゃ、それなりに怖い話だった気もするんだが、サエの動向の方がおかしくて話に集中できねーわ。
「ま、こっからはつまらないオチで。あわててその場から逃げ出した男は、ベランダから足を滑らせて落っこちて死んでしまいました、と。はい、おしまい」
「サエさん、ここまで臨場感タップリできたんだから、最後までちゃんと話してよー」
「だってもう飽きちゃったからなあ。剣太郎やダビデの怖がる顔見れたから俺的には満足だし」
 後輩たちのブーイングを、サエは笑顔でさらりと交わし、蝋燭をダビデに回した。
「ほら、次はダビデの番だよ。うんと怖いの頼むよ」
「サエの次は辛いのね」
「大丈夫だよ、ダビデはホラー語るのにちょうどいい顔してるし」
 俺は最近、ダビデのダジャレ専用ツッコミと化しているんだが。
 剣太郎にもツッコミ、入れた方がいいんだろうか? いやでもな、葵のは、ギャグじゃねえし……。
「頼んだよ」
 サエの言葉に、ダビデは無言で頷いた。
 それから蝋燭を正面にずらし、空気の流れにあわせてかすかにふるえる蝋燭を、じっと睨みつける。
「ひとりの登山者が、山で遭難した」
 いきなりヘビーなネタだな。素人には荷が重くねえか? いや素人に荷が軽い怪談話がどんなのか、俺には判らねーけどよ。
「歩いても歩いても、地上への道が見つからず、しまいには雨が降り出して、登山者は途方にくれた。その時、目の前にマヨヒガが現れた」
 ん? マヨヒガ?
「何、マヨヒガって」
 俺が口にしようとしたものとまったく同じ疑問を、剣太郎はダビに投げかける。判らなかったのは俺たちだけじゃなく、樹っちゃんもみたいだ。サエは、相変わらず読めない笑顔でダビを見てる。
「山奥とかの、廃屋」
 簡潔に説明したダビデは、再び話を続けた。
 そんなに簡単に説明できることなら、はじめからそんなワケ判らん単語を使わなけりゃいいのにな? 多少インテリぶりたいお年頃ってやつか?
「雨風を凌げる場所を見つけて喜んだ登山者は、その中に入って、火を起こして、それから何か食べ物はないかと荷物を漁った。しかし食べものと言えるものは、一本のマヨネーズだけ……」
「おい、ダビデ」
「うぃ?」
「まさかとは思うけどよ、『マヨヒガにマヨいこんだ登山者がマヨネーズを食った』とか言いやがったら、蹴り殺すぞ?」
 できる限りのドスを聞かせた声でそう言いながら、俺はダビデを睨みつける。
 一瞬だけ、俺らは見つめ合う形にはなったんだが。
 すぐにダビデは悲しげな表情を見せてきて、ゆっくりとマクラに顔をうずめた。
「……バネさんがいじめる」
「言う気だったのか!」
「俺のアイデンティティーを奪うなんて、ひどい」
 ダビデの肩が、小刻みにふるえはじめる。
「ちょっと酷いよバネさん」「後輩をいじめるのはいけないのね」などと、ダビに同情をかける声が俺を責めはじめる。
 おいおい……俺が悪人かよ。
 マヨヒガなんて普通使わない単語言い出したり、登山者が食料も持たずにマヨネーズを持ってると言う矛盾があったりと、ダジャレ言う伏線バレバレだったじゃねーか!
「ちげーだろダビ。ツッコミ担当のオレが簡単に読めちまうダジャレ考えるお前が悪いんだろーが。ダジャレがアイデンティティだっつうなら、一般人には考えつかないダジャレ言えるはずだぜ」
 すると。
 ダビは突然顔をあげ、なんだかキラキラした目で俺を見上げると、両手で俺の右手を包み込んだ。
 夏の他人の手は、生ぬっこくて、キモい。
「そうだ! 俺、もっと誰にも考え付かない、おもしろいシャレを考える! そしてバネさんをビックリさせる!」
 いや、驚かせる前に笑わせてくれ。
 とは思いつつも、場の雰囲気はなんとかごまかせたから、まあいいか。
「えーっと、じゃあ、誰が一番怖かったか、そろそろ決めよう!」
 ……怪談コンテストだったのか? 今日は。
 それならそうとはじめから言えよ、だったらもう少し気合入れて話たっつうの。
「やっぱサエじゃねえか? 順当に」
 俺が言うと、樹っちゃんやダビデがコクコクと頷く。そうだ、わざわざ決める必要もない。怪談話と言ったらサエだ。
「そうかな? 俺はバネだと思うけど」
「は?」
「あ、うん、ボクもそう思ってた! サエさんとボクが言うなら、バネさんで決定〜!」
 さりげなく独裁政権だなお前。多数決なら三対二でサエだろうが。
 けれどなんとなく、逆らえない雰囲気を持っているのが、ウチの部長&副部長のすごいところだ。
「だってさ、すっごく怖かったよ。『蹴り殺すぞ』って言った時の、蝋燭に照らされたバネさんの顔!」
「うん、そうだね。さすがの俺もちょっとふるえがきたよ、あの時のバネには」
「話で決めるんじゃねーのか!」
 俺が軽くツッコミを入れると(隣でダビが「なんで蹴り入れないんだよバネさん」と不服そうにしている)、
「え? ボク、誰が一番怖い話をしたか決めよう、なんて言ってないよね?」
 剣太郎はにっこり微笑みながらそう言った。
「ああ、言ってないよ、剣太郎は」
「ねー?」
 こいつら……!
 反論するのもツッコむのも馬鹿らしくなり、俺はおとなしく、「今日一番怖かったで賞(そのネーミングセンスどうにかしろ剣太郎)」を受ける事にした。
 ……。
 そんなにすげえ顔、してたんかな、俺。


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