手を繋ぐ

「寒い! 寒い寒い寒い!」
 着替えを終えてコートを着たアキラは、部室の隅に膝を抱えてうずくまった。少しでも暖を取ろうとしているのか、両手のひらをこすり合わせている。時々はー、って息を吹きかけながら。
「寒いって言うなよ。余計寒くなるだろ」
 内村がここぞとばかりにアキラを見下ろしながら言った。ああ、俺もお前の意見に賛成だよ。ただでさえ寒くてイラついてるのに、余計イラつく。
「うっせーな、俺は繊細なんだよ、こんな寒さに耐えられねーの!」
「繊細って言うより、根性無しなんじゃないの?」
「てめー、深司!」
 アキラは深司の(もっともな)意見に噛み付いたが、立ち上がる気力もないようで、うー、っと唸っているだけだった。
 まあな、アキラの気持ちが判らないわけじゃ、ないんだけど。
 でもウチはしがない公立中学だし、部員が七人しか居ない弱小部扱いだし(部員数と実績がないだけで、実力はあるけどな!)。
 部室にエアコン……なんて贅沢は言わない(教室にすらないからな)、せめてストーブを入れてほしいと夢見つつ、諦めるしかないだろ。東京よりも温暖な、九州から来た橘さんだって、何も言わずに我慢してるんだからな。
 つうか、寒い寒い言ってる暇があったら、走って帰って家の暖房であったまればいいのにな。
「誰か手、貸してくれよ〜」
 人に温もりを分ける余裕なんてあるわけも無く、叫ぶアキラに誰も許可してないんだが、アキラは一番近くに居た深司の手を掴み――即座に、放した。
「うわっ、なんだ深司、お前の手、すっげー冷たいぞ! お前、生きてんの?」
「死体が動くわけがないだろ……ほんとバカだよなぁ、神尾は……」
「てめー、深司!」
 なんて学習能力が無いんだ、アキラ。バカって言われても仕方ないぞ、お前。
「じゃあお先に失礼します、橘さん」
「ああ、お疲れ」
 深司は鮮やかにアキラを無視し、コートを着てマフラーをして手袋つけると言う完全防備で、橘さんにだけ挨拶して部室を出ていった――アキラから速攻逃げたな。卑怯だぞ深司……うまくやりやがって。
 それに、アキラはともかく、俺たちには挨拶してくれよ。なんかすごく深司らしいような気もするけどさ。
 少しだけ呆れてため息を吐くと、石田と森も同じ気持ちだったらしく、苦笑している。
「ちくしょー、深司のやつ絶対俺のこと馬鹿にしてるよなー」
 深司だけじゃねーよ、アキラ。言わないでおいてやるけど。
「神尾、いつまでそこに座っているつもりだ?」
 着替えを終えた橘さんが、未だ立ち上がる様子を見せないアキラのそばに寄った。
「もうちょっとあったまったら、って思ったんですけど……橘さん、もう帰ります? じゃあ俺鍵閉めときますよ」
「そう言うわけにもいかねぇだろうが。ほら」
 橘さんは、アキラに向けて手を差し出す。
「え……?」
「寒いんだろ。俺の手は温かいらしいぞ。冬になると、杏がしょっちゅう手を繋ぎたがるほどにはな」
「い、いいんですか?」
「そう聞かれると、いきなり嫌になるな」
 橘さんが手を引っ込めようとすると、そこはさすが「スピードのエース」の本領発揮ってなもんで、アキラの両手ががっしりと橘さんの手を掴む。
 遠慮しろよ、少しは。
「うわー、あったけ〜」
 まさにキラキラと目を輝かせて、って感じで、笑顔を浮かべるアキラ。このくらいでそんなに幸せそうな表情ができるなんて、こいつ普段どんな生活しているんだろうと思わず疑ってしまう。
「いいですね、いつも手があったかいって。それだけで人生得してると思いますよ」
 そうか? 冬場にわざわざ冷たい手をした奴に握られるのって、微妙に人生損してるぞ。橘さんは心が広いから、そんな事は思わないかもしれねーけど。
「そうでもないぞ」
 あ、もしかして思ってましたか? 橘さん。
「よく言うだろ。手が温かい奴は心が冷たい、ってな」
 そう言って橘さんは、微笑んだんだけど。
 それが少しだけ寂しそうに見えたのは、俺の気のせいなのか、どうなのか。
 一瞬だけ部室の中がしんと静まり返り、最初に動いたのは、森だった。森はアキラと同じように橘さんの手を握る。橘さんの、と言うか、橘さんの手を握ってるアキラに手を重ねる感じだったけど。
「橘さんの心が冷たいなんて、そんな事あるわけないじゃないですか!」
 森の言葉にはっとなって、俺たちも続ける。
「そうですよ! 本当に冷たい人は、こんな風に俺に手を貸してくれません!」
「橘さんほどあったかい人、見た事ないですよ、俺!」
「橘さんほど熱い人も!」
「だいたいそんなの、手が冷たいヤツが言い出した負け惜しみに決まってます!」
 最終的には、俺たち五人全員に手を掴まれて(?)、橘さんはびっくりしたようだ。目を見開いて、俺たちの顔をまじまじと見ている。
 そんで、突然ぷっ、て小さく吹き出して。
「フォローしてくれてありがとよ」
 と、重なった俺たちの手の上に、もう片方の手を重ねてくれた。
 その手はものすごく、温かくて。
 上手く逃げたつもりだろう深司のヤツ、可哀想だなあ、と思わずにはいられなかった。


100のお題
テニスの王子様
トップ