真昼の月

「深司くんって月みたいよね。しかも、真昼の」
 西の空に落ちかけた陽の光によって長く伸びた自分と杏の影。
 それらを眺めて考え事をしながら帰路についていた俺は、ちょうど考えていた人物の名を杏の声で聞かされ、少しだけ戸惑った。
「真昼の……月?」
「そ。だって深司くん、すごく綺麗じゃない? それなのに、影が薄いのかな……? すごく気付きにくいの。どうしてかしらね?」
「ふむ」
 なるほどな、と、俺は杏の表現力の豊かさに感心した。深司が「真昼の月のようだ」などと、俺では逆立ちしても出てこないだろう。
 しかし深司を月とたとえるならば、月の輝きに気が付かない決定的な理由は――辺りが明るいからではなく、雲に覆われているせいではないだろうか。
「杏は……気付いているか?」
「何を?」
「深司が顔を上げて前を見ているのは、テニスをしている時だけだと」
 杏は静かに息を飲み、黒目がちの目を見開いて俺を真っ直ぐに見上げてくる。
「言われてみればそうかもしれない。私、深司くんより背が低いから、それでも深司くんの顔覗けるから、気付かなかった。……だから、なんだ」
 悔しそうに唇を噛む杏の表情が、実に「杏らしい」と思えた。
 気付かなかった自分を攻める気持ち、悔やむ気持ち。今杏が抱いている感情は、俺は深司に出会ってからほとんど時を待たずして抱いた気持ちと同じものだろうから、手に取るように判る。
 しかし、今ここで杏が自分を責める必要は無いし、攻める意味も無い。意味の無い事のために、杏が傷付く必要は無い。
 俺は杏を落ち着かせるために、頭に手を置いた。
「俺は深司より背が高いからな。いつも深司の後頭部ばかり見ているぞ」
 すると杏はひどく悲しげな目で俺を見上げ、言う。
「兄さん、可哀想。あんなに綺麗な顔をなかなか見られないなんて、背が高いのも得な事ばかりじゃないのね」
 ……綺麗な男の顔を見て喜ぶ趣味は無いんだがな、俺は。
 まあ、わざわざ反論する事も無いか。
「俯いてばかりなのは、不動峰に入ってからなのかな。テニス部であんな目にあってから?」
「ああ、桜井はそうだと言っていたぞ」
「みんな、辛くて、たくさん傷付いていたんだもんね」
「ああ……そうだな」
「私たちが転入してきてすぐの頃、みんなの顔、すごく暗かった。でもだんだん明るくなって、今じゃ笑ってばっかりなのに」
「ああ」
 深司だって同じだ。他の奴らと同じように、楽しそうにテニスをしている。静かだが、楽しそうに笑う。
 違うのは、どこかに、微かに、影が見える事。
 他の連中より多く傷付けられたためなのか、元来他の連中より傷付きやすい性質だったのかは、まだ俺には判らないが。
「俯いてばっかりなんて、もったいないわよね! 綺麗に生まれた人は、それを回りに見せて幸せな気持ちにさせる義務があると思うの、私!」
 ……もしかすると。
 俺と杏の論点は、どこかずれているのだろうか?
 と、思わない事もなかったが、目的はどうあれ、求める結果が同じである事に間違いはないだろう。
「力が欲しいな」
 今以上のテニスの実力。それと同じほどに、あるいはそれ以上に、求める力は。
 あいつらを守り、導き、救えるだけの、力。
 これまで辛酸を舐めてきた分だけ、幸せにしてやりたいと思う。
「もう充分すぎるくらいよ、兄さん。きっと大丈夫。兄さんなら、深司くん、なんとかできるわ」
 俺を見上げながら微笑む杏がかけてくれる期待に、応えてみたいものだが。
「諦めるのは主義じゃないからな。努力はしてみるさ」
 俺は微笑み返しながら顔を上げ、赤く染まった空に、白い月を探す。
 暗くなりはじめた空の中で、容易く見つけられるほどに月は輝いている。
「やはり月は、夜空で堂々と輝いているのが一番だからな」
 杏が嬉しそうに頷いている様子は、見なくとも判った。


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