俺たち山吹中テニス部一同は、関東大会会場に集合した。 よく「千石率いる山吹中」とか「山吹に部長は居ない」とか言われてるらしいが、一応部長は俺だ。集合の号令をかけるのも、気合入れるための掛け声も、俺の役目。 中心に立って、集まった仲間たちに視線を巡らせて。 「……太一はまだ来てないのか?」 ひとり足りない事に、その時ようやく気がついた。 「いや、来てるよ〜。さっき見たもん」 飄々とした笑顔で答えるのは千石。こいつは何気なく部員の動向を見ているから、時々役に立つ。まあ、その動機が部員の事を気にかけているからではなく、隙を見つけてはからかいたいからってのが、副部長としてはどうかと思うんだけどな。 「じゃあ、今どこに居るんだ?」 「さあね〜? あ、でも」 「でも?」 「どっかでひとりで泣いてるかも〜」 千石の発言に、山吹中テニス部一同が騒がしくなった。 「多分今日、俺が一番はじめに壇くんに会ったと思うんだけど、なんか暗い顔してたんだよね。壇くん、って声かけてみたら、泣きそうな顔して逃げられちゃった」 「追いかけろよ!」 「ちゃんと追ったよ。でも壇くん体ちいさいいから、人ごみ上手くすり抜けて逃げちゃうんだもん。ありゃ俺には無理だよ」 無理だよ、ってなあ、お前! まあ、正直な事言っちまえば、太一はまだウチの戦力にはなりえないから、太一ひとりが居ないからって試合は問題なくできるんだけど。 それでも、太一が心配じゃねえか。 「今度からそう言う事は早く言えよ、千石!」 「あ、南、どこ行くの?」 「太一を探してくる」 俺は部員たちの間をすり抜けた。 探すったって、あてはないけど、放っておくわけにもいかねーし。 さすが関東大会の会場ってだけあって、けっこう広いんだよなこの会場。どこから探すかな……聞き込みとかした方がいいのか? 「待て南!」 走り出そうとした俺を呼び止めたのは、相方の東方だった。 「んあ? なんだよ! お前らもウォーミングアップがわりに走って探しに……」 「太一だ」 部員たちの視線が、ちょうど俺が向かおうとしたのとは逆方向に集中している。 よかった、走り出す前に止めてもらえて、なんてのんびり思いつつ、俺は体を反転させて皆が見ている方向に走った。 そこに居たのは、太一と。 「橘……」 不動峰の部長、橘だった。 「部長の南だな?」 うわ、こいつちょっといい奴だ。抽選会に一緒に来ていた神尾とか言う奴と大違いだ。 まあ、都大会と抽選会の二回も顔合わせてんだから、いいかげん覚えてもらわねーと立場がないんだけどな。 「太一、お前どこ行ってた! 心配させやがって!」 「す、すみませんです! ちょっと……その」 「人生相談を受けていた」 ……人生相談? 橘がいい奴で、頼り甲斐がありそうだってのは、認めるけど。 まず最初に、山吹の誰かに相談しようって気には、ならなかったのかよ、太一。それって仲間とか、先輩として少し寂しいぞ、俺たち。 まあ、頼ってもらえなかった俺たちにも、問題はあるんだろうけどな。 「悪いな橘。試合前にうちの部員が世話になった」 「いや、俺じゃない。ウチの伊武深司って奴だ」 伊武? ああ、ええと……あれだな。都大会で室町と戦ってた奴。テニスするのに邪魔そうなロン毛の二年。 室町は「試合中ブツクサ言ってて気持ち悪かったッスよ」とか言ってたな。そんな奴に何を相談したって言うんだ? あいつならまだ俺の方が頼り甲斐あると思うぞ。 「俺は挨拶のついでに送りにきただけだ。あとの話はそちらでつけてくれ」 「ああ、ホント、ありがとな」 「気にするな。それより……関東の借りは今日返させてもらう」 「負けねーよ。関東に続いてうちの二連勝だ」 差し出された橘の右手と、俺はしっかり握手する。 なんかアレだな。自分で言うのもなんだけど、俺今すげー部長らしいな。 立ち去る橘の背中を見守りながら、俺はなんとなく嬉しくなってしまった。 ……これってもしかしなくても自己陶酔か? 「あんま心配かけるなよ、太一!」 自分をごまかすように、太一に頭に手を乗せる。