洗い立てのシャツ

 観月さんは綺麗好きな人だ。
 と言うより、少し潔癖症なのかもしれないと思う。
 部屋を覗いてみると、男の部屋とは思えないほどきっちり片付けられていて、ホコリひとつもないんじゃないかってくらいに丁寧に掃除されていて、机なんてピカピカ輝いてそうだ。
 たまにテニス部の関連でレギュラー全員、観月さんの部屋に集まる事があるんだけど、少しでも汚したら殺されるんじゃないかってビクビクして、みんな足を踏み入れるのをためらってしまうくらい。
 部屋がそんなのだから当然、観月さんは服も綺麗にしていて、いつも洗いたてのシャツを着ている。
 かすかに洗濯物の匂い。
 それはつまり、洗剤の匂いなんだけど。
 寮に入ってから滅多に会わなくなった、母さんの匂いと似てる。
 俺は朝食を食べ進める箸を止めて、隣に座っている観月さんを見下ろした。
「突然こんな事言ったら笑われるかもしれませんけど、観月さんのそばって安心します」
 頭をかきながらそう言うと、観月さんも箸を持つ手を止めて、目を細めて俺を睨んでくる。
「何を言っているんですか? 君は」
 まだ、怒られるような事は何も言ってないつもりなんだけど、なんで睨まれるんだろう?
 俺が返事に詰まっていると、観月さんはふい、と俺から視線を反らす。
「馬鹿ですね。そんな風だから、僕みたいな人間にあっさり騙されて将来を棒に振りかけるんですよ」
 ああ、そうか。
 観月さんは怒ってるんじゃない。照れてるんだな。
 俺は急に安心して、うっかり笑顔をつくってしまう(観月さんが俺の方を見ていたら、今度こそ本当に怒っただろうってくらいの)。
 確かに、俺は観月さんのせいでうっかり肩を壊しかけたわけだけど。
 強さだけを求めてたせいで何も考えられなかった俺に、メリット分しか教えてくれなかったのは、正直ずるいと思うけど(兄貴なんかむちゃくちゃ怒ってたもんな)。
 でも、観月さんは、俺に嘘は言わなかった。疑問を持たなかった俺が悪い部分も少しはあると思う。
「でもそれは観月さんが悪いんじゃなくて、俺が馬鹿だからですし」
「そんな事を笑顔で言うところが馬鹿なんだと自覚した方がいいですよ」
「まあまあ観月、めずらしく誉められてるんだからそんなにつっけんどんな態度はやめなよ。人間素直が一番だよ」
 観月さんの正面に座る木更津先輩が、くすくすと笑いながら、観月さんにスプーンをつきつける(朝食のデザートにオレンジゼリーがついていて、それ用のスプーンだ)。
「口をつけたものを突きつけてくるのは止めなさい、汚らわしい!」
 心底不満げに観月さんはそう言って、木更津先輩の手を払い除けた。
 すると木更津先輩は肩をすくめて。
「裕太、こんなヤツのどこに安心するのさ。変わりものだね」
 木更津先輩は空になったお皿にスプーンを投げ入れる。
 ノムタク先輩は箸を咥えたまま三度頷いて、柳沢先輩は「ははは、淳の言う通りだーね」と隠す事なく笑ってる。
 だけど観月さんは、特に何の反応も見せず、オレンジゼリーに口をつけはじめていた。
「えーっと、何て言うか……母さんを思い出すんですよね」
 あ。
 やべ、正直に言いすぎた。
「マザコン」とか、「実家が一番近いくせにホームシックかよ」なんて笑われるのを覚悟して回りを見てみると、木更津先輩や柳沢先輩は、優しく微笑んでいるだけで。
 観月さんは、珍しく慌てた表情で、僕をじっと見てる。
「君は、何を言っ」
「あー判るなあ俺、その気持ち。観月の服ってババ臭いもんなあ!」
 それでも憎めないキャラクターだってのが、取柄だとは思いつつも。
 歯に衣を着せないって言うか馬鹿正直って言うか、ノムタク先輩の発言はいつもハラハラするわけで。
「……野村くん」
「ん? 何? 観月」
 カチャリと小さな音を立てて、食べかけのゼリーとスプーンを置いた観月さんは、隣に置いていたファイルに挟んであった一枚の紙を取り出して、俺たちの真ん中に置いた。
「これは昨晩考えた新しい練習メニューです。体力バカの赤澤で試してみようと思いましたが貴方に変更します」
 俺たち四人一斉に、おそるおそる、メニューを覗いてみる。
 うん。
 ありえないですよ観月さん。いくらなんでもこれは。
「む、無理だよ観月ぃ! 赤澤ならともかく、俺なんかがこんなのやったら死んじゃうよ!」
 慌てて反論するノムタク先輩に、観月さんはにっこり微笑んで。
「死ねばいいじゃありませんか」
「観月ぃ〜〜〜!」
 ノムタク先輩の訴えも空しく、無言でオレンジゼリーの最後のひとくちを食べ終えると、観月さんはトレイを持って立ち去ってしまった。
「し、死なないようにがんばってください……ね」
 硬直しているノムタク先輩に、それ以外どんな声をかければ良かったのか、俺には判らなかった。
 あとは、明日も一緒に朝ご飯を食べられるように祈るだけだ。


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