まったく、越前のやつどこで昼寝してるんだか。 俺は、手塚からの簡易すぎるメッセージのこもった携帯電話を片手に、越前の姿を探していた。 食後すぐに眠ると牛になるぞ、なんて注意するつもりでは、もちろん、ない。次の試合は古豪六角中。越前が午後、最もいいコンディションで戦うために、食後の昼寝が必要だと言うのなら、止めるつもりはないんだ。 ただ、せっかくの手塚からのメッセージを、一刻も早く見せてやりたいと思った。いつもの台詞だから、わざわざ見せにくる必要ないなんて、言われてしまいそうだけど。 でも俺が今越前を探している理由は、このメッセージを見せるためだけではないから。 越前の事だから、放っておいたら試合開始時間になっても眠っていそうじゃないか。試合直前になっても来なかったら、すぐに迎えに行けるように、場所くらいは把握しておきたい。 そんな事を考えながら、試合会場をうろうろしている時に。 俺は、見てしまった。 俺の視線の先にはタカさんと桃が居て、その場には他にも他校の選手がふたり居た。ジャージのシンプルなデザインや色から考えて、あれは……六角中? 彼らの間に、何があったのかは、距離が離れすぎていて判らないのだけれど。 桃が、よろけた。 六角中の選手のひとりが、ラケットをふるった。 そして。 もうひとりの六角中の選手が、高く飛び上がり――ラケットをふるった方の選手に、回し蹴りを食らわせたんだ。 「…………なんだ、アレ」 と、回りに誰も居ないのに、声に出してしまう俺だった。 判らない。会話が聞こえないから、目に見えたものから推測するしかないのだけれど、どうしても、判らない。どういった話の流れになれば、桃がよろけ、ラケットが振るわれ、ジャンピング回し蹴りが炸裂する事になるのだろう。 桃城が回し蹴りをした方の選手から何かを受け取り、そうして彼らはすれ違い、事は片付いたようなのだけれど、俺は困惑したまま、その場に立ち尽くしていた。 まあ別に、揉め事ではないようだし。 回し蹴りをくらったのがタカさんか桃のどちらかであれば、「なんて事をするんだ!」って一言言ってやっただろうけれど、そうではなかったし。 うん、忘れよう。ちょっと不可解だけど、あとでタカさんたちに聞けばすむ事だし……こんな事気にせず、さっさと越前を探そう。それが今俺が取るべき道だ。 俺は困惑している自分自身を笑い飛ばすかのようにひとり笑って、くるりと方向転換する。 と。 「み、南……?」 そこには、ウェア姿の南が、呆然として立ち尽くしていた。 「大石……」 彼が、顔にあまり表情を出さず、俺の名前を呼んだ瞬間に、俺は南たち山吹がさきほどまで行われていた準々決勝で不動峰に敗北した事を思い出した。話によれば南たちダブルス1は勝ったらしいけれど、その喜びより、チーム敗北のショックの方が大きいだろう。 「あ、南、その……コンソレーション、がんばってくれよ。南たちとはまた、全国で戦いたい」 「ああ。それより今の、見たか?」 え?「それより?」って言ったか、今? コンソレーションや全国は、南にとってどうでもいいのか? そんなわけないよな? 「……今の?」 「お前んとこの河村と桃城と、一緒にいた二人……どこの選手だ?」 「多分、六角中だと思うけど? 次に俺たちと当たる……」 「六角中……千葉代表か!」 それまで、どこか陰りがあった南の黒い瞳は、突然きらきらと輝き出したように、俺の目には写った。そしてその目は、六角中の選手たちが立ち去って行った方向にそそがれている。 「どうしたんだ? 南。六角中の選手が、どうかしたのか?」 「どうもこうも! お前だって見ただろう、今の!」 「今の」って、タカさんたちと六角中の選手の、謎の交流の事、だよな? 見たよ。見たけれど。 どうして南がそんなに興奮しているのか、目を輝かせているのかは、さっぱり判らないよ? 「アイツは神だ」 「は? 神?」 「あの強烈な回し蹴り! アイツはツッコミの神だ! そう思わないか!? アレさえあれば、千石だって、黙らせる事ができるんじゃないか!?」 