地下鉄

 桜乃ってときどき、うさんくさいくらいにかわいいと思う。
 いいなあ、ずるいよなあ桜乃は、なんて思わないこともないんだけど、そのかわいさと引き換えにあんだけどんくさいのかもしれないなあと思うと、やっぱり私は私でいいや、なんて思っちゃうんだけどね。
「ねえ朋ちゃん。地下鉄ってなんか、怖くない?」
 ふたりで買い物に出かけた日、地下鉄の駅で電車を待ちながら、突然そんな事言われて。
「はあ?」
 って、思いっきり冷たい声で、返しちゃったよ。
 そんな反応を思わずしちゃう私の方が正常だと思うんだけど、違うのかしら。
「あ、あれ? そんな事思うの、私だけかな?」
 私の反応に、桜乃がいきなり慌てだす。同意してもらえると思ってたってトコがすごいよ、桜乃。
「桜乃だけじゃないかもしれないけど、私の知る限りは桜乃しか知らないよ」
「そっかあ」
 ホントの事を正直に答えたら、桜乃はちょっと寂しそうに、俯いた。
 うーん、ちょっとかわいそうだけど。でもこんな事で嘘言って慰めても、しょーがないし。
「だいたい、地下鉄の何が怖いの?」
 なんて、とりあえず聞いてあげたりして。ああ、私ってなんていい友達かしら。
 でももしかしたら、なんかトラウマとかあるのかもしれないしね。何年か前、私たちがちっちゃかった頃、地下鉄ですっごい事件起こったらしいし……案外桜乃の近い知り合いが、その事件に巻き込まれてたりして?
 ……そうだったらどうしよう。私、ひどい事言っちゃったよね。桜乃の本気を、馬鹿にするみたいな。
「何て言うか……地上にあった線路が、地下にもぐる瞬間とかがね、ちょっと怖いなあって。真っ暗闇に、全部が飲み込まれちゃうみたいじゃない?」
 とりあえず、違ったみたいでひと安心。
「なんか桜乃ってば、子供みたい。結局暗いのが怖いんでしょ?」
「う……そ、そうなのかなあ」
「そうそう。そのうち慣れて、怖くなくなるって」
 私がそう言うと、桜乃はなんだか不満そうに口を尖らせたけど、すぐに納得したみたいで、満面の笑みで頷いて。
「うん、きっと、そうだよね」
 なんて言っちゃうから、やっぱりうさんくさいくらいかわいくて、ずるいなあと思っちゃったよ。
 その何日か後、デートの時に、海堂センパイに桜乃の名前を伏せて話したら、「竜崎ってヘンな奴だな」なんて言われて、いきなりばれちゃった事にびっくりしつつ(そりゃ、ばれるか。私が話す女友達のことなんて、90%以上桜乃の事だもん)、やっぱり私は私でよかったんだなあと思いなおしたけど。

 しばらくして、またふたりで買い物に行った時に、私たちは地下鉄の駅で電車を待ってた。
 そう言えば桜乃ってば地下鉄が怖いって言ってたなあってぼんやり思い出して、私はふと桜乃の表情を覗いてみたんだけど、怯えてる様子は全然なくて。
「ね、桜乃。桜乃こないだ、地下鉄怖いとか言ってなかったっけ?」
 なんて、確認のために聞いてみた。記憶違いとか、白昼夢とかだったら、ヤだし。
「え? ああ、うん、そう、この間は、言った、と思う」
 桜乃の返事が、なんか慌ててる。
 それにすっごく、ヘン。この間までは怖かったけど、今は大丈夫って事? そんなあっさり立ち直れるものかなあ?
「なんか、あったの?」
 って、聞いてみると。
 桜乃はちょっと俯いて、ちょっと顔を赤くして、小さく頷いた。
 ああ。
 もう、桜乃ってさ、素直で判りやすいよね! そこがかわいくて、ちょっとムカツクんだけどさ。
「何があったの?」
 大体の答えは予想できているのに、聞いてあげる私ってば偉いと思う。まあ、聞く動機の半分以上は、大石センパイがどんな恥ずかしい事言ったのかなあって興味があったからなんだけど。
「朋ちゃん、聞いたらきっと、怒るか呆れるよ」
「うん、判ってる。判ってて聞いているから、安心して」
「うーんと……」
 桜乃は恥ずかしそうに、少し黙ってたんだけど、何十秒か待ってたら勇気が出てきたのか、口を開いた。
「あのね、この間、大石先輩とでかけたの」
 だからそれは、判ってるって、なんとなく。
「その時にも地下鉄乗ったんだけど」
 うん、それも、大体予想がついてる。
「それで、桜乃は言ったんだ。私に言ったみたいに、地下鉄怖いって?」
「ううん、違うよ。そんな事言ってないよ!」
 あ、そうなんだ。それはちょっと、意外かも。
 でも確かに、ああ言う全身から優しさを醸し出しているような人相手に、「怖いんです」なんて言おうものなら、なんか無意識にしろ、狙いすぎって感じだよね。言わなくて正解かも。
「じゃあなんで?」
「その……大石先輩が、言ってたの。地下鉄っておもしろいよね、って」
 ……おもしろいかなぁ……?
「普通の電車と同じじゃない? むしろ、景色が見えないぶんつまらないと思うんだけど」
「あのね、先輩は、地下から地上に出るときが好きなんだって。真っ暗闇の地下から、外に出る時のまぶしさに、ちょっと感動するからって。それ聞いた時に、先輩は私と逆の考え方をしてるんだなあ、そう言う考え方もあるんだなあって思ったら、特に怖くなくなっちゃった」
 ……うーんと。
 えーっと。
 なんて反応していいか判らなくて、言葉に詰まっちゃうのは、きっと私だけじゃないよね……?
 他の誰が判ってくれなくても、海堂センパイくらいは、判ってくれるよね……?
 どうする? 海堂センパイ。このカップル、ふたりして、ワケ判らない事ばっかり考えてるよ。なんでたかが地下鉄で、そこまで考えるんだろうね?
「よかったね、桜乃」
 一分くらい黙り込んだあげくに、ようやく出てきた言葉は、それだけ。
 それでも桜乃は、「うん!」って、やっぱりうさんくさいくらいかわいく笑うから、いいんだろうけど。
 私はため息吐きながら、心底、悟っちゃったよ。
 やっぱり私は桜乃みたいにはなれなくて、それで、桜乃にはやっぱり大石先輩がお似合いなんだなってさ。


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