深夜番組

 手塚が居ない弊害の大きさは、ある程度予想がついているつもりだった。
 いや、その予測した大きさが、外れていたわけではないのだけれど――予想もしていなかった小さな不都合に、俺は少々驚いていた。手塚は良くも悪くも存在感が強い男だから、こんな、さりげない所で手塚の重要性に気付くとは思わなかったんだ。
 大した事では、無いんだけどな。
 関東大会二日目の朝、俺は集合場所にひとり、十五分以上も待ち続けている……たったそれだけの事。
 でも、いつもならば五分くらいぼーっとしていれば手塚が来てくれるから、なんだか変な気分だ。別に手塚がここに居てくれたところで、俺たちはどちらもおしゃべりな方じゃないから、何を話すわけでは無いのだけれど……それでも、あちこちから楽しそうな中学生の声が聞こえてくる中で、自分ひとりじゃないって事実は、けっこう気分を落ち付かせてくれるらしい。
 これが朝練だったら今頃海堂が居てくるんだけどな。他の連中より一分でも早く練習するためにか、あいつはかなり早く来る。
 けれど、大会の会場でできる練習なんてたかが知れているから、だろう。大会当日、海堂はあまり早く来ない(遅いわけでもない。英二と同じくらいだ)。家の近所とかでできる限りの練習をして、今頃こちらに向かっているだろう。
 さて。
 待ちくたびれた俺は、階段の端に座り込み、どうしようもなくぼーっと人の流れを見つめていた。色んな学校の制服やジャージが、俺の目の前を行ったり着たりする様を。
 あ。
 この個性的な、白ランは。
「あれ? 大石か。やあ、おはよう」
 山吹中の南だった。
 彼の方も俺の存在に気付いてくれたようで、挨拶をしてくれる。
「おはよう南。ひとりなのか?」
「俺は東方と一緒じゃないと駄目なのかよ」
 別にそんな意味で行った訳では無いのだけど、少しばかり南の気分を損ねたのは間違い無いようなので、俺は謝りながら苦笑した。
 なんとなく、個性ばっかり溢れている山吹中だけど、それでもいつも仲良く団体行動が主だよなあ、なんて思っていたから、南ひとりで歩いているのはめずらしいと思ってしまったんだ。
「他の皆はどうしたんだ?」
「さあ」
 さあって……それでいいのか、南。
「前、都大会かなんかで青学を見かけてから、賢いなって思って、見習う事にしたからな」
「え? 何を?」
「現地集合。前まで一旦学校の最寄駅に集まって皆で会場に来てたんだ。けど、これって誰かひとりでも遅刻したら山吹中そのものが終わりだろ。現地集合なら、そいつはずして別のメンバーで登録すればすむもんな。ホント、青学はクールでシビアで賢いよ」
 いや、別に、そんなつもりで現地集合にしている訳じゃないんだけど、うちは。
 それとも手塚。お前、そんなつもりで現地集合にしたのか?
 ……今度電話した時に聞いてみよう。
 俺はとりあえず、あはは、と乾きぎみの笑いで返して。
「青学はまだ誰も来てないのか?」
「まあね。多分もう少しすれば、ポツポツ集まりはじめると思うけど」
「早く来すぎたって事か」
「いつもの事なんだけどな。なんとなくそう言う性分でさ。それに今日は、部長代理なんかになったから、気負いすぎたのかもしれない」
「へー! そうか、そうだよな。手塚が不在なんだから、当然か」
 南は俺の何気ない言葉にびっくりしたらしく、目を大きく開いて俺を凝視した。
「って事は今、お前が青学の部長って思っていいんだな」
「代理だけどな」
「よし!」
 どうしてだろう。南はどことなく嬉しそうで。身軽な動作で、俺の隣に腰を降ろす。
 山吹中の制服は汚れが目立つから、こんなところに座らないほうがいいと思うけど。
「なんか、嬉しそうじゃないか?」
「そりゃそうだろ! 一時的とは言え、苦労を分かち合える地味部長仲間が増えたんだからな! 世の中にはカリスマ的な部長が多すぎて困るよな!」
 満面の笑顔を浮かべる南。
 そうか……そんなに嬉しいのか……。
 そう言えば、この間聖ルドルフの赤澤に練習試合申し込んだ時、なんか少し嬉しそうだったけど……同じ理由なのかな。赤澤はそんなに地味じゃないと思うけど、あそこはマネージャーの存在感が強すぎるから。
「そう言えばこの間な、どうも寝付けなくて、俺、深夜番組見てたんだけど」
「いきなり何の話だ?」
「いいから聞けって。ほら、深夜って変な通販のCMやってるだろ? 役に立つのか立たないのかビミョーなアイテム類! あの胡散臭い宣伝文句にうっかり騙されそうになる奴」
 俺は、朝が早いからあまり夜更かしをしないのだけれど。
 早朝にテレビをつけると、通信販売のCMをやっているのを見る事があるから、それと同じと考えればいいんだろうか。商品は時間帯によってテレビを見る年代が違うから、当然違っているだろうけれど。
 ちなみに俺が見るのは、マッサージ機とか明らかにターゲットの年齢層が高いやつ。
 確かに、宣伝上手いよなあ、ああ言うのに出てくる人たち。必要もないのにほしくなる時がたまにある。何年か前に見た包丁は本当に騙されそうになったよなあ。俺、特に料理するわけでもないのに。
「それで、その時見たのが珍しく、商品が本だったんだ。すっげー胡散くさくて!『ひっこみじあんの貴方も今すぐ吉本芸人のように人気者になれる!』とか言って、なんか性格改善の本みたいだった」
「へ……へえ」
 本当に、胡散臭いな、それ。
「俺、それを見てかなり欲しくなったんだ」
「えっ!?」
 俺は心底びっくりして、数秒、まともに声が出なかった。
「そんな本、必要ないだろう!?」
 南は地味かもしれないけれど、それはあくまでプレイスタイルの問題であって。性格は、そりゃ千石とかに比べれば地味かもしれないけど、わざわざ怪しげな本を買って改善する必要はないと思う。
「ああ、そんな本は必要ない。むしろあったら困る」
 ……は?