しゃがみこんで目線を合わせ、太一の顔をじっくり見ると、ずいぶん泣いていたんだろう、目が真っ赤だった。 朝っぱらからこんなに泣くなんて、一体何があったんだ? 「すみませんです、南部長」 「……理由とか、聞いてもいいか?」 太一は少し戸惑ったけれど、なんでか頬を赤く染めて、こくんと頷いた。 「その、僕、ちょうど乗った電車が、通勤時間帯だったです!」 お前に限らず皆そうだよ、ってツッコミはしないでおいてやろう。冷静に考えりゃ、電車に乗る時間がそれぞれ大きくずれるわけがないって判るはずなんだが……つまり冷静になれないって事だろ? 冷静な太一なんか見た事ねーけど。 「それで……その」 「ん?」 「電車の中で、その」 「何かあったのか?」 「ち、痴漢に……」 一瞬、頭の中がウチの制服のように真っ白になった。 ええと、どう言う事だろう。女と間違えられたのか? だとしたらその痴漢はずいぶんロリコンだよな。かと言って男だと判った上でやってたなら……うぇっ。 痴女だったら、まだなんとか救われるな、太一。 なんて、口に出す気はねーけど。 「す、すごく恥ずかしかったです!」 だろうな。 「それで、会場に来たら一番はじめに千石さんに会っちゃって、これはダメだと思って、逃げたです」 「ひどいな〜。どうしてさ、壇くん」 「酷くねえよ。お前邪魔。黙ってろ」 俺が太一でも逃げただろうよ。タダでさえダメージくらってるのに、抉られるに決まってるからな。 「逃げてたら、不動峰の人に会ったです。それで、不動峰の、伊武さん? ってひとなら、同じ経験ありそうだなって思ったんで、対策とかありますか、って聞いてみたです」 「……そうか」 そりゃ、俺たちに相談しねえよな。そんな経験がありそうな顔した奴、ここにはひとりも居ねえからな。とりあえずでも相談されたら、困る。 なんで相談してくれねえんだなんて思って悪かったよ、太一。 「で?」 千石が楽しそうに太一に尋ねる。 「で? ってなんです?」 「どんな対策教わったの? ほら、俺だってそーゆー目に合うかもしれないし、教えといてよ」 お前は絶対ねえよ。俺と同じくらいありえねえよ。東方よりはありえそうだけどな。 「ふたつ教わったです。でも、ひとつめは僕には無理みたいです」 「一応言ってみ?」 「ダダダダーン! なんと、怖そうな人を盾にするそうです! 伊武さんの場合、橘さんか、石田さんだそうです。でも、亜久津先輩止めちゃったから、僕にはできないです……」 そりゃ……すげえ痴漢対策だな。 確かに効果はありそうだ。石田や橘を超えてまで触るのは至難の技だろうし……例えば俺が痴漢だとして、あのふたりが伊武の知り合いだと判るそぶりがあったら、絶対触らないだろう。バレた時の報復が怖い。軽く殺されそうだ。 「でも、僕、がんばるです! もうひとつ教わったんで、そっちならなんとかなるんじゃないかと思うです!」 「どんなだ?」 「えっと、『痴漢って害虫以下の存在だよね、死滅するべきだよ……』とかボヤキ続けると、痴漢どころか回りに人が寄ってこないらしいです! こっちなら練習すれば、僕でもなんとかなりますよね!?」 試合会場で、橘に会ったら。 後輩のしつけはちゃんとしろって、言っておくべきだろうか。 などと本気で考える俺は、けして間違っていないよな……? 「まあ、確かに俺たちは、橘や石田みたいに強そうな顔もガタイもしてねえけど」 俺はできる限り平常心を装って、太一の両肩に手を置いた。 「何人か揃えば、お前を痴漢から守ってやる事くらいはできると思うから、だから、今度は一緒に会場来よう」 「南部長……」 「間違ってもそんなボヤキの練習、するなよ?」 太一は少しだけ目を潤ませた。 「ありがとうございますです、南部長!」 「よし、じゃあ今日も応援、がんばれよ!」 「はいです!」 最後にもう一度、必死に頷く太一の肩をぽんぽんと叩いて、俺は立ち上がる。 やばい新化を遂げようとした後輩を、正しい道に引き戻した事への誇りを、ひっそり胸に秘めながら。 |