グランドキャニオン

 部活中の休憩時間、あるいは部活が終わった後の部室で、やつら六人はいつも雑談を交わしている――深司は居るだけで、会話に混じっているのかどうか疑問を感じる事はあるが。
 会話の内容は色々だ。その日の授業の事もあれば、昨日見たテレビの事、雑誌の事、音楽の事、家族の事、テニスの事……数え上げればきりがない。
 どうやら今日のテーマはいつもに比べれば壮大で、「十年後」についてだった。
「自分はこうなりたい」と言うよりも、「コイツはこうなる」と周りが勝手に決めつける、冗談なのかいじめなのか判断が微妙な内容ではあったが、聞いていると妙に納得してしまうし、何よりそれがやつらなりのコミュニケーションだと判っているので、俺は耳を傾けるだけで黙って部誌を書くために手を動かしていた。
「森はサラリーマンだよな、絶対。みんな名前を聞いた事はある、ってくらいの、ギリギリ一流企業って感じ」
「なんで会社のランクまで決めるんだよ。しかも結構生々しくてイヤなんだけど」
「いいじゃん一流企業なんだから。内村なんて絶対フリーターだぜ、フリーター」
「うっせ! バイト掛け持ちしまくって、森より稼いでやるから覚悟しろよ!」
 十年後はフリーターになると言われて、否定しないのか、内村。
 まあ人生なんてそれぞれ正しいと思うべき道を選ぶべきだからな。犯罪の道に走るならばもちろん止めるが、自分で金を稼いだこともない俺が、フリーターと言う選択肢を間違っていると決める事はできないのだから、とりあえず今は見守っておこう。
「神尾はどうだろうな」
「大学生じゃない?」
 ボソリ、と呟くのは深司だ。この雑談で、はじめて深司の声を聞いたような気がした。
「どーゆー意味だよ深司!」
「大学二浪とかその辺」
「むっかつくなーお前! ぜったいスポーツがらみで推薦とってストレートで大学入ってやるから、覚悟しろよ!」
 神尾、それは学業ではストレートで入学できないと自分で肯定しているようなものだぞ。
「橘さんはどうなるんだろう」
 六人分が話し終わったところで、この話題は終わるのだろうと思っていたのだが。
 石田の発言に合わせて、六人分の視線が俺に集まり、俺はシャープペンを動かす手を止めざるをえなかった。
「やっぱ橘さんはプロテニスプレーヤーですよねえ! 四大大会制覇!」
 机に両手をついて、身を乗り出し、目を輝かせて神尾は俺に迫る。
 難しい質問してきやがって。
「どうだろうな。プロを目指すならば頂点を目指して鍛錬を積むつもりだが、その前にプロを目指すかどうかを決めなければならない」
 どう答えていいか判らず、とりあえずそう返したところ、神尾は納得してくれたようだった。
「もし橘さんがプロのプレーヤーにならなかったとしたら、なんだろうな」
「したら当然、板前だよ!」
 当然なのか!?
「そうだな、橘さん料理上手だもんなあ。一流料亭とかで修行して、いつかは自分の店持って!」
「あー、すっげー似合う! 橘さん、板前、決定!」
 勝手に決めるなよ。
 とは、思ったものだが。
「まあ、それも選択肢のひとつとしてはありだな」
 そう、正直に思った事を返してみた。
 人生何が起こるかは判らない。少なくとも俺にとって、料理人を目指すと言う道は、充分ありえる事だと思う。
「でも橘さんみたいな器のでっかい人には、なんかこう、俺たちには考えもつかないスケールのでっかいことやって欲しい気もする」
 今度はどんな職業を出してくるつもりだ。
「冒険家とか?」
 おい深司。それはいくらなんでもスケールでかすぎだろうが。
「それいい! すごくいい!」
 いいのか!? 森!
「橘さん、世界の各地から、写真とか送ってください!」
 もう決定事項かよ、石田!
「カッコいいだろうな〜、橘さん、インダス川のほとりにて、とか」
「エアーズロックを見上げる橘さん」
「橘さんwithナスカの地上絵」
「バッカ橘さんくらいの人となればもっともっとスケールがでっかいとこだろ!」
 いや、インダス川もエアーズロックもナスカの地上絵も充分スケールでかいぞ、内村。
「橘さんinグランドキャニオンとかな!」
「うわ、かっこいい!」
「だろだろ!? 橘さんっつったら自然の脅威だ!」
「グランドキャニオンの夜明けとかだったらもっと壮大な感じだよな」
 桜井、お前までこの話に乗るのか……。
 俺はシャープペンを置いて、部誌に向けていた視線を上げる。
 妙に楽しそうに語るこいつらの昂揚感を、目の輝きを、奪ってしまうのはとても胸が痛いのだが。
「悪いが、俺は冒険家にはならんと思うぞ」
 ありえない想像にこれ以上夢を膨らまされても、俺には対処のしようがないので、仕方なくはっきり言ってしまった。
 すると六人は(中でも特に神尾と森が)、ありありと落ちこんでしまう。
「そうですよね……橘さん、そんな事しないですよね」
「美人な奥さんとかわいい娘さんを日本に置き去りにしちゃいけませんよね」
 そうか。お前たちの中の十年後の俺は、結婚して娘が産まれているんだな(もうこの程度の事が勝手に決められていても驚く気にもならない)。
「似合うのになあ、橘さんとグランドキャニオン……」
 そこまで寂しそうに呟かなくてもいいだろうが、深司。
 ……まったく、お前らは、本当に。
 俺は自然と笑みがもれてくる自分に気付き、頭を抱える。
 壮大な自然の芸術が似合うと言われる事は、おそらくとても光栄な事だ。
 いや、そもそも、十年後の自分を想像してくれると言う事や、十年後の自分とまだ付き合いを続けたい(写真を送ってくれと言うのは、そう言う事だろう)と言ってくれる事が、光栄な事なのだ。
「判った判った。冒険家はさすがに無理だが、お前らの言う通り美人の嫁さん貰う事になったら、新婚旅行はアメリカに行って、グランドキャニオンを背景に写真とってきてやるから。朝日は無理かもしれないけどな」
『ホントですか!?』
 そこまで喜ぶ事か?
 とは少々思いつつも、そんな些細で単純な約束に喜んでくれるこいつらの存在が、嬉しいと思う。
「ああ、約束だ」
 俺が力強く言い切ると、六人は顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。


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