バッグに入れっぱなしのスポーツドリンクは、温度を守る工夫をしてたわけでも、凍らせていたわけでもなかったから、六月の空気にあっためられてすぐに生ぬるくなる。 それでもぶっ続けで運動していた俺たちの喉を潤すくらいの役には立つわけで、試合と試合の合間に考えなしに飲んでいるうちに、すっかり空になってしまった。 昨日橘さんが突然「明日、青学との練習試合をする事になった」なんて言った時は、試合形式か、楽しそうだしけっこうラクかも、なんて思っていたけど、ぜんぜん甘かったぜ。 「み、水……」 あ、隣で森がうめいてる。そうだよな、森と内村、最後の試合でマムシのやつにさんざんスネイクくらいまくってたからな。タイヘンだろあのしつこさ。 なんて言ってやりたかっただけど、喉が乾いてそれどころじゃない。 「大丈夫か? お前ら」 俺たち六人も、青学の奴らもヘトヘトだってのに、橘さんはひとり涼しげな顔をしている。しかもジャージのフル装備で。さすがだぜ、橘さん。 「橘さん、水道ってどこにあるか知ってます?」 「水道?」 「橘!」 訂正。涼しそうな顔をしているのは、橘さんだけじゃなくてもうひとり居た。まあこの人は試合してないから別格だろうけど。 「大石」 「お疲れ様。それと、今日はわざわざ来てくれて本当にありがとう。助かったよ」 「いや、こっちとしてもいい練習になったからな」 「そう言ってもらえると助かるけど……あ、よければこれ、皆で飲んでくれ」 青学の副部長、もとい部長代理の大石さんは、左手にぶら下げた袋を橘さんに差し出した。 袋にはうっすらと水滴がついているし、大石さんの右手には紙コップが七つ(多分。はっきり数えてねーけど)あるし、それはきっと! 「悪ぃな」 「気にしないでいいよ。本当はひとりに小さいやつ一本ずつ買おうと思ったんだけど、経費削減するために大きいペットボトルと職員室からくすねてきた紙コップに変更になったって言う裏話があるくらいだから。あ、でも、職員室の冷蔵庫で冷やしておいたから、ちゃんと冷たいよ」 そんな事わざわざ言わなくてもいいのに、正直な人なんだなあ、この人。 「――と、どうやら橘に渡すよりも彼らに渡した方が正しいみたいだな。はい、どうぞ」 大石さんは、コンビニ袋と紙コップを俺たちに向けて差し出してくれて。 「いただきます!」 遠慮なく俺が受け取り、あとは六人で奪い合い。だああ、お前らうぜえ! 「スポーツドリンクが苦手なら、お茶かミネラルウォーターならすぐに用意できるから」 「あいつらが好き嫌いするように見えるか?」 「……見えないな」 大石さんは、優しそうに笑った(このあたりで、よーやく皆一杯ずつ飲めたから、落ち付いてきた)。 「いいな、青学は」 俺の隣で、ボソッと桜井が呟いたんだけど、それがちょうど俺が考えていた事と同じで、ビックリした。 「え? 何?」 「いえ、なんでもありません」 俺が口に出して言わなかったように、桜井も大石さんに伝える気なんて全然なくて、ただひとりごととして言っただけなんだろう。大石さんが反応すると、慌ててごまかす。 うん、そりゃ、さ。いいよな青学は。 コート三面もあるし。必要な時には向こうにある二面もあわせて、五面もコート使えるんだってよ。設備だって全然違うし。 優しい先輩も沢山いるし。まあ俺たちがよそからきた客みたいなもんだってのもあるけど、多分大石さんは、自分とこの後輩にだって優しいだろう。練習中ずっとアドバイスとかしてたし。他にも、休憩時間とか青学がわの方見てたけど、三年の先輩たち、みんな気さくに後輩たちに話しかけたりしてて、むしろ一年の越前の方がそっけない。マムシはもちろん、言うに及ばずってヤツだ。 ここだったらヒドイ目にも合わなかったし、実力があれば一年でも認めてもらえたんだよなぁ。 「さっそく桜井と神尾が青学を羨ましがってるよ」 「今頃『もし自分が青学に入学してたら』とかって妄想が頭の中で繰り広げられてるな、絶対」 「してねーよ! なあ、アキラ!」 