それまでかろうじて動いていたシャープペンが止まると同時に、英二は机に突っ伏した。 「エビフライ食べたい……オムレツ……かき氷……アナゴの寿司もおいしいだろうな……そう言えば先週発売の新作プリン、まだ食ってねえし……たまにカップヤキソバの安っぽいソースの味が恋しくなるよなあ。それから……」 俺は英二につられるように手を動かすのをやめて、時計に目を運ぶ。示された時間は(夜の)七時半。さっきから食べ物の話しかしないと思ったら、お腹がすいているんだな。 「うるさいぞ菊丸。集中力が途切れる」 俺の隣に座っている乾は、相変わらずのスピードでシャープペンを滑らせている。どの辺の集中力が途切れているんだろう、とは思ったけれど。 「そうだぞ英二。乾も不二も俺も、お腹が空いているんだぞ」 「そーなの?」 「当然だろう? そして僕や乾や大石は、今すぐ帰って夕飯にありついたって構わないんだ」 「うー……」 英二は少しだけ机を揺らしながら暴れたけれど、すぐにおとなしくなって、いったん放り投げたシャープペンを手に取り、机の上に広げられた五枚のプリントに視線を落とした。 プリントの内訳は、二枚は理科(物理)、三枚が英語。二週間くらい前に授業で出された課題だ。 その課題の提出期限は、出された日付が違うために、クラスによってまちまち。英二と不二は両方明日、俺は両方明後日、乾は物理が明日で英語が明後日。 「当然」と言いたくはないけれど、英二は今日の部活が終わるまで、全てのプリントが真っ白で、でも提出日が明日だった事はしっかり覚えていたらしく、部活終了後部員に助けを求めた――俺は半強制だったけれど。 「俺も英語の方は終わってないからな。別に今日終わらせる必要はないけれど、大石が居るなら都合がいいかもしれない」 英二を見捨てて(いやこの場合見捨てる事はけして悪い事ではないと思うのだけど)皆が帰っていく中、乾はそう言って残ってくれた。 確かに英語の成績は乾より俺の方がいいのだけれど、このくらいなら乾は充分解けると思うけどな。まあ、どうせなら答え合わせをして正答率を上げたいと言うのなら気持ちは判るし、俺も物理の方で不安なところを乾に聞けるならありがたいと思った。 俺と乾が残る事が決まると、「じゃあ僕も残ろうかな。有意義な時間になりそうだし」と不二も言い出して(英二とふたりだけなら有意義ではないと言いきる所に不二の強さを感じた)、皆(と言うより、ほとんどが俺だけど)で英二の質問に答えつつ、自分の課題を片付けていたわけなのだけれど。 「あー、もーやだ! 明日学校が爆発して、授業なくなっちまえばいいのに!」 英二は完全に機嫌を損ねたらしい。つまらなそうに、そんな事を呟く。 「子供みたいな事言うなよ、英二」 俺が再び机に突っ伏した英二の頭を撫でながらそう言うと、乾は頷いた。 「そうだぞ。小学生くらいならばともかく、中学生にもなると冗談にならないからやめておけ」 「……冗談にならないのか?」 「プラスチック爆弾くらいなら、どの学校にもひとりやふたり、作れる奴が居るだろう?」 そんな物騒な奴、居るのか……? と、俺は反射的に訊ねようと思ったけれど、このキラリとメガネを光らせる男にならば不可能はないだろうと思い、確かめるのが怖くなったので、聞かずにおいた。 「それに爆弾は怖いよね。何が起こるか判らないじゃない? 時空が捻じ曲げられて、未来へ飛ばされてしまうかもしれない」 「え!? そんなん面白そうじゃん!」 「ところがそうはいかないんだ。未来は荒廃し、一面の砂漠。僕たちは残り少ない水や食料を求めて、争うあう事になる」 ……そんなドラマ、あったよな、確か。原作は古い漫画だったんだっけ? 俺たちの場合は漂流教室じゃなくて、漂流部室になるんだろうか? 「やだよ、そんなん! 仲良くやろうよ!」 「そうだね、四人なら――大石だね。大石を総理大臣にして、僕らは手を取り合って、難関に立ち向かい続けるかもしれない。けれどある日突然、僕らはバケモノに襲われるんだよ……」 なんで俺が総理大臣なんだ……? 「バケモノ!? なんで!?」 「砂漠で生き抜くために進化した生物さ。大きく、しぶとく、そして強い。立ち向かおうにも、僕らには戦う術がない。そして逃げる事しかできない僕らを守るため、防衛大臣の大石が立ち上がるんだ!」 ……俺は総理大臣じゃなかったのか? 「防衛大臣は、僕たちを守るために勇敢に戦い、そして死んでしまう」 不二、頼むから勝手に殺さないでくれ……。 「僕らは大石の遺体を囲んで嘆くだろう。どうして未来なんかに来なければならなかったんだと。そして毎日毎日練習に追われてテニスをしていた日々が懐かしく眩しく、たかが課題が解けない程度で学校消失を望んだ事の愚かさを知るんだ」 あるいはそれは、とても大切な話だったのかもしれないけれど。 どうしてだろう。胸の中を空しさばかりが去来するのは。 反応に困ってしまった俺は、休めていた手を再び動かしはじめる。物理の課題はさっき終わらせたけれど、部誌を書かないといけないからな。 「俺の作った爆弾で時空を超えるか。おもしろいかもしれないな」 「おもしろくない! だめ! ダメダメダメー! 大石が死んじゃうじゃないか!」 だから、頼むから、俺を勝手に殺さないでくれないか? 確かにこの面々なら、俺が真っ先に死にそうだとは思うけど。 ……自分で言っていて切なくなってきたけれど。 「ごめんな、大石! 俺、大石に死んで欲しくなんかないからなっ! だからがんばって英語、解くよっ」 うーん、その話の展開からすると、英二が英語のプリントを解いたからと言って俺が助かるわけじゃあ、ないよな? でも、プリントと向かい合った英二は、気合を入れたからと言って、さっきまで判らなかった問題がいきなり判るようになるわけもなく、難しそうな顔をしているけれど、とても真剣で。 英二がこんなにやる気を出すなら、想像上で死んでみたかいがあるかもしれないな。 「頼んだぞ、英二。俺を殺さないでくれよ」 「よしきた!」 元気よく答える英二をこっそり眺めながら、残りの三人は微笑みあった。 突然ヘンな話をはじめたのはどうしてだろうと思っていたけれど……もしかして不二は、はじめからこれを企んでいたのかな。 |