ひまわりの花

「お! タッチー発見しましたー!」
 陽気な声が背後から届いたのは、飲み物を買おうと自動販売機にコインを入れようとした、その瞬間だった。
『タッチー』と称されているのが自分かどうかは置いておいても、声の主が知っている人物である事は間違い無く、とりあえず俺は振り向いてみる事にする。
「千石……」
「やほー」
「それに、南」
 なぜかひまわりの花を抱いている千石は、俺の言葉に過剰に反応し、うろたえた様子で隣に立つ南を見上げる。
「良かったね! 南! 俺と一緒にいて、他校生に認識されたの、はじめてじゃない!?」
「余計なお世話だっつうの」
 南は千石を小突こうとしたが、動体視力とフットワークの良さが災い(幸い?)してか、千石には掠りもしない。
 千石はそのまま南を置き去りに、軽い足取りで俺の方に近付いてくる。
 それから上目使いに俺を見上げ、「にたり」と擬音が付きそうな少々気色悪い笑みを浮かべると、
「はい、タッチー」
 と、手にしていたひまわりの花を二本、俺の胸に押し付けた(タッチーと言うのは、やはり俺の事だったらしい)。
 大きくて立派なひまわりの花は、ちょうど今日咲いたのではないかと思わせるみずみずしさで、綺麗ではあったのだが……。
「これは、なんだ?」
「え? タッチー、ひまわり知らないの?」
「いや、それくらいは知っている」
「じゃあ聞かないでよ」
「そう言う意味では無く、どうして俺に渡すんだ、と聞いているんだ」
 このままではらちがあかないと、はっきりとした形で質問すると、千石は少しだけ笑みを強くした。
「それね、綺麗でしょ? だからあげる。一本はタッチーで、もう一本は神尾くん!」
「ようやく神尾の名前覚えたんだな、お前」
「うっさいよ南」
「大体お前、そんな立派なひまわり買う金あるなら、先月貸した五百円返せよ」
「買ったんじゃないよ。校庭からくすねたんだよ」
「なっ、てめっ、また俺が怒られるだろうが!」
 南は千石に掴みかかろうとしたが、一瞬遅かった。素早くその場を退避した千石は、「じゃあね〜」と手を振りながら、あっと言う間に遠くへ逃げてしまったのだ。
 数秒のうちに千石の背中は街路樹の向こうに消え去る。
 残された南は微笑みながらため息を吐いて、ひまわりを抱いたまま呆然とする俺に振り返る。
「これは、どういう意味だとお前に訊ねても、無駄か?」
 一本は俺に、一本は神尾に、贈られたひまわり。
 意味が判らん。
 俺たちの誕生日が近いからプレゼント……と言う訳では、ないだろうな。千石は俺たちの誕生日など知らないだろうし、知っていたところで、プレゼントを贈る義理などないはずだ。
「俺も意味は聞いてない」
「そうか……」
「でも多分、そうだな、感謝の気持ちの現れじゃないか」
 感謝?
 俺と神尾が、千石に感謝されるような事が、何かあっただろうか。
「あいつホント、関東で負けてから変わったんだよ。テニスに対する姿勢みたいなのがさ。不動峰が、神尾が、以前のあいつを殺してくれたから、生まれ変わって、すげえ強くなった」
 千石が走り去った方向を眺める南の横顔はすがすがしく、実際はそこにはないものを瞳に映し――それに対して強い誇りを抱いているように見える。
 そうか。
 変わったのか、千石。
 山吹の中では比較的奥ゆかしそうな南が、自慢したくなるほどに。
「ひまわりなのは多分、季節がらってのもあるだろうけど、それ以上にお前たちをイメージしてだと思う。太陽目指してひたすら真っ直ぐに伸びていく姿がさ、そんな感じ。俺も思うよ」
 空を見上げる南につられるように、俺も空を見上げた。
 貫くように強い夏の日差し。目を細め、片腕でかばうようにしても、一瞬で瞳は太陽に灼かれてしまいそうだ。
 千石め。
 なかなかに粋な事をしてくれるじゃないか。
「とりあえず礼を言っていたと、千石に伝えておいてもらえるか」
「ああ」
「それから、今渡されても切花では帰る頃にはしおれてしまうと、注意しておいてくれ」
「……だよなあ」
 自分は無関係だろうに、ひまわりをどうするかで本気で悩む南だったが、すぐに何か名案が思い浮かんだのか、ポケットに手を入れて、百円玉と五十円玉を取り出した。
「じゃあ、これが俺からの感謝の気持ちだ。ポカリでいいよな?」
 二枚のコインは自動販売機に吸い込まれていく。
 南はランプがついた途端にボタンを押し、転がり落ちてきたペットボトルを取り出すと、それを俺に差し出してきた。
「飲み干したら洗って水入れて、花瓶代わりに使えよ。一時凌ぎにはなるだろ」
「しかし」
「お前が心苦しいなら、神尾にやってくれ」
 笑顔の奥に感じとれる、真剣な眼差しと想い。
 それが二本のひまわりと百五十円のスポーツ飲料に託されているのだろう、おそらくは。
「では、遠慮なくもらっておこう」
「そうしてくれよ」
 俺が受け取ると、南は満足そうに微笑む。
 次に山吹と対戦するのが、楽しみでもあり恐ろしくもあるなと、思わせるような微笑みだった。


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