シャム双生児

 図書室のあまり人が近寄らない一角に、二冊の写真集がある。
 一冊は戦争被害者、もう一冊はいわゆる奇形児の写真ばかりが集められていて、どんな学校にも道徳的な理由で置かれているんだろうけれど、普通の生徒は気味悪がって手に取らないものだ。
 小学校の図書室にも置いてあったんだよなあ、確か。
 僕が十歳になったかならないか、それくらいの頃、裕太と一緒に興味本位で手に取って……裕太はあまりのショックに泣き出したんだっけ。僕は泣きはしなかったけれど、やっぱりショックが大きくて、しばらくはその写真が脳にこびりついて、忘れられなかった。
 だからこそ、僕は写真と言うものに興味を持ったのかもしれないけれど――だからと言って、今日突然、この写真集が目についた理由にはならない気がする。
 まあいいか。きっとこれも、何かの縁なんだろうね。
 僕は無意識に手を伸ばし、黄色い表紙の写真集を手にとっていた。奇形児の写真の方だった。
 正直な所を言って、僕は未だに、これを出版した写真家や出版社の思惑が判っていない。何かを訴えようとしているのだとは感じるけれど、残念ながらまだ、僕はそれを受け止めきれない。
 ただ、思うのは。
 写真に取られた彼らは、写真に取られたその時、あるいは日常で、何を考えているのだろう、と。
「あれ? 不二?」
 名前を呼ばれて僕が振り返ると、ひとつ向こうの棚からタカさんが顔を覗かせていた。
「え? 不二?」
「不二だって?」
 追って、英二と大石も顔を覗かせる。
「どうしたのさ。三人揃って」
 英二はついさっき、用があるからと教室を飛び出して行ったんだけど……タカさんや大石と何をしているんだろう。しかも、英二にはまったく似合ってない図書室で。
「来週英語の小テストあるってセンセーが予告してたじゃん? だから朝さ、タカさんとふたりで、英語教えてって大石に頼んだんだ」
「なるほどね」
 タカさんはともかく、英二の教師役を引き受けるなんて、大石の人の良さには敬服するよ、まったく。
「不二こそここで何してるのさ」
 そうタカさんに尋ねられ、僕は返答に困った。三人みたいにしっかりとした理由を持ってここに居るわけじゃなかったからね。
「なんとなく、暇だから」
「写真集見ているのか?」
 英語の教科書と辞書を小脇に抱えた大石は、僕が手にしていた本を覗き込む。一瞬驚いて、空気が強張る感覚――まあ、予測もしてなく突然見せられたら、無反応ではいられないよね、普通。
 ちなみにその時僕が開いていたページには、腰のあたりがくっついている双子が映っていた。
「シャム双生児、か」
 さすが大石、博識だね。
「ソーセージ?」
「英二、ちょっとそのボケはお約束すぎるよ……」
 ボケたつもりのない英二に、そのツッコミは弱すぎるよ、タカさん。
「奇形の一種だよ。体の一部がくっついて産まれてきてしまった双子の事」
「うっ。そんな事あんの?」
「あるんだよ。写真見る?」
「いや、いいや……」
 英二の反応は、おそらくごく一般的と言えるものだった。
 僕は微笑みながら写真集をパタンと閉じて、けれどすぐにしまう気になれず、手に取ったまま考え込む。
 彼女たち(写真に映っていたのは、女の子の双子だった)は、何を思っていたんだろう。今もまだつながったまま生きているのだとすれば、何を思っているのだろう。
「やっぱり写真が趣味だと、写真から感じるものは多いのか?」
 ぼんやりとしていた僕の顔を、少しだけ屈み込んだ大石が覗き込んできた。
「不二は感受性強いもんね」
 タカさんは自分の意見にひとりで納得して、何度も頷いている。
 そうなのかな……そんな事言われたのはじめてだけど。
「感じるものって言うかさ、自分がこうだったら、いつも一緒に居なければならない存在に、どんな感情を抱くのかなって思ったんだ。体が繋がっていたって、思考的には完全に別個体だろう? 思想が食い違う時だって当然あって、喧嘩する事だってあって……それでも、常に一緒に居なければならないなんて、やっぱり苦痛なのかな」
 その上、家族からはともかく他人からは奇異の目で見られ、こうして特別視された上で写真に撮られて。
 なんだろう。同情しているつもりは、ないんだけど。
 なぜか複雑な感情が、僕の胸の中で渦巻いている。
「それは、難しい問題だよな」
「うん」
 大石とタカさんはそろって腕を組んで考え込むそぶりをみせた。
 英語の勉強に来たはずなのに、僕が投げかけた何気ない疑問を真剣に考え込むなんて……優しいふたりらしいな。
「そっかなー? 別に難しく考えなくてもいいじゃん。一番年が近くて、一番仲のいい、大好きな兄弟が、いっつも一緒にいて、でも誰にも怒られないってコトだろ? そりゃうっとーしーコトだって、辛いコトだっていくらでもあるだろーけどさ、俺らには一生わかんねーいいコトだって、なんかありそうじゃん」
 僕ら三人は、予想だにしなかった英二の意見に驚いて、英二に視線を集中させた。
「な、なんだよー! 俺ヘンな事言った!?」
「いや……どうだろう。変だったかな?」
「変と言えば、変かも。普通出てこないよね、そんな意見」
「にゃっ! また皆で俺をバカにするつもりか!?」
 まだ悪意のある言葉はなんにも言っていないのに、英二は勝手に身構えて、僕たちを睨みながら見回した。
 笑顔を浮かべながら優しいため息を吐いて、英二の頭に手を置くのは大石。
「馬鹿になんてしないぞ、英二。だって多分、英二が一番すごい意見を言ったんだからさ」
「そうなの?」
 英二は確かめるように、僕とタカさんを見つめてきた。
 僕と、タカさんと、大石と。困ったように視線を重ねて。
「世の中全部、英二みたいに単純に行けばいいんだけどね」
「やっぱバカにしてるじゃん!」
「馬鹿にされてると思うからいけないんだよ、英二」
 むきになる英二を、僕は軽くあしらう。
 だって僕は本当に、英二を馬鹿にしたつもりはないもの。本心から、ちょっとした尊敬を混ぜ込んで言ったんだから。
「ところで三人ともいいの? 勉強する時間、減っていく一方だよ」
「うわっ、そうだった大石、早く早く! 不二なんてほっといて!」
「ほっといてって……」
「いいよほっといてくれて。僕は今度の小テスト自信あるから」
「むっかー!」
「はいはい英二、判ったから大人しく机に座ろうな」
 僕に掴みかかろうとした英二を、タカさんと大石が左右から挟んで、引きずるように本棚の向こうに連れ去った。
 まったく、英二って奴は……ああだからこそ、英二なんだろうけどね。

 僕はため息ひとつついて、手放しがたかった写真集を本棚に戻した。


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