誕生日はいつかと聞かれて答えると、誰もが「終戦記念日だな」と返してくる。俺の生まれた日は、そう言う日だ。 大抵の子供がそうであるように、俺も幼稚園や小学校の低学年であった頃は、それなりに自己中心的な部分があった(今は全く無い、と言うつもりはない。むしろ今でもその傾向が強いのではないかと思う)。自分の誕生日に、自分の誕生日以上の意味があると言う事を、悔しがった頃もあったわけだが。 それももう昔の話だ。 父や母ですら戦後生まれである俺が、戦争そのものを知るわけがないのだが、それでも人より戦争を身近に感じる事ができるこの誕生日を、俺は気に入っている。 「今日が大切な日だってのは、判ってるけど」 「杏」 「誕生日なんだから、もっと景気のいい番組、見たくならない?」 いつの間にか近寄ってきていた杏は、俺の隣に座り、目の前のテーブルに置いてあったテレビのリモコンを手にとった。 お盆休みとの事で田舎に帰ってきた橘一家だったが、両親と違って帰省しても特にやる事もない俺は、ダラダラとテレビを見ていたんだが。 流れているのは、ドキュメンタリー番組だ。今日が終戦記念日であるために、内容ももちろん、第二次世界大戦の特集だった。 戦争によって破壊された建物が次々と映し出されていく。さきほどまではその代表とも言える「原爆ドーム」で、今は空襲で片足を失った「片足鳥居」について、ベテラン女子アナウンサーが真剣な顔で語っていた。 片足を失った傷が今も生々しく残るその鳥居は、昔の悲劇を今に伝えるために、危ういバランスを保ちながら立ち続けているのだろうか。 「いいんじゃないか。自分の誕生日に平和の喜びを噛み締められるってのも」 あんな傷を刻むような事は起こらないと、安堵していられる日々を、噛み締められるってのは。 俺は小さく笑って、ソファの背もたれによりかかる。 「兄さん、ほんっと若さが足りないよね」 「うるせえ」 「それが兄さんのいいところだと思うけど」 杏は笑いながらそう言うと、テレビの真上につけられている時計に目をやった。 十一時五十九分。もうすぐ正午だ。 「兄さん、今年も黙祷するの?」 「悪いか」 「ううん、そうだろうと思ってたから。よかった」 「……何がだ?」 俺は杏に問い詰めるように視線を送ったが、杏は軽く受け流し、十二時を知らせる音と共に目を伏せた。俺も慌てて杏の後を追い、両目を伏せる。 一分ほどすぎた頃だろうか。 電子音が奏でるメロディが、静かなリビングに響き渡ったのは。 「なんてピッタリのタイミングなのかしら。時報に時計合わせとく! とは言ってたけど」 「電話か?」 「そうだけど、どっちかって言うと、私から兄さんへの誕生日プレゼントかな。本当のプレゼントは家に置いてきちゃったから、帰ってきたら渡すね」 意味ありげな微笑みを浮かべ、杏は俺に携帯電話を投げてよこす。 プレゼントって……このピンク色の携帯電話が、か? 「早く出てくれる? 出るまでずーっと鳴り続けるから、その電話」 「俺が出ていいのか?」 「だって兄さんあての電話だもの」 何を言っているのか、さっぱり判らんぞ、杏。いくら俺が携帯を家に忘れてきたとは言え、お前の携帯に俺あての電話がかかってくるわけ無いだろうが。 とりあえずディスプレイの表示を見て確認してみたが、公衆電話と書かれているだけで、一体誰からの電話だか判らない。 俺は一呼吸してから、覚悟を決めて電話に出た。 「はい、もしも……」 『橘さん、誕生日おめでとうございます!』 「……!? あ、ありがとう」 聞き慣れた声が六つ重なり、鼓膜を破りそうな勢いで、俺の耳に飛び込んでくる。 間違いない、この声は――あいつらだ。 「橘さん、お元気ですかー!? そっちは暑くないですか!? いやこっちもかなり暑いんですけどね!」 先陣切って話はじめたのは、スピードのエース、神尾だ。 「ああ、暑いぞ。今の時期日本中のどこも暑いだろう」 「ですよね。すみません、神尾がバカな事言っちゃって」 「うるせー、深司! バカって言う方がバカだ!」 ……子供か、お前らは(いや、実際子供なんだが。俺も含めて)。 「どうしたんだお前ら、いきなり」 「俺たち、橘さんの誕生日お祝いしたくてしょーがなかったんですよ」 「でも橘さん誕生日は帰省してるって言うし。さすがに皆で旅行する金、無いですから、じゃあせめて電話でお祝いしようって」 「あ、杏ちゃんが、橘さん携帯家に忘れたとか教えてくれて、だから杏ちゃんの携帯にかけたんです」 「杏ちゃんが正午には黙祷してるって教えてくれたんで、じゃあ一分後に電話かけるって事にして」 「橘さん、石田もやってたんですよ、黙祷!」 「当然だろ。どうしてやらないんだよ、お前ら!」 入れ代わり立ち代り、次々と、後輩たちの声が電話の向こうから届く。一秒でも時間を惜しむように、沢山のくだらない事を、俺に伝えてくる。 ……まったく、お前らは。 「電話代、もったいないから切るぞ」 『えっ、まだ大丈夫ですよ、橘さん!』 悲しそうな六つの声が重なった。 「俺たち今日のために小銭沢山用意してますから!」 「その金でボールのひとつでも買え。気持ちは充分もらったから、もういい。ありがとう」 『橘さん……』 そんな、捨てられた子犬の鳴き声みたいな声出すなよ、お前ら。 「明後日には東京に帰るから。お前らこの暑さにもめげず体力有り余ってるみたいだからな、久しぶりにしごいてやるさ。話はその時にゆっくり聞く」 『…………』 「嫌か?」 『お願いします!』 「そうか。じゃあな」 俺は半ば強引に電話を切った。 まったく、なんなんだあいつらは。前から思ってたが、ろくな事考えねえな。 「兄さん」 「なんだ」 「すっごく嬉しそうね」 「……悪いか」 小さく首を振り、杏は言った。 「逆よ、逆。それでこそ兄さんに内緒で皆に連絡とったり、携帯貸した甲斐があるってものだわ」 杏は俺の手からするりと携帯電話を抜き取り、満面の笑みを浮かべる。ほんの少しだけ、意地の悪そうな笑みだ。 「片足の鳥居を見ながら平和を味わうのもいいけど、たまにはこんな平和の感じ方も、悪くないんじゃない?」 その杏の問いかけは、問いかけと言う形をとってはいたが、ひとつの答えを請求しているに他ならない。 つまりこの応答において、俺はほぼ杏に操られている形となるのだが。 それもまあ、悪くない。 「……だな」 決められた答えを返すと、杏はとうとう耐えきれなくなったのか、声を上げ、腹を抱えて笑いはじめた。 |