「でさあ、南〜」 「あ? 何だ?」 「俺、熱海なんていいかなって思ってんだけど、どう?」 千石は、変な奴だ。 人を(主なターゲットは俺なんだが)おちょくるのが好きなんだろう、からかう才能は天下一品。飄々としていて、突拍子もない行動ばかりをとる。笑っているかと思えば怒っていたり、怒っているかと思えば落ち込んでたり、なんて事もある、掴みどころのない厄介な奴(そんな奴だとうっかり理解してしまったがために、俺はこいつの一番のターゲットになってしまったんだろう……)。 まあともかく、千石はそんな奴だから、意味不明な事を突然言い出すのは日常茶飯事で、それに付き合うと多大な体力と気力の消耗に繋がると、判ってはいるんだが。 「……何が熱海なんだ?」 突然熱海なんて地名を出す千石の思考回路にうっかり興味を持っちまった俺は、ついつい訊ねてしまった。 「何がって、卒業旅行に決まってるじゃん。まったく、南ってば何聞いてるのさ」 何も聞いてねえよ。 いや、「熱海はどうだ」とは、聞かれたが、それだけで卒業旅行の話だって理解できる奴、いねーだろ、普通! しかも今まだ、夏がはじまったばかりだぞ? これから全国大会だぞ? なんで半年以上も先の卒業旅行の話を今しないとならないんだ? そもそも、なんで千石と卒業旅行に行かないとならないんだ? 俺が疲れるだけじゃねえか! 「やっぱりさあ、遠くに行くのは面倒じゃん? でもディズニーランドとか鎌倉なんて日帰りで行けるし、日光とかあっち方面は小学校の修学旅行で行ったし、そうすると熱海くらいならちょうどいい距離で、しかも温泉気持ち良さそうかなって思ったんだよね」 「勝手に話を進めるな」 千石はきょとんとして、ゆっくりとした瞬きひとつ。 「やっぱ熱海じゃ爺くさい? 判爺が喜んで行きそうなトコだもんね〜。じゃあ南、どっかいいトコ探してよ」 「そうじゃねえって」 一応反論はしてみたんだが。 千石が聞き入れるわけもなかった。 俺、この学校入って、こいつと同じ部活に入って――それからかもなあ、諦めが良くなったのは。 まあいいか。卒業旅行自体は、悪い事じゃねえし。どうせ高校でも同じ顔ぶれなんだろうが、ひとつの区切りって事で。 「判った判った。お前の言う通り、熱海でいいんじゃないか?」 「マジで? やっぱなー、南は喜ぶと思ったんだ。日々疲れがたまってそうだから、温泉好きなんじゃないかって」 日々疲れがたまってるのは98%お前のせいなんだけどな。 「よし、じゃあ熱海は決定! あとは旅行のメンバーを誰にするかだね。ま、東方と、新渡米と、錦織は決定だけど」 「まあ、そうだな」 俺が相槌うった後も、千石は部員たちに視線を巡らせて考え込んでいた。 まあ、皆と行きたい気持ちは判るんだが。 卒業旅行なんてあんまり大人数で行くと面倒だから(どうせ俺が引率役だろ)、そのくらいの人数にとどめてくれた方がありがたいんだけどな。人数が多いと小回りがきかなくなるしよ。 「あ、そうそう!」 ぽん、と千石は手を叩いて。 「やっぱ喜多くんも誘わないとね! 新渡米寂しいだろうし!」 俺は、言葉では返事をしなかった。 振り返って、千石の両頬を思いっきりつねって、左右に引っ張る。 「ひはいほー、ひはひぃ!」 多分、「痛いよー、南!」と言ってるんだろうが。 痛くしてるんだから当然だろうが。こんな事で手を抜いてどうすんだよ。 「お前卒業旅行って言ったよな来年卒業しねー喜多連れていったらただの旅行じゃねーか意味ぜんぜんねーだろ根本的に間違ってるぞお前」 そして句読点のひとつも入れずにまくしたてた俺だった。 ある程度怒りも納まって、俺が千石から手を離すと、千石は両頬をさすりながら呑気に笑って。 「ああ、そっか、そうだねぇ。南ってば頭いい!」 なんてほざきやがるし。 ああ、疲れる。こいつの相手、ほんと疲れる。 きっと旅行中もずっとこんなんで、温泉に浸かっても疲れが癒されきらないんだろうな、俺……。 「じゃ、さっき言ったメンバーでいいか。いやあ、楽しみだなあ、卒業旅行。さっそく皆にも話してくるよ!」 半年以上も先の事で浮かれる千石は、うきうきとした態度で走りだす。 そんな千石と対象的に、俺は半年以上も先の事で気疲れしていた。 走り去る千石の背中を見つめながら、俺はふう、とため息ひとつ。 卒業旅行……できるだけ平穏に終わりますように。 |