「お、おう! してねえよ、そこまでは!」 「そこまでは、か」 内村がなんかすっげえムカツク表情で俺と桜井を見て、鼻で笑った。チクショー殴りてえ。 「大石部長代理ー!」 そんな時小さいのがふたり、やっぱりコンビニ袋振り回しながら、大石さんの方に駆け寄ってきた。体操服のラインが赤なのが一年なのかな、青学は。 「悪いな、加藤、水野。お疲れさま」 「いえ! それで、こんな感じでいいですか?」 「うん、多分。ありがとうな」 大石さんは一年ふたりが差し出した袋の中ちらっと覗き込んで、それを左手で受けとって、一瞬橘さんの方を見たんだけど、すぐに俺たちの方に降り返った。 「君たち、お腹空いてるかな?」 は? 俺たちはお互いにお互いの意思を確かめ合うように見つめあって、皆同じ意見である事が判ると、一斉に大石さんに頷いてみせた。 「はい、そりゃもう、ペコペコです」 代表して石田が、発言。 「よかった。じゃあこれ、皆で食べて」 と、言う事で。 スポーツドリンクのペットボトル×2に続いて、おにぎり×14を、もらってしまった。 『ありがとうございます!』 皆で頭下げてお礼を言うと、「気にしないで」と言いながら、大石さんは微笑む。ああ、やっぱりこの人いいひとだ。橘さんと杏ちゃんの次くらいには。 「これ、もらうよ」 二個入りの、たくあんがついているパックのおにぎりがひとつだけあって、それを無言で深司が取る。深司の漬物好きは皆知ってたので、誰も止めなかった。 「ほい、石田」 「なんだこれ」 「メンチカツだってよ。お前のために用意されてるだろ、どう考えても」 「メンチカツにぎり……?」 言葉は疑問系だけど、なんか嬉しそうな顔をしている石田はメンチカツ好きの鏡だと俺は思う。 多分これ、噂の乾さんのデータを元に用意されてんだろうな。気を使ってくれてるのはありがたいし、俺に関係ないから別にいいけど、どうせメンチカツならパンにすりゃいいのに。青学ってよくわかんねえ。 だいたい、深司と石田だけずるくねえ? まあ、ここでほうれんそうのおひたしとか用意されてもキモいからいいか。森だけそば屋に連れ込まれてもどうかと思うしな。そこまでするなら橘さんを中華街で接待してほしいよな。 「大石、ここまでしてもらっては……」 「いいって、わざわざ来てくれたお礼だよ。安心してくれていいよ、部費の管理を全て任されているのは俺だから、誰も怒ったりしないって」 「だが……お前たちが食べればいいんじゃないか?」 「それはできない。さすがに部員の食べ物を部費では落とせないよ。それにもう、皆食べてるよ?」 橘さんと大石さんは、同時に俺たちを見下ろした。はい、すみません、遠慮無く、もう、食べちゃってます。 「……そうだな。じゃあ素直にもらっておく事にするよ。ありがとう」 「どういたしまして」 深司がたくあんをかじる音と、石田がおにぎりの包装をはがす音をBGMにしてかわされた、橘さんと大石さんの会話。なんだかすごく大人っぽく感じたのは、俺だけじゃないと思う。 「神尾と桜井に続いて、深司と石田も落ちたぞ。しかも今度は餌付けときた。最悪だな」 「俺、少し皆を見損なった」 内村と森が冷たい目で、俺たちを見るけど(内村はともかく、森の視線は少し痛かった)。 「別に俺らが不動峰を裏切ったわけじゃないだろ! それにお前らだってしっかり自分の分のおにぎり確保してるじゃねーか!」 なぜかツッコんだ俺より、ツッコまれた内村の方が勝ち誇った顔しやがって。 「あるものは食う。捨てるのはもったいねーだろ。俺が言ってるのはな、施しを受けたからって気持ちの上で負けちゃいけねーって事だ」 「無理に食うなよ! 俺たちで食うから……」 「お前ら、せっかくのいただきものはもう少し静かに食え!」 橘さんの一喝。 俺たち六人、一斉に、ゆっくりと、橘さんを見上げる。 