「逆があればいいなあと、思ったんだ。賑やかでうるさいくらいの迷惑な奴を、引きこもりみたいに静かにできるような本が。そうしたら俺、どんなに胡散臭くてもそれ買って、熟読して、千石に実践してみるんだけどな」
「…………そうか」
 そんなに、辛い事があったのか? 千石がらみで……。
 聞いてもいい事なのか判らず、とりあえず俺は、南の話の続きを黙って聞く事にした。
「それで、ああ言う通販ってなんかやたらオマケ多いだろ? ひとつ買うともうひとつついてくる、とか言ってさ」
「そうだね」
 俺が騙されそうになった万能包丁は、同じものをもう一本に加えて、果物ナイフとか、栓抜きとか、ソムリエナイフとか、電動スライサーとかついていた。スライサーをメインにするべきじゃないかなあ、って子供心に思ったもんだ。今でも思っているけれど。
「だから、同じ本がもう一冊ついてきたら、一冊お前に分けようかなと考えたんだ」
 いやいらないよ、別に。
 とは正直思ったけれど、南の表情を見る限り、それは純然たる厚意としか思えなかったから。
「ありがとう」
 って、俺は素直に言った。南の気持ち(だけ)は本当にありがたかったから。
「あっ、南はっけ〜ん!! どうしたのさこんな所で」
 話し込んでいる内になぜか俯き加減になっていた俺たちは、突然辺りに響き渡った陽気な声に顔を上げると、そこには南と同じ個性的な制服を身に纏う、茶髪の少年が立っていた。
「千石お前……相変わらず朝からテンション高いな」
「まあね〜って大石くんも居るじゃんっ。ひとり? 何? ホントにネオ地味's結成しちゃったの? 東方さっきあっちにいたから、挨拶した方がいいんじゃないかな〜。あいつウェアに着替えてやる気まんまんだったよ?」
「いや、結成してないから」
 それに、仮に結成したとしても、俺は怪我が治っていないから試合出られないよ。
「ふーん。まあいいや、それより見てくれよ南! あ、ついでに大石くんにも自慢しちゃおっ。こないだテレビ見てて、すっげーオモシロそうだからうっかり買っちゃったんだよねん」
 千石はバッグをごそごそと漁る。
 何だろう。テニスからみの道具かな? わざわざ今日持ってくるなんて。
 なんて少し興味をもって、千石に視線をそそぐ俺たち。
「じゃーん!」
 と、千石が俺たちに見せ付けたのは。
『ひっこみじあんの貴方も今すぐ吉本芸人のように人気者になれる!』と、帯に派手に大きく書かれた、一冊の本だった。
 ……これって。
 間違いなく、さっき南が話していた胡散臭い本、だよな。
「ほら、俺って慎ましやかでシャイな、まるでヤマトナデシコみたいな男じゃん? それってどうかなと思うんだよね。だからこれで勉強して、少しは明るく堂々としたキャラになろうかと思っ……」
「お前がこれ以上うるさくなってどうする!!」
 間髪入れず、南のツッコミが千石の後頭部に炸裂した。
 絶妙な、完璧とも言えるそのツッコミを見た時。
 もし早朝の通信販売で、『賑やかでうるさいくらいの迷惑な奴を、引きこもりみたいに静かにできる』本を発見したら。
 一冊買って、そして南に送ってあげよう……と、俺はこの時、固く誓ったのだった。


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