竜の牙

 不動峰中二年生一同、今年の社会科見学先は、なぜか恐竜博物館。
「恐竜博物館なんてって、最初は馬鹿にしてたけど、来てみたら結構おもしろいよな」
 ショボイ博物館だろうとタカをくくっていた俺は、まず博物館の面積に驚き、中に入ったら入ったで、想像以上のスケールにまた驚いた。同じ学年の他の連中より、軽く頭ひとつ分は背の高い石田でさえ、首を傾けて見上げなければならないものばかりだったんだ。
 たとえば、今俺たちの目の前に飾られている、恐竜の骨とかな。
 ホンモノ(化石)なのかレプリカなのかは判らないが(そこに小さな字で書かれている説明文を読めば、恐竜の名前と一緒に判るんだろうが、俺たちはそこまで恐竜に興味はない。見ておもしろいかつまらないか、重要なのはそこだ)、体長十メートルをこえるそれは、見ている俺たちに妙な威圧感と爽快感を与えてくる。
 こんなもんがずっと昔、肉ついた状態で、地球上で暴れまわってたんだよなあ。
「そうだな。金払ってまで来たくはねえけど、タダで来れるならいいよな」
 俺は骨から目を反らさずに、石田に答える。
「実際は親が払ってる授業料やら税金で来てるから、タダじゃないよ」
 すかさず、森のツッコミが入った。
「そりゃそうだけどよ、そうじゃなくて、自分の懐が痛むか痛まないかって問題だよ」
「ああ、そう言う事か」
 森はぽん、と手を叩き合わせて納得し、最後に一目、目の前の恐竜の骨を眺めると、歩みを進めはじめた。俺も石田も、森の後を追うように進む。
 コーナーが変わって、今度はガラスケースに納められた、薄汚れた化石。こっちはきっとホンモノだろうな。じゃあ、さっきのはレプリカか。
「肋骨一本で、こんなでかいんだな」
「さっきのフロアのヤツより、でかいかもな。こっちの牙も凄い」
「なあー、橘さん、今日はひとりで部活すんのかな?」
 ああ。
 俺たちがこんなに、こんなに、まともに社会科見学している中学生なのに。
 大体なんで、部活離れてまで一緒に行動してるんだ、俺たち。自由行動だから、クラスの枠を越えていっしょに行動するのは、別に構わないんだけどよ――石田と森と、あととりあえず静かにしてる、深司となら、な。
「お前が心配しなくても、橘さんは大丈夫だよ、アキラ」
 お前がひとり残されてるとかなら、危なっかしくて心配だけどな。橘さんはお前に心配されるほど落ちぶれちゃいねえよ。
「でも俺たちも、杏ちゃんも、今日は学校行かないだろ? したら橘さん、ひとりだからさ」
「部活を休みにすればいいだけだろ。橘さん、いつもあんなに練習してるんだから、今日一日くらい休んだって大丈夫……むしろ休んだ方がいいくらいだろうし、どうしてもテニスしたいなら、どっかのストリートテニス場に行けば相手はすぐ見つかる」
「えー、どこの誰だか知らない奴が、橘さんとシングルス対戦できるなんてずるくねえ!? 俺帰る! 帰って橘さんと部活するぜ!」
「学年全体で見学に来てるんだから、その和を乱すなー!」
 スピードのエースである神尾を止めるには、リズムに乗る前に止めるしかない。
 走り出そうとした神尾の腕を、俺の代わりに石田が、がっしりと掴んだ。
「今日は二年は社会科見学だろ。おとなしく化石でも見てろ!」
「興味ねえよ、そんなもん!」
「俺たちだって別にねえよ。でも見てるとけっこうおもしろいぜ?」
 とりあえず、アキラが逃げる気をなくすまで、石田に押さえててもらって。
 ブツクサ文句を言っているアキラを引きずるように、俺たちは先へと進む事にした。
 ――さっきからどうも内村が静かだと思ったら(こう言う時、真っ先にアキラに食ってかかるのは内村なのに)、内村のヤツ、ガラスケースに張り付くように、熱心に化石を見てる。さては内村、心底楽しんでるな、この見学を。
「見てても楽しくないぞ!」
 まだ文句言ってるよ、アキラのヤツ。
 深司だってボヤいてないっつうのに。
「本当に神尾はウザいよなあ……こっちだってこんな所に来たくて来てるわけじゃないのにさあ……橘さんとテニスしている方が楽しいのは当然だろ……俺が我慢してるのになんでお前がうるさいんだよ……」
 あ、ボヤいた。無視無視。俺のせいでも、博物館のせいでもない、アキラのせいだから、これはっ!
「ふう……お前らホント駄目なヤツらだよな。人間、どんな環境にあっても、『今』を楽しむ余裕がないといけないぜ」
 少しウキウキした感じの内村は、えらそうに俺たちにそう言ってきたけど。
 俺と石田と森は、ちゃんと今の環境楽しんでるって。
 それに橘さんがくる前、先輩たちへの文句一番言ってたのお前だろ。楽しんでなかったじゃねえか、あの頃のお前、あの頃の環境を。
「内村、けっこう楽しそうだよな。お前が一番文句言うかと思ってた」
「はっ、俺はアキラみてーにガキじゃねえんだよっ」
 俺が動く前に。
 森がアキラの口を塞いだ。ナイス、森! 公共の場で騒ぐのはよくないよな。
「いいか? 興味ないもんを見せられても、楽しむ事はできるんだぜ、コツさえ掴めばな!」
「コツ?」
「ああそうだ、たとえばコレ! 牙の化石だ!」
 内村は、なんとかザウルスの牙の化石が納まったガラスケースを、ぺしぺしと叩いた。あんま指紋とか残すなよ、あとで掃除する人が大変だから。
「こんだけの牙を持ってる恐竜だ、すっげえ、でっかいだろ? 人間ひとりくらいペロッと丸のみできるくらいには」
「うん」
「そんな恐竜に追われて、慌てふためきながら逃げ惑うアキラとか想像してみろ! 楽しくてしょうがない!」
「うーちーむーらーぁ!」
 人間、いざと言う時は、クソ力がでるもんで。
 アキラは森と石田の手から這い出して、内村に飛びかかった。
「このアホ……!」
 俺は頭を抱えつつ、石田や森や深司に視線を送る。
 三人は俺の視線の意味を理解してくれて、呆れ混じりのため息を吐きつつ黙って頷いてくれたから、俺たち四人はそっとその場をあとにした。
 悪いなふたりとも、俺たちは橘さんほど偉大じゃないから、お前らを止めてやれないんだ。

 翌日の放課後、ふたりが生活指導の先生に呼び出されたと言う話を聞いた時、「ああ、やっぱりなあ」と思ったもんだけど。
 それで部活に出るのが遅くなって、橘さんがふたりを心配していた時は、さすがに良心が痛んだ俺たちだった。


100のお題
テニスの王子様
トップ