恥ずかしそうに怒ってる橘さんの隣で、微笑ましそうに俺たちを見ている大石さん。 うわっ、俺たちもしかして、また橘さんに恥かかせちまったのか!? 「すまんな、大石」 「いや、仲が良さそうで羨ましいくらいだよ」 ……仲、良さそうかな、俺たち。 「おっと、そろそろ集合の時間だ。じゃあ俺たち片付けとかして騒がしいかもしれないけど、ゆっくりしていってくれな」 「すまん」 「いいっていいって――と、そうだ」 青学の連中に向けて走り出そうとした大石さんは、一歩進んだだけで足を止めて、くるり、と振り返る。 「内村くん、森くん」 「ふへ?」 「は、はい!」 俺たちに奪われないよう、おにぎりを頬張っていた内村と森は、突然声をかけられて驚いたのか、ヘンな声を出す。 大石さんは右腕を掲げて、少しだけジャージの袖をまくった。そこには白い包帯が巻かれてて、少し痛々しい。 「俺、今はこんな腕だから、今日は再戦できなくて残念だったけど……全国ではまた、勝負しよう!」 ふたりは一瞬、喉をつまらせた感じ。そんでもって、 『はい!』 なんて声を合わせて返事しちまって。走り去る大石さんの背中じっと見て。 「えらそーに言ってた奴が、一番簡単に落ちたな」 「内村が素直に『はい』なんて言ってるの、橘さん相手以外にはじめて見た」 「台詞ひとつだぞ? 全国って台詞に酔ったな、間違いなく」 「こっちこそ見損なったよね。前から認めていたわけじゃないけどさ」 ボヤいた深司と内村が、ギロリ、と睨み合って。 まさに一触即発、と言った雰囲気の中。 橘さんの深いため息が聞こえてきて、俺たちは一瞬にして静かになった。そんでもって六人揃って橘さんに近寄って、橘さんを取り囲む。 「た、橘さん! 呆れちゃいました!?」 「俺たち別に、青学に入りたいとか言ってるんじゃないですからね!?」 「こんなにもらえるならまた練習試合に呼ばれてもいいかなあって思ってるくらいですよ」 「コートが手作りのあわせて二面しかなくても! ボールが少なくても! 部室が狭くてボロくても! ジャージが黒くて暑くても! 部員が少なくても!」 「橘さんが居てくれるのが一番ですから!」 「だから俺たちを見捨てないでください!」 橘さんは、いつもなら笑って俺たちを受け入れてくれるのに、今日は片手で顔を覆って、俯いてしまった。 うわ、どうしよう。ホントに俺たち、見捨てられちまうのか!? 「何の用だ、大石」 え? 大石? なんでここに大石さんの名前が出てくるんですか? 俺たちが一斉に、振り返ると。 そこには必死に場をごまかそうとしている大石さんが立っていて。 「ご、ごめん、いいところを、邪魔しちゃうけど。これ、渡し忘れてたから……バスの時刻表」 「すまん」 「ええと。そんなに照れる事ないと思うよ、橘。むしろ自慢するくらいの気持ちでいていいと思う」 「……」 橘さんがバスの時刻表を受け取ると、大石さんは満足そうに微笑んで、青学の連中の元に戻っていった。 ああ、なんだ。 橘さんは、怒っていたわけじゃなくて、大石さんに見られていたせいで照れてたんだ。よかったー! 「お前たちだけで食べてないで俺にもよこせ。俺の分は残してあるんだろうな?」 まだ少し恥ずかしそうに、顔を反らしたままで、橘さんは手を伸ばす。 「もちろん、コンブとシャケです! 橘さん好きですよね」 「なんなら俺のおかかも食べますか? 俺、たくあんだけもらえれば別にいいんで」 「あ、じゃあ、俺のも……」 「橘さんがそんな変なの食べるか?」 「お前のメンチカツに比べりゃなんでもマシだと思うけどな」 「おにぎりとスポーツドリンクって合わないですよね。お茶もらってきましょうか!」 「もういいからお前ら、黙って、座って、食え!」 橘さんは再び、一喝。 『はい!』 俺たちは六人揃って、返事して。 そっから、皆で丸くなって食べたおにぎりは、それまでバラバラにかじっていた時より、ずっと美味いと俺は感じた。 |