「手塚はまあ当然だけど、補欠が大石なのはおかしいだろ」 それは昨日の練習後、竜崎先生の口から練習試合のメンバーが発表されてから、何度も何度も部員の口から上がっただろう台詞。 しかし幸いというべきか、俺は今の今まで、直接耳にした事はなかった。 だが、話題の中心人物である、彼は? 嫉妬と僻みの固まり以外の何者でもないその台詞を、薄い壁一枚挟んだ位置で耳にした当の大石くんは、顔中に広がっていた笑顔を少しだけ弱め、ドアノブに伸ばした手を引っ込めた。 「あの、さ、手塚くん。疲れているところ悪いんだけど、もし時間があるならもうちょっとだけ、練習付き合ってもらっていいかな?」 薄い壁に遮られる程度のかすかな音量で、大石くんは言う。 俺が黙って頷くと、大石くんは「ありがとう」と小さな声で呟き、俺の腕を引いて、コートに向けて歩き出す。 ちょっと待て。 「大石くん。君はあいつらに何も言わないのか」 「え? うん、いいんだ。みんなの気持ちは判るからさ」 良いわけがないだろう。 さっきの台詞は、根拠のない中傷以外の何者でもない。大石くんには怒る権利があって、第三者である俺には注意する義務がある。 それを、こんな。 逃げるみたいに。 これではあいつらの発言を正しいと認めるようなものだ。 「今日一日でさ、僕、色々はっきり言われちゃったんだよね。えっとね、『プレイスタイルが地味』でしょ、『次に打つコースがすぐに読める』でしょ、『決め球がない』でしょ、『大石より上手いやつは他にも居る』でしょ……」 大石くんは指折り数えながら、受けた中傷をひとつひとつ思い出し、片手が埋まりそうになったところで全部思い出すのを諦めた。 「とりあえず、全部本当の事だったなあ」 「お……」 「あ、誰かが『手塚と一緒にいるから上手く見えるんじゃないか』って言ってたけど、これはどうかと思ったかな。実力以上のものを引き出してもらえる事もあるし、単純に比較されて下手に見える事もあるし、一長一短だと思うんだけど」 大石くんに向けられた言葉は確かに、事実ばかりだった。俺も否定はしない。 だがあいつらは、事実を問答無用で短所と決めつけ、暴言としてそれらの言葉を吐いたのだから、すべてを受けとめる必要はない。大石くんの慎重で単調なプレイは、裏を返すとリズムの乱れを知らない堅実なプレイであり、崩すにはある程度の実力が必要だと言う事実を、補欠にすら選ばれなかったあいつらが理解しているとは思えない。 だから、あいつらはひとつだけ、明らかに間違っている台詞を平然と吐いたんだ。 「あ、ごめん。全部は嘘だったね。本当の事だけじゃないもん」 大石くんは、まるで俺の心を読んだかのように言って、俺の腕を手放し、足を止めて降り返る。 「まだ少し早いかなあって、思わない事もなかったんだけど。でもさ、竜崎先生は僕を選んでくれたし、手塚くんは竜崎先生の選択を間違ってないと思ってるだろ? 思ってたらはっきり言ってくれるもんね」 にっこりと、優しく強く、笑って。 「確かに僕のプレイスタイルは地味で、次のコースは丸見えで、決め球はなくて、手塚くんをはじめ僕より上手い人はいっぱい居るけど、でも、僕が補欠に選ばれたのはおかしくない事だって、僕は信じられる。だから、頑張るよ。みんなにも信じてもらえるように」 眩しいほど元気な笑顔に、安堵する。 大石くんが。 一番大事なところを、理解しているならば。 「それなら、いい」 そう遠くない未来に、やつらが現実を思い知るだろう事を確信する。 俺は一瞬だけ目を伏せ、大石くんの横を通りすぎながら、再びコートに向けて歩き出した。 |