喫水線

「ゲームセットウォンバイ、山吹南・東方ペア! 6−2!」
 審判の声が響くと、それまで応援の声を張り上げていた部員たちの声が一瞬和らいだ。けれど、すぐに静けさは失われ、歓喜の雄叫びが会場を埋め尽くす。
「よっしゃあ、さすが山吹常勝ダブルス!」
「これで二連勝! あと一勝で勝ち決定だ!」
「南部長、東方さん、お疲れさまです」
 あちらこちらから飛びかかってくる声に、俺は適当に答えると、ベンチに戻ってラケットを手放し、代わりにドリンクとタオルを手に取った。
「お疲れサン、南、東方」
 それまでベンチ際に立てかけてあったラケットが、宙に浮く。
 ラケットを手に取った主は、俺たちの横をすり抜けて、コートへと歩みを進める。
「あとは俺に任せて〜」
 陽気にそう言い放つ千石の背中は、これ以上ないほど余裕ブチかましたものであったけれど、すれ違う瞬間、ほんの一瞬だけ視界を掠めた千石の横顔は。

「ゲームセットウォンバイ、山吹千石! 6−1!」

 千石は、ひとりベンチに座っていた。
 厳密にはひとりじゃない。勝利の喜びを分かち合う仲間たちが、千石の周りにはいくらでも居た。けど、いつもならその中心に居るはずの千石は、今は輪から完全にはずれている。
 構われたがりで、目立ちたがりで、黙る事がめったにないくせに黙っても目立つ千石のそんな様子はかなり珍しい。
 俺は背中合せになるように、千石の隣に座った。
「お疲れさん、千石」
「別に疲れてないよ。楽勝、楽勝。南も見たでしょ?」
「当然見てたさ。俺は地味ながらけなげな部長だから、部員の試合は全部しっかり見て応援するんだよ」
「なんだよそれー、俺へのイヤミ? 男同士の試合よりカワイイ女の子見てる方が楽しいじゃん」
 千石は振り返りもしなかったから、顔は見えなかったけれど、ニヤニヤ笑っているのは明かで。
 ま、イヤミと取れただけ、エライ事にしておいてやるか。
「去年から判っているつもりだったんだけどさ」
「何をー?」
「ごめんな、千石」
 一瞬の、沈黙。
「何突然謝っちゃってんの? 南。熱でもある?」
 まあ、そう言われるだろうとは思っていたけどな……唐突だったよな、かなり。しかも俺が千石に謝る事なんてめったにねーし。
「さっきお前見ててさ、俺、シングルス選手だったらなあと少し思ったんだよ。お前、すごいプレッシャーかかってるよな。最後の砦として、絶対に負けちゃいけない立場に立たされてるから……団体戦って本当は、仲間の負けを他のヤツがフォローできるはずなのに、お前だけ辛いよなって」
 山吹中は、エースである千石に依存しっぱなしだ。
 それは前から判っているつもりだったけど、なんとなく、千石ってヤツはいつも余裕かまして平然としているから――甘えてたんだよな、結局、俺たちは、千石に。
 千石だって一応、人間なのにな。しかも、中三の。
 このまま千石に依存しまくって、浸りまくって、いざ千石が沈んだら、俺たち全員一緒に沈んじまうんだ。それじゃあんまり情けないよな、チームメイトとして。
「南……」
 千石が振り返った気配を感じる。
 俺はうつむいたまま、千石の顔を見ないようにけして振り向かないつもりだったけど、突然千石が吹き出して、思いっきり笑いはじめたから、慌てて振り向いた。
「なーに言ってんのさ、南ってば」
 そこまで笑われて、そんな事を言われると。
 余計なお世話だろうと思いつつも、心配をしたこっちとしては、少しムカッとくるもんで。
「笑うなよ、俺は本気で……」
「そんなん、南たちも同じだろ」
 千石の、余裕かました微笑みが、俺の言葉の続きを遮った。
「ウチの必勝パターンはなんだったっけ? 南部長サン。ダブルスふたつと俺で三勝する事、じゃなかったっけ?」
「そうだけど……」
「じゃあ負けられないのは南たちもいっしょ。背負ってるプレッシャーもいっしょ。むしろ南たちのが辛いんじゃない? 相手チームで一番強いダブルスと戦う事、決まってるんだから。俺なんか判爺が色々オーダーいじくってるから、弱い相手と戦う可能性あるしね〜」
 俺は何も答えられず、千石を見下ろした。
「南たちが必ず勝ってくれるから、俺も勝とうって思えるんだよ。南たちが負けてたら、俺、試合の時適当に手ぇ抜いちゃうかもね。だって俺が勝とうが負けようが、関係ないし」
「おい、千石!」
「困るなら勝ってくれよ。南たちががんばるなら、俺もがんばるからさ」
 千石は、立ち上がって、ずっとずっと高い視点から、俺を見下ろす。
「俺は山吹中が誇るダブルス二組に、これでもかってくらい依存して、浸りきってるんだからね」
 見下ろされている事が悔しくて、俺は立ち上がった。俺は明らかに千石より背が高いから、こうすれば見下ろされる事はなくなるからな。
「しょうがねえな。任せとけ」
「頼んだよん」
 俺が微笑むと、千石も微笑む。
 その笑みは、身長差で俺が優位に立っているにも関わらず、それをあっさり逆転されそうなほどに余裕しゃくしゃくで。
 あんまりむかつくから、千石の頭を軽く小突いてみたけれど、千石の笑みは消える事はなかった。


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