フロッピーディスク

 かしょん、と音を立ててそれが落ちたのと。
 ばたん、と部室のドアがしまったのは、ほとんど同時だった。
「あれ? なんか落ちてるぜ?」
 ベンチに座っていた俺が、立ち上がって拾い上げる前に、英二がそれに飛びついた。
 それはケースに入った、一枚のフロッピーディスク。
 フロッピーを裏っ返したり傾けたり、あらゆる方向から眺める英二の背後から近付いた大石は、
「誰かの落としものか?」
 英二の手からフロッピーをすり抜いた。
 まあ、フロッピーはどの角度で見ても、フロッピーでしかないしね。中のデータが見れるわけでもないし。
「多分、今乾が部室から出ていったところだから、乾のじゃないかな」
「明日渡せば大丈夫かな……でも、今から追いかければまだ間に合うか」
 制服に着替え終えたばかりの大石は、フロッピーを片手に部室を飛び出そうとしたんだけど、ドアを開けたところで、英二と桃が大石の前に立ち塞がってしまった。
「な……どうしたんだふたりとも。そこ、どいてくれ」
 大石は少し焦った感じでふたりに言ったんだけど、英二も桃も、にやり、って笑うだけ。
「あっさり返しちゃったらもったいないよ、大石! こんなチャンス、滅多にないんだからさ!」
「そうッスよ! その中にどんなデータが入ってるか、気になりません? 乾先輩本人の、マル秘データが入ってるかも……!」
「まさかお前ら……これ、中を見ようって思ってるのか!?」
『ピンポ〜ン!』
 それまでの企んだ笑顔が、なんでか、無邪気な笑顔に変わって。
 うわ、ふたりとも、本気だ。本気で中を見る気だ。
 まあ本当の事を言っちゃえば、俺もちょっとは興味あるけどさ……でも、やっぱり駄目だよね、それは。
「駄目だ駄目だ。そんなの、プライバシーの侵害だぞ!」
 大石はふたりからフロッピーを守るように、背中の後ろに回した。
「そんな事言ったら、乾先輩なんて存在自体がプライバシーの侵害ッスよ。部活中ならまあいいとして、それ以外の日常生活までチェックが及んでるじゃないッスかあの人。なんつうかもう、プライバシー侵害マシンッスよね。それとも大石先輩は、俺が昼メシに焼きそばパンいくつ食ったかなんて知る権利が乾先輩にはあるって言うんスか?」
 桃がこれでもかってくらいまくしたてて、英二は横から「そうだそうだー!」ってはやしたてる。
 そしたら大石は困っちゃったみたいで、しどろもどろになりながら、
「……それは、まあ、桃のプレイスタイルを最大限に生かすためのウエイト調整みたいな面を、考えているところもあるわけで……たぶん。乾なりの親切なんだよ、きっと」
 なんて、辛そうにふたりを説得してる。
 もちろん、そんなちょっと無理のある説得で、ふたりが納得するわけもない。
「大石はちっとも興味ないの?」
「……ない!」
「またまたぁ〜、大石先輩、無理は体に良くないッスよ。正直に言いましょうよ」
 英二と桃は、じりじりと大石に詰め寄る。
 それを避けるように、大石はじりじりと後退する。
 どうしよう、助けた方がいいのかな、どうやって助ければいいのかなって、俺がおろおろしているうちに、少しずつ、少しずつ、三人は部室の奥に移動していって。
 ちょうど部室の真ん中くらいに移動した頃かな。大石の、ちょっと押されぎみだったの表情が、ふいに強気に変わったのは。
 大石の腕が素早く動く。
 英二と桃の間を縫うように、絶妙なコントロールで投げられたフロッピーは、英二たちを止めようかなと迷いながら伸ばしていた俺の手の中に。
「タカさん! 頼んだ!」
 う、あ、な、なんだ! そうだったのか! 大石、俺が立ち上がるの、待ってたのか!
 俺は慌てて方向転換。部室を飛び出そうと、一歩踏み出す。
「う!? え!?」
「なんのまだまだぁ! そんなのとっくに予測済みッスよ!」
 慌てる英二と対象的に、大石の行動を先読みしていたらしい桃は、勝ち誇った笑みを浮かべて俺を見てた。
 さ、さすが、曲者! お調子ものぶってるときも、しっかり冷静だったんだ!
 俺と桃の間にあった距離なんて、たった二メートルとかそのくらいだから、あらかじめ行動を読んでいた桃にはすぐ詰められる距離。
 うわあ、ど、どうしよう。
 せっかく俺に任せてくれたのに、ごめん、大石!
「タカさん、一歩左!」
「へ?」
 英二の動きを抑えながら叫ぶ大石の指示に反射的に従って、俺は一歩左に動く。
 すると、体勢を崩しつつ、ドアの前に辿り着いた桃と、たった今、部室の中に入って来た海堂が。
 どすん、と音をたててぶつかった。
「……オイてめえ。どう言うつもりだ」
「ああ? ちゃんと前見て歩かねえお前が悪いんだろ?」
 うわっ、ふたりとも、ケ、ケンカはじめちゃったよ。どうなってるんだよ、これ!
 俺はおろおろしながら、大石に振り返った。
 すると大石は、ちょっと困ったように微笑みながら、
「ここは俺がなんとかするから、そっち任せたよ。タカさん」
 なんて言う。
 ああ、そうだったのか。
 桃は部室内の状況を冷静に判断した上で、大石の行動を一手先まで読んでいたわけだけど。
 大石は追いつめられながらも視界の有利さを利用して部室の外にまで目を配った上で、桃より更に一手先を読んで、こうして桃の足止めを成功させたわけだ。
 さすが大石! 視野の広さとチャンスを計る慎重さは、日常生活の中でも健在だ!
 まあ、今回の作戦は、後処理(桃と海堂のケンカの)がめんどうそうだけどね。
 ごめん大石。乾にこれ渡したら、手伝いに戻ってくるからね!
 俺は桃と海堂の横を通り抜けて、部室を飛び出した。
 ら。
 十メートルくらい先に、乾はひとり、ぽつんと立っていた。
 全力で走るつもりだったから、なんか、ちょっと、拍子抜けして。
「乾……」
 うわっ。
 まさかとは……思いたいけど。
「これも……データ?」
 俺は乾にフロッピーを渡しながら、一応、聞いてみた。
 乾はフロッピーを受け取りつつ、メガネをくいって直して、にやりと笑う。
 それから時計を見下ろして、
「四分三十二秒。大体、予想通りかな」
 なんて言うから。
 どうやら今回の先読み対決は……乾の圧勝みたいだ。


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