愛読本

 ……どうしよう。
 私はあんまり広くない図書室の中を、もう何周したか判らないくらいぐるぐる回りながら、気持ちを焦らせていた。
 どうしようかな、ほんとに。
 別に今日、決めなくてもいいんだよね。今日は帰っちゃおうかな。明日また、新しい気分で探せば、見つかるかも。
 あー、だめだめ。昨日もそう言って帰っちゃったんだもん。今日中に決めよう、そうしよう!
 自分に強く言い聞かせて、決意して、いざ本棚を見上げる。
 そうしてまた、気分が落ち込んで、焦り出す。
 どうしようー……。
 気がつけば、図書室にはほとんど人が居ない。外は暗くなりかけていて、時計を見てみればあと十分で貸し出しの受け付けが終わっちゃう時間だから、当たり前かもしれないんだけど。
 あとちょっとで帰らなきゃいけなくなるよ。
 やっぱり今日中には決められなかった。
 朋ちゃんなんて、昨日五分で決めちゃったのに、なんで私はこうなんだろう。
 えーい、もう、こうなったら、目を瞑って手に取ったやつに、決めちゃおう!
 こんな事朋ちゃんに言ったら、「桜乃、開き直りすぎ!」って笑われちゃうかなあ。でも、もう他に方法がないんだもん。
 残り時間はあと九分。
 私は目を伏せて、本棚に向けておそるおそる腕を伸ばす。
 同時に、人差し指と薬指に一冊ずつ本が触れて、私はまた迷ったけれど、人差し指の方を選ぶ。ぐいっ、て引き抜いてから、目を開けた。
 ……なんだろう、この本。
 童話かなあ? 字はそんなに細かくないけど、厚くて、長そう。
「こんなところで何してるんだい?」
 戸惑っているところに突然声をかけられて、私はびっくりしてしまう。
 でもその声は、とても温かくて優しい声で、声を出した人はその声以上に温かくて優しい人だって私は知ってるから。
「大石、先輩」
「本、借りに?」
「はい、その、宿題で、図書室にある本なら何でもいいから読書感想文って言われて、どの本にしようか迷っちゃって、それで……」
 大石先輩は、私が必要以上に強い力で握り締めている本を、ひょいと覗き込む。
「それ、読むの?」
「どうしようかなと思って、適当に手に取っちゃったんですけど……知ってますか?」
「うん、小学校の頃にはじめて読んだ」
 小学校の頃、かあ……。
 一年前の私は、この物語を読み切れたかなあ。がんばれば読めたかもしれないけど、自分から読もうとは思わなかったなあ。
 大石先輩、頭いいし。本読むのも、好きそうだから。
 凄いなあ。
「おもしろい、ですか?」
 私がおそるおそる聞いてみると、大石先輩は小さく頷いた。
「桜乃ちゃんにとってもそうだかは判らないけど、俺はその話が凄く好きだよ。とても優しい物語だと思う。力付けられるような」
「優しい?」
「一度読んで、忘れられなくてさ。中学に入ってからこの図書室で見つけて、また借りて読んで。貸し出し記録に二回は俺の名前があると思うよ。いや、三回かな」
 恥ずかしそうに、大石先輩は微笑む。
 そんなに。
 そんなに、好きなんだ。この話。
 この大石先輩が、「優しい物語りだ」って言うんだから、本当に優しい話なんだろうな。もしかすると、今の大石先輩をつくったもののひとつが、この話かもしれない。
 私は名前も知らない物語だったけれど……なんだかすごく、読みたくなってきちゃった。
 こう言うの、不純な動機なのかもしれないけど。
「あと三分で貸し出し時間、終わっちゃうみたいだけど?」
「あ、大変! 私、これ、借りてきます!」
「……読むの?」
 少し驚いた表情で、大石先輩が聞いてくるから、
「はい!」
 私は力一杯笑って、頷いてみせる。
 大石先輩が好きなものを私も知りたいから、この本に興味があるのは本当の事だし。
「私が読み終わったら、この本の話、沢山してくださいね」
 私がそう言うと、大石先輩は照れくさそうに頭をかきながら、優しく微笑んだ。


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