カッターナイフ

 それは朝練がはじまる五分前の事だった。
「ダビデ、ダビデ!」
 部室の中に飛び込んできた剣太郎は、荷物を置く間も惜しむように、部室の奥で退屈そうにしている(今日はまだ相方のバネが来ていない。この時間まで来てないって事は、寝坊したんだろう)ダビデの所に駆け寄る。
 そして、荷物をゴソゴソ漁ったかと思うと、コンビニ袋を取り出して、更にそのコンビニ袋の中から、何か細長いものを取り出して、ダビデに見せつけた。
 ? 何の変哲もないカッターみたいだけど。
「ダビデ、ボク、カッターを買ったー!」
 キラキラと輝いた目で、剣太郎はそう言ったけど、
「……イマイチ」
 ダビデの、部員全員の気持ちを代弁する一言に、激しく肩を落としてしまった。
 笑ってもらう事なのか、誉めてもらう事なのか、アドバイスを貰う事なのか。
 剣太郎がダビデに何を求めているのか、俺たちには判らない事だけれど、とりあえずダビデにダジャレ攻撃をする事が、ここ数日の剣太郎のマイブームらしい。
「ちぇー、なんでかなー、今日のは結構良かったと思うけど」
 ダビデは目を伏せて、ふるふると首を振る。
「ダビデっていっつも、ボクのダジャレをイマイチって言わない?」
「本当にイマイチだから」
「そうかなー?」
 そうだよ、剣太郎。
 確かに剣太郎のダジャレはイマイチだよ。俺もダビデに同感。
 でも、イマイチのダジャレを連発するダビデに言われたくないと思うんだよね、剣太郎も。はっきり言って、同レベル。
「ダビデは自分以外のヤツがダジャレ言ってる事が気に入らねんだろ?」
 聡がからかうように笑いながらダビデのこめかみを突いた。
「……違う」
 うなるような、喉の奥から搾り出された否定の言葉。
 図星だな、ダビデのやつ。判っていたけど。
「違うの?」
「違う!」
「違うって言うならさ、見本見せてよ、ダビデ」
 剣太郎は一回だけ、楽しそうに跳ねて、それから手にしていたカッターを、ダビデの手に握らせる。
「ボクのダジャレがイマイチだって証拠に、おんなじ題材で、ボクよりすごいダジャレ、言ってみて!」
 無邪気に笑う剣太郎。
 一瞬遅れて、ニヤリと強気の笑みを返すダビデ。
 ……うわぁ。
「低レベルな争いがはじまるのね」
「樹っちゃん……」
 樹っちゃんって、辛口トークでも人を癒せるから、偉大だよなあ、ホント。
 俺が「低レベルな争いがはじまるな」とか言ってため息吐いたら、あのふたり、低レベルな争いを中断して、俺に噛み付いてくるもんな。絶対に。
 うーん……俺ってそんなに攻撃的な雰囲気なんだろうか。
「いくぞ」
 ダビデは静かにそう言って、カッターを掲げる。
 ちゃきちゃきちゃき。
 手にしたカッターの刃を、三段階ばかり出し、それから獲物を探す野生動物のような鋭い目で、ゆっくりと部室を見回す。
 ダビデの視線が止まる。
 何ヶ月か前に誰かが書いて壁に貼り付けた、張り紙(「最後に部室を出るヤツは必ず電気を消す事!」と毛筆で書いてある)に。
 カッターが一閃する。
 おろしたての鋭い刃に、真っ二つに切れた張り紙が、ポーズを決めたダビデの向こうで、ゆらゆらと揺れていた。
「カッターつかったー……!」
 げし。
 ダジャレを口にした瞬間、側頭部を思いきり蹴られ、ダビデは壁にすがりつく。
 あれ?
「てっめえダビデ……よくもやりやがったな……!」
 バネってばいつの間に来てたんだろう。
 って、部室のドア開けっぱなしだし、たった今来たのかな。だとしたらなんて言うか……バネのツッコミの本能には敬服するよね。こんないいタイミングで現れるなんて。
「お前が何度言ってもいっつも電気消さねぇから、わざわざ俺が書いてやった注意書きをこんなにしやがって……!」
「あ、あれ? そうだった? う、うわ、タンマ! タンマバネさん! ごめん! 謝る!」
「謝っても許さねー」
「ぎゃー!」
 部室中にダビデの悲鳴が響き渡る。
 うめぼしかまされてるからなあ。あれ、痛そうだよな。
 同じ痛みを経験した過去がある剣太郎は、それを思い出しているのか、辛そうに顔を歪めている。
 そして急に、
「やっぱ、ダビデのダジャレはすごいや」
 なんて言い出した。
「……そう?」
「うん。だってさ、ボクには言えないよ。あんな命がけのダジャレ! だから、ボクはまだダビデに敵わないや」
 両手の拳をぐっと握り締めた剣太郎が、ダビデにそそいだ眼差しには、ちょっぴり尊敬が含まれているように見えた。
 命がけは、ちょっと大げさな気もするけれど。
「まあ、そう言うのもありかもね」
 俺は苦笑しながら、じゃれあうバネとダビデを見つめた。


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