雨の日の日曜日の昼間は、なんか暇だった。 部活に出る予定だったから、当然他に何の予定も立ててなくて、テレビはつまんねぇし、特にやる事もなく、ごろごろしながら午前中を過ごした。 昼飯食って、なんとなく思い立ったように、俺は家を出る。服でも買うかなあ、ああでも今月あんまり金なかったんだ、本屋に立ち読みにでも行くかなあ、なんて考えながら、ふと通りすがったレンタルビデオショップの前で足を止める。 第三日曜日、レンタル料半額! なんてでかでかとのぼりが立ってて。 半額かあ、じゃあなんか映画でも見るかなあ。 思い立ったが吉日、ってなもんで、俺は自動ドアをくぐって店の中に入った。 このレンタルビデオはたまに来るけど、こんなに混んでんのははじめて見た。恐るべし、半額パワーってところか。俺も人の事言えないけどな。 俺は迷わず洋画のコーナーめがけて進んで。 あーあ。けっこうレンタル中のビデオ、多いでやんの。ちょっと前の話題作も、ほとんど全滅してるし。皆朝から狙って来てたんだろうなぁ。 深司みたいにブツブツぼやきながら洋画コーナーを進んだ俺は、一本のビデオに目を止めた。 それは去年、やたらと話題になった映画だったせいか、ズラーッと同じパッケージが並んでる。でもほとんどレンタル中になっていて、残っているのは一本だけだった。 ちなみに俺は、その映画を見た事がない。あんまり話題になりすぎていると、反発したくなるだろなんとなく。それにようやくテニスがマトモにできるようになった頃に上映開始だったから、映画館にいくよりもテニス! って感じだったんだ。 でもそろそろ潮時かな……続編の公開ももうすぐだし。ヒマだし、半額だし、よし、見るか! そう決意した俺が腕を伸ばしてそのビデオを手に取ると。 まったく同時に伸ばされた手が、ビデオをがしっと掴んだ。 なんだこいつこのビデオに目を付けたのは俺が先だぞコノヤロー、ぜってー譲らねー! と俺が顔を上げて隣の奴を見てみると。 「た……!」 「神尾か」 「橘さん!」 うわー、すげーぐーぜん! まあ、けっこう家が近いから、お互いこのビデオ屋の圏内ってのはあるんだけど、それにしても同じ時間にココきて、同じビデオ手に取るなんて、なんかすげえ! 「ど、どうしたんですか、橘さん、こんなところで!」 「どうしたと言われてもな……ビデオを借りに来た」 そりゃそうか。 「橘さん、このビデオ見るんですか? ちょっと意外ですね」 「俺と言うより、杏が見たがっていてな。出かけるついでに借りてきてくれと頼まれた。まあ、俺も一緒に見る事になりそうだが――と」 橘さんはふと、ビデオから手を放す。 「もうこれ一本しか残っていないようだな。神尾、お前が借りるといい。杏には無かったと言っておくから」 「いえっ、そんなっ、いいですよ! 橘さん借りてくださいよ! 俺、別にどうしても見たいわけじゃないですから!」 「杏もどうしても見たいわけではないと思うが……」 「いえ、ほんと、借りちゃってください! 俺、よく考えたら今月小遣いピンチなんですよっ!」 これは嘘じゃないぞ。ま、半額のレンタルビデオ借りれないほどじゃないけどな。 「しかし……」 「ホント、いーっすよ!」 ホント、いいんだ。 だって俺さ、その映画、テニスに比べりゃどうでもよかったから、見てなくて。そんで、そのテニスをやらせてくれたのは、橘さんだからさ。 こんな小さい事でも、ほんの少しでも、恩を返せたらと、思う。 それに、杏ちゃんにも楽しんでほしいし。 「神尾、これから暇か?」 「え? あ、はい、まあ」 ここで見栄張って嘘ついても、ビデオなんて借りに来ている時点でバレバレだから、正直に言った。 「よければこれからウチに来い。俺がこのビデオを借りるから、一緒に見ないか?」 え? え、え、えーーーーーー!? そ、それって、橘さんと、杏ちゃんと、俺と、三人で(橘さんの家族も一緒かもしれないけど)ビデオ鑑賞するって事、ですよね!? 「い、いいんですか!?」 「悪ければ誘わないぞ、俺は」 うわーうわーうわー。 