スカート

 どうしてだろう。その日、僕はたまたま部室でひとりきりになった。
 僕はいつもリョーマ君とか、堀尾くんとか、カツオ君とかと一緒に居るから、部室でひとりきりになるなんて今日がはじめて。
 なんだか心細くて、急いで体操服を脱いで制服に着替えようかと思ったんだけど、僕はふとしたひょうしに、入部した時から気になっているロッカーの上のダンボール箱に目を止めてしまった。
 なんなんだろう、あの箱の中身。
 あんまり気になるから、一度大石副部長に聞いた事があるんだけど……大石副部長は困ったように笑って、「気にするな。そのうち処分するから」ってだけ言って、どっか行っちゃったんだ。
 そんな事言われちゃうと、余計に気になっちゃうよね。普通。
「うーん……と」
 僕は周りをきょろきょろと見回した。
 大会を間近に控えるレギュラー陣がまだコートで練習しているから、掛け声やボールの跳ねる音が聞こえてくるけれど、部室の中には誰も居ないし、誰も近付いてくる様子はない。
 ごくっ、って喉を鳴らして。
 僕は勇気を出して、箱の中を覗く事を決意した。いつもなら絶対こんな事しないんだけど(こう言う事するのは、だいたい堀尾くん)、なんでか今日は、好奇心が勝っちゃったんだよね。
 僕の身長じゃ届かないから、箱の真下の位置まで椅子を引きずってくる。ドアはちゃんと閉まっているし、コートまで少し距離はあるから、聞こえるわけはないと思うんだけど、できるだけ静かに、音をたてないように。
 靴を脱いで、椅子の上にのって。
 手を伸ばすと……うん、なんとか届いた。
 箱の中身はあまり詰まってないみたいだ。そうじゃなければ、軽いものばっかり入っているか、どっちかだと思う。
 慎重に、ゆっくりと、僕が箱を引きずり下ろすと。
 同時に部室のドアがガチャリと開いた!
「何してるのかな?」
「うわっ!」
 僕はあんまりビックリして、椅子の上から転がり落ちた。手に持っていたダンボールは一瞬遅れて僕の頭の上に落っこちてきて、中身をぶちまけながらニ、三回ころがる。
「い、乾先輩!」
 足音も立てずに部室に近付いてくるなんて……怖すぎるよ……。
「まだ帰ってなかったのかい?」
「いえ、その、もう帰るつもりだったんですけど!」
「おや。懐かしいな」
 乾先輩は僕の返事を聞いたのか無視してるのか、僕のそばにしゃがみこんで、僕の頭にかぶさっているものをつまみ上げた。
 それはダンボールの中から飛び出して来たもので。
 赤い布? いいや違うや。赤い布で作られた……
「スカート?」
 見回してみると、僕がかぶっていたもの以外にもあと二着、同じような赤いスカートがダンボールから飛び出していた。他には白いレースのエプロンとか色々。カツラまであるよ!
「その通り。スカートだよ」
「な、なんで男子テニス部の部室にこんなものがあるんですか!?」
「ふむ、もっともな質問だな」
 僕は気持ち的に焦っていたんだけど(だって、勝手に部室の中を探っている所見つかっちゃったし、驚いてるし)、乾先輩はのんびりとした口調でそう返事してくれるだけで、そのあとは腕を組んで考え込んでいた。
「他に説明のしようがないからな。許してもらおう」
 なんて、独り言呟きはじめるし……許してもらうって、一体誰にだろう?
「お前は運がいいな。特別に門外不出のデータを見せてやろう」
 そうして乾先輩は、データノートをパラパラとめくると、とあるページを僕の目の前につきつけた。
 そのページには、僕と同じくらいの年のかわいい女の子が三人映っている写真がとじてある。女の子たちは全員、赤いスカートをはいていて。
 ……って言うか。
「あのー」
「なんだい?」
「一番左の女の子、不二先輩に似てますよね」
「不二だからな。一年の頃の」
 ……やっぱり……。
「じゃあ、真ん中の子は、菊丸先輩ですか……?」
 乾先輩はにやりと微笑みながら頷いた。そんな、嬉しそうな顔しないでくださいよ……。
「ああでも、彼らの趣味を疑ってはいけない。これは青学テニス部の伝統でね、毎年文化祭で一年生が三人、女装して売り子をすると言う決まりがあったんだ。もっともこの伝統は、手塚が部長になった時に廃止されてしまったけどね」
 その言葉を聞いて、僕はほっとした。
 だって手塚部長がそうしてくれなかったら、僕らの中で誰かが女装しなきゃいけなかったって事だもんね。僕なんか体小さいし、どっちかって言うと女の子顔だから、やらされる可能性高いもんね……ほんとよかった。ありがとうございます、手塚部長!
