「じゃーん」 西の空に夕日が吸い込まれて、部室は暗闇に包まれる。 そんな部室の中で、練習後にまったりと雑談を交わす俺たち(橘さんは、なんか職員室に行ってて、ここには居ない)の中に、沈黙を呼び込んだのは深司だった。 「なんだよ深司、『じゃーん』って。お前が言うとなんかサムいぞ」 「ツッコんでほしいのも注目してほしいのもそこじゃないんだけどなあ……」 「えー? じゃあこの、ハーモニカの事?」 俺やアキラがあえて無視しようとつとめた、深司の手に握られたハーモニカを、森が興味深げにしげしげと眺めた。 「そのハーモニカがどうしたんだ? 実はすごい値打ちものだとか?」 あーあ、石田まで話にのってやんの。お前ら本当にいいヤツらだよな。俺は深司が取り出したハーモニカに、カケラも良い予感がしない。関わりたくない、って心底思うってのに。 「別に。ただのそこらへんで売ってるハーモニカだけど。家に転がってたから持ってきてみただけ」 「なんで?」 「昨日テレビで見て、オモシロそうだと思ったんだよね……」 それだけ言って深司は黙り込み、森、内村、石田、俺、アキラと、ひとりひとりの顔をゆっくりと見回して。 「やっぱり身長が高い分、石田が一番大きいのかな……?」 「な、何が?」 ようやく石田も、深司が俺たちにとってあまり嬉しくない事を企んでいると気付いたらしい。じりじりと深司から離れようと後退する。 「口……」 「くち?」 「あ、判った、俺も昨日同じテレビ見てたわ」 どうやら、深司の企みに最初に気付いたのは、意外にも内村らしい。なんか楽しそうにニヤリと笑って、深司の隣にとたた、と駆け寄る。 内村まで嬉しそうなんて。かなりロクな事じゃないぞ……。 「ハーモニカまるごと口ん中入れて、音出してたアレだろ!? できたら、スッゲーよな!」 『は!?』 俺と、アキラと、森と、石田の声が重なって、ついでに視線も、深司と内村に集中した。 一番はじめに正気に戻ったのは石田のヤツで、石田はもう制服には着替え終わってたから、慌ててバッグを手に取ると、部室の入口の方に足早に向かう。 そりゃ、そうだよな。石田、狙われてんだもんな、深司に。逃げたくもなるよな。 けど。 「帰さないよ……」 石田よりも早く、深司がドアの前に立ちふさがっていた。うっすらと、不気味な笑顔浮かべながら。 内村も、石田を引きとめようとしたんだろうな、石田の腕に捕まっている。けど、石田みたいな怪力野郎からしてみれば、内村なんて障害にもならない子供みたいなもんで、平気でズルズル引きずっていた。父親におもちゃをせびって無視されているガキみたいで、かなりおかしい。 「一度生で見てみたいんだよなぁ……」 「どうしてもやりたきゃ、自分でやれよ!」 そりゃ、正論だ。 つうか見てみたいよな。口ん中にハーモニカつっこんでぴーぷー音出してる深司……。 「そんなの俺のキャラじゃないだろ……それに俺、明らかに口一番小さいじゃん……無茶言うよな石田……むかつくなぁ……」 あ、ボヤきだした。しかもかなり、俺ら的には不条理だ。 こんな時、ホントときどき、俺は、思う。 なんで俺らは、深司と友達とか仲間とか、やってるんだろうって。 でもきっと、そんな事をときどきしか思わないあたりが、友達とか仲間とかの、証なんだろう。 それが良い事なのか、悪い事なのか、わかんねーけど。 「とにかく俺は、やらないからな! 絶対に!」 ボヤいた深司に一瞬怯みつつも、石田はきっぱりとそう言い切った。 「そう……じゃあ仕方ないなあ……」 あれ、深司、わりとあっさり諦めたな。びっくりだ。 まあ、石田の身長やパワーを考えれば、拒否されたら無理強いなんて絶対できないもんな、深司の細腕じゃ。仕方ないかも。 ん? ちょっと待てよ。