「家計を預る身として、これだけは言わせてもらうからにゃっ、手塚!」 英二は朝練に来るなり、着替えるよりも先に手塚のそばに歩み寄り、ビシッ! と指をつきつけた。 その時部室の中に居た連中は、何事かとふたりに視線を集めたのだけれど、当のふたりはおかまいなし、と言った感じだ。 無表情の手塚と、にらむように目を吊り上げた英二は数秒睨みあって。 「英二、いつ家計を預ったの?」 緊迫した空気は、タカさんのもっともなツッコミでいきなり穏やかになった。本人たちはともかく、ギャラリーの表情は笑顔に変わっている。 「だーもー、タカさん! そーゆー細かい事はいいの! 俺は手塚を許せないの!」 「どうしたんだよ英二。とりあえず落ち着いて……」 「これが落ち着けるかって!」 俺は英二の肩にぽんと手を置いたのだけれど、興奮した英二は軽く俺の手をはらった。 それから俺の方に向き直って。 「聞いてくれよ大石! 俺昨日、見ちゃったんだぜ! 手塚の悪行を!」 「手塚が悪行? まさか! 別の人と見間違えたんじゃないか?」 「見間違えるわけないだろ! こんな学ランの似合わない中学生、ふたりと居るか!」 「いや、手塚は学ラン似合ってると思うけど……」 中学生には見えないかもしれないけど、とは続けないでおく。 「それもどうでもいいから! とにかくさ、聞いてくれよ! 俺さ、昨日夕飯の当番、兄ちゃんと交換したのさー。それすっかり忘れて、桃たちとハンバーガー食いに行っちゃって、慌ててスーパーに買い物行ったのね! そしたらさ、ちょうど帰る途中の手塚が前歩いていたわけ!」 「うんうん」 「んでさ、手塚はおもむろに、スーパーの前に置いてある自動販売機に近寄って、財布を取り出したのさ!」 「うんうん」 まあ、学校帰りに飲み物買うのって、けっこう普通だよな? 手塚は比較的そう言う事しないけど、あれだけ一生懸命部活しているんだから、喉が乾いてしまう事くらい当然ある。 「で、何買ったと思う!?」 「うーん、手塚の事だからお茶系じゃないのか?」 部活中ならスポーツドリンクだけど、確か運動時以外はあんまり多量に飲まないほうがいいんだよな、スポーツドリンクって。手塚はそう言う事ちゃんと考えるから、普段は水かお茶を飲んでいるはずだ。 「そうなんだよ! こいつ生茶買ったんだぜ、500のペットボトル!」 「うんうん」 「許せねーだろ!?」 「う……ん?」 俺はついついそれまでと同じように頷きそうになって、「いやそれは違うだろう」と心の中で自分ツッコミしつつ、首を傾げた。 つまり、英二は手塚が生茶を買った事が許せないって事か? 英二は別に生茶、嫌いじゃないし。嫌いだったとしても他人が飲むのはその人の勝手だろう。 手塚が生茶を飲む事も、問題のある行為とは思えない。個人的にペットボトルはあまり似合ってないとは思うけど。 俺は訳が判らなくなって、訳が判らないのは自分だけかを確かめようと部室の中を見回すと、どうやら皆英二がなぜ怒っているか判らないようだった。ほっと一安心。 「ごめん、英二。俺には何が問題なのか判らないんだけど」 「あー!? なんだよ大石、大石も手塚の味方なワケ!?」 「いや味方って言うか……うん、今のところ、どっちかって言うと」 多分、部室中の皆だと思うけど。 「なんでなんでなんで!? だってさ、昨日スーパーで生茶安売りしてたんだぜ!? 108円! 消費税入れたって113円じゃん! そんで自販機で買ったら150円なんだぜ!? ありえねーよ、自販機で買うなんて!」 …………。 えーっと。 ……どうしよう。 「ほ、ほら、英二、手塚はスーパーの広告なんて見ないから、生茶が安売りしてるなんて知らなかったんだよ」 この説得の仕方もどうかと思うけど、他に何と言っていいか俺には判らなかった。 「安売りしてなくてもフツーに考えれば、自販機よりスーパーのが安いじゃん。まずスーパーん中入れって! まったく、神経疑うよな!」 「いやっ、それは、どうかと」 どうしよう。俺の神経も疑われそうだ。 家事をひととおりこなせる英二が所帯じみているだけで、俺……に限らず一般中学生男子が手塚と同じ立場でも、多分自販機で買ってしまうと思っていたんだけど、違ったんだろうか。 手塚は何の反応も見せないし。 助けを求めるようにタカさんを見てみたけど、なんか英二の意見に納得しているっぽく見える。気のせいかもしれないけれど。 「――英二」 「なんだよっ!」 とりあえず、そう、とりあえずは、英二の怒りを治めなければならない。意見の正当性を確かめるのは後でもできるけれど、朝練はもうすぐはじまってしまう。それに遅れるわけにはいかない。 「想像してみろ。手塚の帰宅時間に重なったって事は、けっこう遅くにスーパーに行ったんだろう? タイムサービスとかはじまってたんじゃないか?」 「うん、もちろん。沢山買っちったよ!」 「そんな、買い物に燃えるお母さんたちに紛れてレジに並んで、生茶一本買う手塚なんて、似合わなすぎておかしいじゃないか!」 自分でも間抜けだとは思ったけれど、俺は拳を握り締めて熱弁した。そんな俺を、英二は大きな目でじっと見つめてきて。 それから、じっくりと手塚の顔を見る。 僅かに目を細めて、今にも泣きそうな顔になって。 「手塚ぁ、お前、かわいそうだなあ」 いきなりそんな事を言いだした。 か、かわいそう……? 「お前、そんな顔に生まれて、そんな性格に育っちまったせいで、一生特売品とか買えないんだな。お買い得品を漁る楽しみも判らないんだな。それなのに俺、無神経な事言って……ほんと、ごめんな!」 英二はすっかり怒りが治まったようだ。同情を混ぜ込んだ笑顔で、手塚の両肩を何度も叩いている。 そして素早く着替え、ラケットを手に、部室を飛び出して言った。 英二が立ち去った部室の中には、不思議な静けさが漂って。 「英二って、おもしろいよね」 沈黙を破って、タカさんがぽつりと呟く。 それはまあ、そうだけど。俺も英二はすごく楽しい奴だと思う。 けど、気分屋とか無邪気とか、そう言う言葉で片付けていいんだろうか、とちょっと考える今日この頃だ。 「大石」 手塚の低い声が、再び部室の中に沈黙を呼び込んで。 「どうした? 手塚」 「俺はそんなに不幸なのだろうか?」 真顔で聞いてくる手塚に、俺は笑って答えるしかなかった。 |