どーしよう。俺なんか、すっげー嬉しい。キンチョーするけど! だってさ、だってなんか、俺と、杏ちゃんと、橘さんでのんびりビデオ鑑賞なんて、なんかほのぼの家族の肖像って感じがしねえ!? 映画の内容もちょっとファミリー向けっぽいとこあるから、ますます! 「ええっと、じゃあ、お言葉に甘えてっ! よろしくお願いします!」 そう言って俺が深すぎる礼をすると、橘さんは俺の頭をぽんて叩いて、楽しそうに笑った。 杏ちゃんに喜んでもらえたらなあ、なんて思って、俺は橘さんちに行く途中、安もんだけどケーキを買った。なんか、嬉しくて、リズムに乗って走るなり踊るなりしたい気分になったんだけど、ケーキが崩れちゃヤバイから我慢。 浮かれていると時間なんてあっと言う間にすぎるもんで、あっさり橘家に到着し、橘さんが玄関を開く。 と。 杏ちゃんがそこで、靴を履いてた。 ……あれ? 「あ、お帰りなさい兄さん。って……神尾くん?」 「や、やあ、杏ちゃん。おじゃまします……」 「遊びに来たの? わー、いらっしゃ〜い!」 なんて言って、杏ちゃんは、明るくて元気な笑顔を俺に見せてくれたんだけど。 「どこか行くのか? 杏」 「うん、ちょっとね。急に予定入っちゃって!」 「お前に頼まれたビデオ、借りてきたんだが……」 「ほんとー!? ありがと兄さん! 帰ってからか、明日以降見るから、おいといて! じゃあね、神尾くん、ゆっくりしてってね!」 杏ちゃんは爽やかな水色の傘を開くと、元気いっぱい、雨の中を駆け出して行った。 「あ、杏ちゃん!」 なんて一応声をかけてみるけど、杏ちゃんには届かなかったみたいで。 雨の音が、耳に痛い。 ついでに言うなら、胸にも痛い。 「とりあえずここは寒いから中に入れ、神尾」 「……はい」 「突き当たりのドアを開けたらリビングだから、そこのソファに座っていてくれ。コーヒーと紅茶、どっちがいい?」 「……コーヒーで……お願いします」 「判った、待ってろ」 俺は小さく頷いて、ケーキが三個入った箱を片手に、とぼとぼと廊下を進んだ。 橘さんが入れてくれたコーヒーはおいしくて、ケーキ(杏ちゃんのぶんは、俺が食べた)も甘かったけど。 どっか少しだけ、ほろ苦かった。 「アキラ! お前昨日、橘さんと遊んだんだって!?」 昨日のショックを微妙に引きずり、ジャージに着替えたあとも部室でしょんぼりしていた俺は、飛び込んでくると同時に叫ぶ内村の声で顔を上げる。 「あー、遊んだっつうか、一緒に映画見て、ケーキ食って、橘さんが入れてくれたコーヒー飲んだ」 俺が正直に答えると、 「うわー、ずっけー! 呼べよそう言う時は! なんだよ橘さんが入れてくれたコーヒーって! アキラのくせに生意気だぞ!」 内村が心底悔しそうにじたばた悶えてる。 ってか、なんで内村に「アキラのくせに」なんて言われないとならないんだよ。ただでさえヘコんでるってのに。 「そうだよアキラ! 俺なんか暇で暇でどうしようもなくて、家でぼーっとしてたんだぞ。橘さんと遊ぶなんてすっごく貴重な事、ひとりで体験するなんて、ずるいじゃんか!」 「それに俺ケーキ食べたかったんだよね……何自分たちだけで食べてるのさ……ムカつくなあもう」 内村に便乗して、森も、深司も、俺に文句を言いながらにじり寄ってきた。いや、深司は文句っつうか、ボヤいてるだけなんだけど。 でも、そうか……俺、杏ちゃんに突然去られた事がショックで、うっかり気付かなかったけど。 俺たちの恩人である、あの橘さんと、プライベートで遊んじゃったんだよな。ビデオで映画見て、ケーキ食って、コーヒー飲んだけだけど。 ふふん。 俺は得意げに笑って、胸を張る。 「へへっ、うらやましいだろ。しかも、帰りが遅くなったからって、夕飯までご馳走になったんだぜ〜」 だから単純だとかゲンキンだとか言われるんだって事は、自覚してるけど。 たまには俺がイイ目を見たって、いいじゃんか、なあ? その日の練習では、内村とか深司とかに、必要以上に顔面狙われた。 |