名前

 ちょっとだけ、羨ましいと思っただけだもん。
 だから「いいなあ」って思って、お願いしただけだもん。
 なのに私の気持ち、海堂センパイはぜんぜん判ってくれないから。

「朋ちゃ〜ん……」
 冬は日が落ちるのが早いから、おひさまが今にも西の空に沈みそう。
 今日は天気がイマイチだから、空は赤黒く染まって、飲み込まれそうで、ちょっと怖い。
 でも、怖いけど、怖いからこそなんか、綺麗って言うか、カッコいいって思っちゃってさ……誰かみたいに。
「もう暗くなっちゃうよ。帰ろう?」
 屋上にひとり座り込んで、空を見上げる私の背中に、桜乃が声をかけてきてくれるけど。
「いや。帰らない」
 なんて意地張っちゃう私。
 ごめんね桜乃。
 私ってほんとヤな奴。桜乃は何にも悪くないのに、やつあたりなんかしちゃって。
 私がこんなにイヤな子だから、あんなに怒られちゃったのかな……。
 ううん、違うもん。私が悪いんじゃないもん! あっちが悪いんだもん!
 いいじゃない、別に。私たち付き合ってるんだからそれくらい!
「いいから桜乃は帰りなよ。大石センパイ、下で待ってるんじゃないの?」
「そんな、こんなに暗くなってるのに、朋ちゃんおいて帰れないよ……」
 私がおもいっきりトゲトゲしく当たってるのに、桜乃は怒りもせずに私の事心配してくれる。
 そしたらなんだか私は、すごく惨めになって、泣きそうになったから、膝を抱えてそこに顔をうずめた。
「ねえ朋ちゃん。その、何があったかとかも話してもらえない? お昼休みからヘンだもん、海堂先輩と何かあったんでしょ?」
 ……バレてるし。
「桜乃だって大石センパイとした喧嘩の内容教えてくれないじゃん」
「そ、それは」
 桜乃は困ったように口ごもる。
 ああそうか。まだ喧嘩したことないのか、桜乃たちは。
 大石センパイはすごく優しいから。
 ちょっとしたお願いなんてすぐに聞いてくれて、きっとこんなくだらない事で、喧嘩したりしないんだ。
 いいなあ。
 いいなあホント。桜乃が羨ましいなあ。なんで私、大石センパイの事……はヤバいか。大石センパイみたいに優しい人、好きにならなかったんだろう。
 ううん、海堂センパイは海堂センパイで、判りにくいだけで、すっごく優しいんだけど!
「話したってね、駄目なの。無駄なの!」
「朋ちゃん……」
 桜乃の声が、寂しそうに影って。
 だって、桜乃じゃどうしようもないんだもん。
「もとはと言えば、桜乃たちのせいなんだから!」
「えっ?」
「ああもう! 桜乃も、大石センパイも、悪くなんかないんだから! でも、今桜乃と話したら私、もっともっとひどい事言っちゃうから、はやく帰って!」
 立ち上がって、振り返った、私の目に映ったのは。
 すごくショックを受けたような、桜乃の顔。
 そんな顔、させたくなかったから、はやく帰ってほしかったのに。大石センパイとふたり仲良く、楽しそうに帰ってくれれば、桜乃の今日は楽しく終われたのに。
「ごめん、桜乃……」
 私があわてて謝ると、桜乃は一生懸命首を振って、許してくれた。
「桜乃ちゃん」
 そんな絶妙なタイミングを見計らったように、ドアをくぐって屋上に出てきたのは、諸悪の根源――もとい、大石センパイ。
 ぽんって、優しく桜乃の頭に手をのっけて、いつも桜乃に向けている優しい目は、今は私に向けられてる。
 桜乃を傷付けた事、怒られるんじゃないかと思ってビクビクしたけど。
 大石センパイは、ただ優しく微笑むだけで。
「じゃあ小坂田さん、俺たちは先に帰るから、早く帰るんだよ」
「お、大石先輩!?」
「大丈夫だから」
 なんか、優しい事は優しいけど、意味ありげな微笑み。
 って言うか、こんなあっさり置いていかれるとは思わなかった。大石センパイ、誰にでも優しい人だから、女の子ひとり残していくような人じゃないと思ってたんだけど。
 ふたりの姿がドアの向こうに消えていくと。
 そしたら、薄暗い屋上にひとりぽつんって居るのが、急に怖くなっちゃって。
 ちょっと酷いんじゃないの、紳士だと思っていたのに騙されたわ、アンタなんかに桜乃は任せられないわよ大石センパイっ! なんて色々考えながらふたりを追おうとする私。
 でも、何歩か進んだ所で足が止まった。
 だって。
 だってそこには。
「……海堂センパイ」
「何やってんだてめぇは、こんな所で」
 相変わらずブアイソで。
 ポケットに両手入れて、睨むようにこっち見ちゃってさ。
 でも私はもう慣れちゃったもんね! そのくらいじゃ、ひるまないんだからっ!
「部活は?」
「今日はもう終わりだ」
「何でここが?」
「教えてもらった」
「誰に?」
 なんて、聞かなくても、判るか。
 ごめんなさい大石センパイ。心の中とは言え、ヒドイ事沢山言っちゃって。やっぱり貴方は紳士です。
「おら、帰んぞ、小坂田」
 海堂センパイはいつもどおりの口調で、そんな事を言う。
 いつもなら「はーい」なんて言って、喜んでセンパイの隣に並んじゃう私だけど。
 今日はゼッタイゼッタイ、そんな簡単にはいかないんだからね!
「いや」
「なっ……」
 海堂センパイは、ポケットから左手を取り出して、頭を抱える。
 目を伏せて、なんか困ったような、なんとも言えない表情。
 それから悔しそうに息を吐いて、左手を私に向けて伸ばしてくれた。
「帰んぞ……朋香」
 ――!!
 なんだ。
 なんだなんだなんだ。ホラ、やればできるじゃない!
「はーい!」
 私がセンパイに駆け寄って、差し出された手を取ると、
「現金な奴」
 ボソッと、センパイは呟いた。
 何とでも言ってちょうだい。タフじゃないと、恋する乙女はやってられないのだ!


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