優勝カップ

 よく考えれば色々とおかしかったんだ。
「ジャッカル! 帰りに何か食ってこうぜ!」
 と誘われたところまでは、そうおかしくなかった。が、今思えば、いつもより嬉しそうにしていた気がする。まあ、練習上がりで疲れていて、注意力が散漫になっていたから、そんな些細な変化に気付けなかったのはしょうがない。
「オススメのラーメン屋があるんだ、そこ、行こうぜ!」
 ここだ。ここからが完璧おかしかった。
 食えりゃなんでもいいこいつが、しかも部活後で腹が減りまくってて一秒でも早く何かを食べたいだろうこいつが、店をどこにするかこだわるなんて。
 その上こいつ、部活が終わってから何も食ってねえ! ガム噛んでるだけだ! ありえねえ!
「あ、ちょっとコンビニ寄ろうぜ」
 そうだ……どうしてこの時に気付かなかったんだ。
 こいつがコンビニに行って、一緒に中華まんやおでんを買わない事があるわけがねえ……!

 俺は「ブン太オススメのラーメン屋」の入口に立ち尽くし、ここ数十分のブン太の行動を思い出していた。
「お前聞いてんのか!?」
「聞いてねえ……」
 俺は俯いて、力なく首を振る。
「じゃあもう一回言ってやるよ。いいか、今日開催される早食い大会はな、ラーメン二杯とギョーザ百個を一番早く食ったペアは一万円分の食事券がもらえて、そうじゃなくても二十分以内ならタダになんだよ! しかもあの優勝カップがもらえんだ!」
 ビシッ! と、ブン太は得意げに、目立つところに飾られた優勝カップを指差したが。
 ……ちゃちい。
 絶対アレ、ダンボールか厚紙と、金の折り紙でつくってあんだろ。
「あんなもんいらねえよ! つうか、そんなに食えるか!」
「食えるって! ひとりラーメン一杯とギョーザ五十個だぜ!? 最近じゃこんな楽しい企画してる店自体ほとんどねえのに、こんなに量少ねえの、まずねえから! でもペアじゃないと挑戦できねえから、お前の力が必要なんだって! さすがの俺も二十分じゃ食えねえからな、ギョーザ百個!」
「時間があればひとりで食えるのかよ……!」
 やっぱりこいつの胃は、おかしい。きっと四次元に繋がっている。間違いねえ。
 頭を抱えてブン太の胃袋の構造に悩んでいた俺は、力強く背中を叩かれて、背中を叩いた本人を見下ろした。
 試合を前にした、自信に満ちた微笑みのブン太。
 そんな表情をしても、その試合が早食い(大食い?)大会じゃあ、ちっともカッコつかねえぞ。
「大丈夫、俺を信用しろい。この『四つの胃袋を持つ男』ブン太さまと」
「いつそんなウシみたいな呼び名がついたんだよお前。はまりすぎだけどよ」
「『四つの肺を持つ男』ジャッカルが組めば、このくらい余裕でクリアできるって」
「無視かよ。ってか、肺関係ねえだろ!」
 ブン太は更に俺を無視して、がしっと俺の腕を抱きかかえると、
「おっちゃん! 俺らも参加すっからシクヨロ!」
 高々と手を掲げて、店主に向けて宣言した。
「勝手に俺を巻き込むなー!」

 やばい。
 うっかりギョーザを原型で吐き出しちまいそうだ。
 俺は片手で口を抑えて、片手で胃のあたりをさすりながら、ブン太の隣をよろよろと歩く。
「うまかったな! ジャッカル!」
「……味わう余裕ねえって……」
「情けねえな! お前三十七個しかギョーザ食ってねえのに!」
「……充分だろ……」
「俺の半分近くしか食ってねえじゃん。罰として、この優勝カップ、俺がもらっちまうからな」
「おう、もってけ……」
 もともとそんなダサイもん欲しくねえし。
「食事券は半分ずっこにしてやるよ。今度食いに来ようぜ」
 いや、食事券も、欲しけりゃもってけ。俺はしばらく、ラーメンもギョーザも食わねえからよ……。
 あーだめだ。声を出すのも辛え。
 なんで俺の倍近くギョーザ食ったブン太は、こんなピンピンしてんだ? バケモンだな。さすが四つの胃を持つ男だぜ。
「ま、ほら、あれだ。ジャッカル」
 なんだ。
「腹一杯飯食えて、良かったろ?」
 俺の顔を覗き込むように見上げて、満面の笑顔を浮かべるこいつは。
 ……。
 ……もしかして。
 いや、まさかとは思うが。
 俺はブン太から目を反らして、正面を見る。
「あのな、ブン太」
「おう」
「俺の親父、確かに今、無職だけどよ」
「……おう」
「貯金は沢山あるらしいから、飯はちゃんと食えてるから、問題ねえぞ。飯食う金もなかったらそもそも、こんな金のかかる学校とか金のかかるスポーツ、とっくにやめてるだろうしな」
 沈黙。
 沈黙、沈黙。
 あー……俺、余計な事言ったか? もしかして。
「ばーか」
 十歩くらい歩いてから、ブン太は一言口にして、俺より一歩前に飛び出す。
 両手に抱えたカップを、月の光に掲げて、
「お前の家庭の事情なんて知らねえよ。俺はこれが欲しかっただけだっての」
 なんて言いやがって。
 へえ。
 そんな。
 ボロくさいいかにも手作りの優勝カップを、か?
「そーかよ。手に入って良かったな」
 俺は後ろから手を伸ばして、ブン太の赤い髪をくしゃりとかきまぜた。


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