砂礫王国

「――砂礫王国」
 暗闇に包まれたテニスコートを照らしだすライトの中で、ふと、深司が呟いた。ぼやいていた、と言うべきか。
 コート整備や片付けで居残っていた俺たち不動峰テニス部一年一同が、いっぺんに視線を深司に集めて。
「どうしたんだぁ? 突然」
 乾いた土埃で汚れたネットを折りたたみながら、アキラが訊ねる。
「別に。このあいだまでやってたゲームの、主人公の事思い出しただけ」
「あ、俺もそれやった。アレだろ? 魔物によって故郷を砂の王国にされた王子が、水と緑を取り戻すために旅に出るRPG。グラフィックは綺麗だったけど、モンスターとかムチャクチャ弱くて手ごたえなかったよなあ」
「うん、それ」
 拾い集めて両手に抱えていたボールを、ザラザラザラ、と籠に流し込む深司。
 それが合図だったかように、俺たちはしんと静まり返って、作業に戻った。多分皆、突然深司が言い出した事の意味を、理解したんだろう。
 俺たち皆、王子ってガラじゃねえけどさ(見た目の事だけ言えば、ま、深司が一番「王子」に近いかもな。性格的には……皆ダメだ)。
 このテニス部を砂礫の王国と例えるのなら、俺たちは、国に水と緑をもたらすために戦う王子。
 だけど、俺たちがどれほど頑張って耕し、水を撒き、芽吹かせようともがいても。
 俺たちの王国には、花が咲かねーんだ。
 たかが一年早く生まれただけで、実力も無いのにえらぶる先輩たちは、国をいっそう乾かして、荒らす役にしか立たねーつうか。
 理解不能な、意味の無い重圧に、俺たちは耐える事しかできなくて。
 今だって、意味もなくダラダラと遅くまで遊んでいた(アレは練習なんて言わない)先輩たちの後始末を、俺たちがやらなきゃなんねーし。
「そう言やあの王子のカミガタ、桜井と近くないか?」
 突然思い出したように、森が言った。
「そーなのか?」
「ああそーだそーだ。オールバックだったもん、あの王子」
 ……けっこうワイルドな王子だな。でも、ボサボサなアタマよりは王子っぽいのかもしれないな。
「じゃあ神尾は素早さだけがとりえでイマイチ使えなかった剣士だね」
「なんだよその言い方! そーゆーお前はヒロインと髪型おなじじゃねーか! 仲間たちの前で、ヘーキで王子にラブラブ言ってる恥ずかしい魔法使い!」
 深司にラブラブ言われるのは、嫌だな、俺。いや他のやつでも嫌だけど、中でも深司が最強に……キモいっつうか、怖い。
「石田はアレだな。最初に仲間になる僧侶。王子の幼なじみの」
「アタマ見て言ってるだろ、アキラ。まあ別にいいけどさ」
「でもそいつ、『頼んだぞ』とか言って、ゲームの中盤で死んじゃうよ。王子をかばって」
「え!」
 石田がでかい図体で振り返って、俺を睨みつけてきた。
「そうなのか? やだよ、そんなん。桜井だけずるいだろ」
 いやずるい言われてもな。
「別に俺が王子になりたいって言ったわけじゃねーしな」
 文句言うのも、睨むのも、相手間違えてんだろ、石田。頭だけ見て勝手にキャスティングしてるアキラ相手にしろって。
「そりゃそうか」
「そうそう」
「どうせ王子も死ぬしね、エンディングで」
「うわー、どうしてそう言う事言うんだよ深司! オレ、まだプレイ中なのに!」
「ああ、ごめん」
 森の必死の訴えと、しれっとした深司の返答に、周りにいた俺たち四人はおかしくなって、声を上げて笑った。
 そしてひとしきり笑ったあと、ふと、思い出す。
 そのゲーム、俺はまだやってないけど(強烈なネタバレくらったからもうやんないと思うけど)、確か発売したの三ヶ月くらい前だった。
 こんなくだらないテニス部なんかとっとと止めて、放課後にゲーム進めてたら、森もとっくにクリアしてたんだろうなあ。
「バカだな、森」
 俺が思わずそう口にすると、穏やかな森もさすがに怒った。
「あ? なんだよ桜井、いきなり! ムカつくぞ!」
「ワリ。森だけじゃないな。俺たち六人全員か、バカなのは。こんな目にあっても、まともにテニスさせてもらえなくても、試合ができなくても、それでも部活やめらんねーくらいテニスが好きなんだからさ」
 六人全員、向き合って。
 一瞬の沈黙の後、声を重ねて笑う。
「確かにな」
「バカだね俺たち」
「いい事言うじゃん桜井。バカだけど頭いい!」
「なんだそりゃ」
 俺はホメてんのかけなしてんのか判らない内村の頭を、帽子ごと肘でつっついた。
 ああ、俺もバカだよ。
 大好きなんだよ。テニスも、この、バカな仲間たちもさ。
 俺たちの砂礫の王国を、緑の王国にする方法があるんなら、俺は王子にでもなんにでもなって、石田とアキラと深司連れて、旅に出たっていい。死ぬのと、深司とラブラブするのは、絶対ヤだけどな。
「整備なんてテキトーでいーだろ。そろそろ帰ろうぜ」
「そうだな」
 アキラがネットを、石田と俺と森がボールの籠を担いで、部室に片付ける。それからライトを消して、着替えて、部室を出ると、しゃれになんねーくらい真っ暗だ。
「なあ」
 俺は並んで最後尾を歩くアキラに訊ねた。
「なんだよ?」
「森には聞こえないように答えろよ。そのゲームさ、最後はどーなんだ?」
「最後?」
 うーん、と唸りながら、アキラは腕を組んだ。こいつ、興味ねー事すぐに忘れるからな。あんまり面白くなかったんだろうな、そのゲーム(そーいやモンスターが弱いとか言ってたっけか)。
「ラスボスを倒すとイベントがはじまってな、そのラスボスが最後の力を振り絞って、王子と仲間を殺そうとするんだ。で、王子が皆をかばう感じで、ラスボスと刺し違えて。ラスボスが死ぬ事で、捕らえられていた水の神様が解放されて、国に緑が戻って、花が咲き乱れるんじゃなかったかな?」
 俺の頭ん中に、砂漠が一瞬にして草原に変わるイメージが湧きあがった。
「そっか。とりあえず緑は戻るんだな。よかったな」
 死んじまった王子は、ちょっと可哀相だと思うけどさ。何も残せずに死んじまうよりは、ちったあマシだろうし。
 それに、いつか俺たちの砂漠にも、草が生い茂って、もしかしたら花が咲く日が来るのかもしれないって……思えるしさ。
「あーあ、俺たちのトコにも来ねえかな、水の神様!」
 大きく伸びをしながらアキラが言った台詞は、俺が考えていたのとちょうど同じだった。


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