内村はもう深司の手下だし、石田は完全に拒否した。するってーと、残るは。 「!」 アイコンタクトと言うのが、この世にはあって。 サッカー用語だったような気がするけど、テニスでも通用しない事はない。ダブルスやってる俺らなんか、特にな。 でもこの時俺がアイコンタクトしたのは、ダブルスの相方である石田じゃなくて、内村と組んでる森の方だった。 「ア……アキラが一番口でかくねーか!?」 「そ、そうだよ、アキラだよな、やっぱ! それに深司とペア組んでるし!」 「は!?」 すまんアキラ。許せ。 俺は心の中でそう謝りながら(多分森も)、がっちりアキラの腕右腕を掴んだ。左腕は、森が抑えている。 「うわっ、こら、放せよ桜井! このヤロ森! てめーら!」 「まあそーだね。こんな事するのが似合うの、神尾くらいだよね……」 「どーゆー意味だ、それは!」 「やられキャラって事だろ」 内村……はっきりと痛い事を言ってやるなよ、こう言う時くらい。 俺はアキラがあまりに哀れで、心の中で泣いた。それくらいは、アキラのためにしてやろうと思った。 「ほんとやめろよ深司! 杏ちゃんが突然入ってきて、んなアホみてーな事やってるトコ見られたらどうするんだ!」 杏ちゃんに見られなきゃいいのか? アキラ……。 「そんな事言われてもなあ……部室の鍵を壊したのは神尾だろ? 神尾のせいなんだから、文句言われても困るんだよなあ……」 そもそもこんな事をしなければいいんだって結論には、辿り着かないんだな、深司。 「石田、お前見てないで助けろ!」 「えっと……どうだろう。なんか無理っぽいぞ」 「お前のバカ力に無理な事があるかー!」 「静かにしなよ。騒ぐと人が来るよ? こんな所を見られて困るのは神尾だろ……?」 深司、その口調は完全に性犯罪者だぞ。 と思ったのは俺だけでは無いようで、アキラを挟んだ向こうがわで、森が苦笑していた。 「はへほー!」 ハーモニカの半分が、アキラの口に埋まった時。 「お前たち、まだ残っていたのか?」 部室のドアが静かに開き、未だジャージ姿の橘さんが、姿を現した。 少し驚いた(呆れた?)ような顔で、じっとアキラ(と、アキラの周りにいる石田以外の全員)を見下ろして。 「何、してるんだ、お前たち」 「人体実験ですよ。人間の口の中にはハーモニカが丸ごと入るかと……夏休みの自由研究にしようかと思いまして」 嘘吐け。 「それはまあ、いいが」 いいんですか? そんな夏休みの研究……。 「神尾は嫌がっているようだから、そのくらいにしておけ、深司」 「はい、橘さん」 しぶしぶ、とばかりに引き下がる深司。さすが! やっぱ橘さんは偉大だぜ! (俺らもそーとー喜んでるんだけど)深司が治まった事に一番喜んでいるだろうアキラは、口からハーモニカが引き抜かれると、俺らを振りほどき、嬉しそうに橘さんの方に駆け寄った。 「橘さんは、職員室で何してたんですか!?」 「担任に呼ばれていたのを忘れていてな。大した事ではないのだが――そうだ神尾、これいるか? 担任にもらったんだが、俺はあまり好きではなくてな」 橘さんがポケットから取り出したのは、パックのリンゴジュース。果汁が半分くらいで、やたらめったら甘い奴だ。 「えー、いいんですか!? もらっても!」 「ああ、構わないぞ」 「うわー、ありがとうございます!」 アキラはもらったジュースを高々と掲げて、小躍りしているかのように、「へへー、橘さんにもらっちったぜー」なんて俺たちに見せびらかしながら、部室中を回る。 そう言う単純なところがやられキャラって言われる原因なんじゃないか、と思うのは、きっと俺だけじゃあないだろう。 でもなんかちっとばかりムカつくから、警告はしてやらない。 アキラが口ん中でハーモニカ吹くのも時間の問題だろうな、と俺は確信した。 |