「普通皆女装を嫌がるらしいんだが、菊丸は『こんな時じゃないと女装なんてできない』、とのり気で立候補したんだったな、確か」
 昔からノリのいい人だったんだな、菊丸先輩。なんだかすごく、らしいや。
 でも確かに菊丸先輩の言う通りだよね。普段女装してたら変態扱いされちゃうけど、こう言うお祭りの時なら笑ってすまされるもん。だったら、こう言う時に一度経験しておいた方がいいのかも……いやっ、女装をしてみたいわけじゃないんだよっ、僕は!
「不二は一番小柄だった事もあって、ほぼ強制的に選ばれた。そして最後のひとりでもめたんだったな。俺と河村は問題外と除外されたんだが」
 うん、見たくないかも。失礼だと思うから言わないけど。
「手塚は確か生徒会役員で忙しいからと逃げたんだ。副部長権限も大いに利用してな」
「へぇー」
 口にしたらグラウンド五十周はさせられそうだから言わないけど、手塚部長の女装って、ちょっと見てみたいかもとか思っちゃった僕(皆思うよね?)。
 ……あれ? って事はこの、一番右側にいる子。
 菊丸先輩の影に隠れてる、大人しそうな、目の大きいかわいい感じの子。
 まさか!
「乾、まだストップウォッチ見つからないのか? 一番右下のロッカーに入ってるだ……」
 その時突然、部室のドアを開いて、体を半分覗かせた大石副部長と、部室の隅でしゃがみこんでいる僕の目が合った。
「大石副部長」
「おや大石。今ちょうど俺たちが一年の頃の文化祭の話で盛りあがっていたんだ。お前もどうだ?」
「一年の、文化祭……?」
 副部長の視線は、床に広がっている赤いスカートへと注がれて、そこから乾先輩が広げているデータノートに移る。
 いつも穏やかで、冷静な大石副部長の顔が、一瞬にして真っ赤に染まった。
「い、乾! お前なんて事してるんだ!」
「疑問を抱えていた後輩とコミュニケーションを図っているだけだぞ」
「な――……」
 言葉を失ってしまった大石副部長は、ズカズカと大股で僕たちのそばまで歩み寄ってくる。
 そして乾先輩のノートを奪い取ろうとしたんだけど、一瞬はやく乾先輩はノートを閉じて、引っ込めてしまった。
 大石副部長は行き場のない右手で胸元を押さえ、ひとつ深呼吸。
「……どっちが出したのか知らないけど、元の位置に片付けておけよ」
 だいぶ冷静さを取り戻したみたいだ。ダンボールの処置方法を指示すると、ロッカーからストップウォッチを取り出して、部室を出ていこうとする。
 やっぱり、怒ってるのかな。
 そうだよね。きっとむりやりやらされたんだろう女装した写真、隠したくてしかたがないだろうに、それを勝手に見られたら腹が立つよね。温厚な大石副部長だって、そりゃ怒るよ。
 ……どうしよう。
「すみません、あの、大石副部長!」
 僕があわてて声をかけると、大石副部長はぴたりと足を止めた。
「女装、かわいかったですよ! 本当に女の子みたいでした!」
 ガン! と、大きな音がなって、ビックリした僕は身を強張らせる。
 音の正体は、大石副部長が両手の拳をドアに叩きつけたから。
 副部長はそのまま滑り落ちるようにうずくまって、僕らに哀愁の背中を見せつけた。
 うわ、ど、どうしたんだろう。
「加藤。お前大石をフォローしたつもりなんだろうが」
「はい」
「むしろとどめを刺したようだな」
「え!?」
 そんな事、のんびりとした口調で冷静に言わないでくださいよ、乾先輩!
「ご、ごめんなさい大石副部長! 僕、悪気があったわけじゃないんです! その……」
 上手く言葉の見つからない僕が、慌ててそう謝ると、
「判ってる。いいからもう、放っておいてくれ……」
 搾り出したように苦しげな声で、副部長はそう言った。


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