正気か南。 と、怒鳴りつけてやる事は、簡単だったけれど。 苦労性の南が千石の事で苦悩している事を俺は知っていたし、その苦労を今朝方目の前で見せられた。 あの時(に限らず、過去でもいい)、南が普通のツッコミではなくて、今六角中の彼が見せたジャンピング回し蹴りを千石に食らわせていれば――確かに千石は、多少なりともおとなしくなる、かもしれない。「賑やかでうるさいくらいの迷惑な奴を、引きこもりみたいに静かにできる」なんて怪しげな本を探して、読ませずとも。 そう考えると、南の興奮を無理に沈めるのは、かわいそうな気がした。 「俺、今すぐあいつに弟子入りする」 「正気か南」 今度は深く考えもせずに、俺は南に怒鳴りつけていた。 「何を言っているんだ、大石。俺は正気だぞ? お前もあの技、覚えておいた方がいい。絶対損はない!」 「回し蹴りを覚えるためにテニスをおろそかにしてコンソレーション負けたら損だぞ、南!」 俺が南の両肩を掴んで南の体を揺さぶると、南ははっと何かに気がついたように、目を見開いた。 そうだよな? 南。お前なら、俺の言いたい事、判ってくれると信じているよ。だって俺たち仲間だろう? 今朝方、お前がそう言ったんだぞ。俺たちは地味部長仲間だって。 「そうか……そうだよな。ありがとう大石。お前のおかげで、大切なものを思い出せたよ」 目を伏せて、しばらく微動だにしなかった南が目を開き、柔らかく微笑むと、俺はほっとして胸を撫で下ろした。 「とにかく今は、コンソレーションだよな。俺たちの目標は、全国なんだから」 「ああ、そうだよ、南。まずはコンソレーションだ」 俺は南の目を真っ直ぐに見て、頷いた。 南はまったく同じ事を、俺に返してくれる。 「コンソレーションに勝ち残ったら、あいつに弟子入りをお願いしよう」 「……」 もう、どうあがいても。 俺はお前を止められないんだな……南。 なんだか、ここまでくると、止める俺の方が間違っているような気がしてきたよ。 「そうだな、いいんじゃないか」 そうだ、いいに決まってる。そうする事で、南の心は安らかになるのだろうから……だから、俺に止める権利なんてない。むしろ応援してやらないといけないんだな。 「お前も一緒にどうだ」 「悪いけど遠慮するよ」 南の誘いは申し訳ないけれど、即答で遠慮させてもらって。 「じゃあ俺、仲間たちのとこ戻るわ。青学は準決勝、がんばれよ」 「ありがとう。南も、がんばれよ」 コンソレーションだけでなく、色々と、応援するべきところがあったから、俺はあえて何をがんばれとは言わないでおいた。 「やあ、大石」 「ああ、おはよう南」 次に南と顔を合わせた時。 南の輝いた目を忘れられずにいた俺は、間髪入れずに訊ねる事にした。 「回し蹴り、どうなった?」 本当に弟子入りしたのだろうかと、少しだけ南を心配していた俺だけれど、それでも南が嬉々として答えてくれるなら、それでいいかなと思っていた。 けれど、そうではなく、南は挨拶を交わした時の笑顔を瞬時にかき消して。 「コツだけは、教えてもらったんだけどな」 本当に弟子入りしたのか、南。 でも、教える黒羽も黒羽だよな……。 「次の練習日に、部室でためしたら、ほら、千石って動体視力いいだろ? あっさり見切られて、避けられちまったんだよ」 「……へえ」 「運悪くそこにロッカーがあってさ。つま先でおもいきりロッカーを蹴って、小指の爪が割れて血がどばどばでて、2、3日まともに練習ができなかった」 「……そうか。大変だったな」 「ああ。分不相応な事はやるもんじゃねえな。あれは神にだけ許された技なんだ、きっと」 うなだれる南の横顔が、とても悲しい。 俺は南とそれほど親しくなく、しょっちゅう顔を会わせているわけではないから、比較しても意味がないかもしれないけれど、今まで見た中では飛び抜けて悲しい笑みを浮かべていた。 だから俺は、再び誓った。 賑やかでうるさいくらいの迷惑な奴を、引きこもりみたいに静かにできるような本、もっと本気で探そう、と。 |