鼻緒

「ダビデはいつか、バネに勝てる日が来るのかね?」
 コートの隅にしゃがみこんだサエさんが、にこにこ微笑みながらそんな事を言う。
「無理じゃないかなあ」
 サエさんの隣にやっぱりしゃがみこんでる剣太郎も、にこにこ微笑みながら続けた。
 ふたりとも、なんでそんなところにしゃがみこんでるの、と聞こうと思ったけども、日差しが強い今日、少しでも涼しいところに避難しようとしてるんだろうなあとすぐに判った。
 でも、だからって、俺を日よけに使わなくても……。
「俺、今日、バネさんに勝ったよ。テニス」
 あと昨日、じゃんけんで勝ったし。
 勝負ごとなら、五分五分くらいで勝ててると思うんだけど。
「いやいやそう言うのじゃなくて、精神的に、ねえ?」
「うん、きっと無理だよね。ダビデじゃ」
 なんでそんな楽しそうに言い切るんだろう、このふたり。
 しかも精神的にってどう言う事だろう……。
「さ、じゃあ、今日の練習はこれくらいにしとこっか」
「……早くない?」
「だって今日花火大会じゃん! 出店は五時くらいからはじまってるよ。だから帰って、浴衣に着替えて、五時に集合ー!」
 あ、今日は花火大会だったんだ。やばい、うっかり忘れるところだった。
 そうか、だからバネさんさっき、「勝った方がたこ焼きな!」とか言ってたんだ。ごめんバネさん、おかしな事言ってるよとか思っちゃって。
 って事は今日、たこ焼きおごってもらえるんだ。
 わぁい。

 約束の時間になっても、バネさんは姿を見せなかった。
「バネ、遅いのね」
「そう派手に遅刻するタイプでもないはずなんだけど」
「ダビデ、迎えに行ってきてよ」
「うぃ」
 バネさんもしかして、俺にたこ焼きおごるお金がなくて、逃げてるのかなあなんて思いつつ、俺はひとりでとことこと、バネさんちに向かった。
 インターホンも押さずに勝手に玄関開けて。
「バネさーん。居るー?」
「おー、悪い、ダビ! うっかり寝ちまった!」
 奥からバネさんのちょっと寝ぼけた感じの声が聞こえてくる。
 バネさん、多分、家に辿り着いたの四時半くらいのはずなんだけど。
 三十分しかないのに、どうして寝るのかな……普通寝ないって。
「ダビ、玄関に箱置いてあるだろ? そっから下駄出しといてくれよ! 今ソッコー着替えるから!」
「うぃ」
 えーっと、箱箱。あった、これだ。思いっきり正面に置いてあった。
 俺はしゃがみこんで、ぱかっ、って箱のフタをはずす。
 あー、なんかこの下駄、覚えがあるなあ。確か去年も履いてたなあバネさん。バネさん、去年からずいぶん身長、伸びてるけど、まだ履けるのかなこれ。
 箱から下駄を取り出して、鼻緒に指を引っ掛けて、ぐるぐる回したりしながら、色々考えていた俺は。
 突然指にかかっていた重みがなくなって、慌てた。
 コロン、と下駄が玄関に転がる。
「え? え?」
 拾い上げてみると、鼻緒が切れてた。んー、こう言うの、抜けてるって言うのかな。
 ああ、そう言えばバネさん、言ってたっけ、去年。身長が伸びて、すぐに足のサイズが変わっちゃうから、親が安物を買った……あれ? 親のお古もらったんだっけ?
 どっちにしても、すぐに壊れそうだなあと思った記憶が、あるような。
 ……どうしよう。
 とりあえず、俺は、下駄を元通り箱の中に戻した。
「わりっ、待たせたな!」
 着替えを終わらせたバネさんは、大股で玄関まで駆けてきて。いや、もうちょっとゆっくりしてきてくれると、言い訳考える時間ができて、楽だったんだけど。
「なんだ、下駄出しといてくれなかったのかよ」
 俺は思いっきり、左右に首を振る。
「出した。出したけど、下駄、壊れてた」
「ああ?」
 バネさんは箱から下駄を取り出して、片方の鼻緒が無残な事になっているのを確認してから、俺を不審そうに睨んでくる。
 思いっきり疑ってるよ俺を……しょうがないけど。
「去年しまった時はなんともなかったんだがなあ……本当か? 本当に壊れてたのか?」
 俺は思いっきり、首を縦に振った。
「嘘ついてないな?」
 俺はもう一回、頷く。それこそ嘘だけど、怒られるの怖いし。
「ダビ、もし嘘ついたら……」
 ハリセンボン飲ますとか、言わないよな、バネさん。
 あれ? 針千本だっけ?
 どっちでもいいけど、そんな、小学生みたいな事、言わないよな、バネさん! 言っても実行したりしないよな! そんなの飲めないって!
「もう一生口聞いてやんねーぞ」
「ごめんなさい俺がやりました」

 俺の履いてた下駄はバネさんに奪われて、裸足かスニーカーで花火大会に参加の刑になった俺。はじめはスニーカー履いてたけど、なんか途中で嫌になって、結局裸足で。
「サエさん、剣太郎」
「ん?」
「何?」
 サエさんが食べてるブルーハワイのかき氷と、剣太郎の食べているいか焼きが、ものすごく美味しそうだった。
 なんであの青いシロップ、ブルーハワイって言うんだろう。まあどうでもいいけど。
「やっぱ俺、一生バネさんに勝てないかも」
「うん、そうだね」
「しょうがないよ。だってダビデだもん」
「バネはダビデの操作が上手いからなあ」
 そんなあっさり言い切らなくてもいいじゃん……って言うかなんだよ操作って……。
 俺は切ない気分になって、ひとり離れて座りこんで、膝を抱えこみながら花火を見上げた
 花火って綺麗なんだな。去年までは食べたり騒いだりする事に必死で、まともに見てなかった……ごめんね花火。
「ほら、ダビ」
 夜空を見上げる俺の目の前に、突然現れたのは、たこ焼き。
「……バネさん?」
「約束してただろ、たこ焼き。ほら、食え」
 下駄壊したの、バネさんすごい怒ってたから、たこ焼きの約束無しになったのかと思った。
 でもちゃんと買ってくれたんだ……。
 焼きたてでほかほかなたこ焼きを、俺はうきうき気分で受けとって、ふたついっぺんに頬張る。
「うまい」
「ったりめーだろ。俺が買ってきてやったんだから」
「ありがとう、バネさん」
 なんだかんだでやっぱり、バネさんは優しい。
 そんな感じで、みっつめのたこ焼きを口の中に放り込んで、幸せを噛み締めていた俺は、ふと、生暖かい目で俺を見守るサエさん&剣太郎と目が合った。
「ね?」
「ねー?」
 う……うるさいうるさい!!


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