春になると世界は明るくなると思う。 それは単純に日照時間が冬よりも長いって事もあるけれど、木の幹や何も植えられていない田畑によって茶色く染められていた世界が、草花の鮮やかな緑や赤やオレンジやピンクや以下略な色に少しずつ変わっていくからなんだろう。光を浴びた海の色も、冬より少し優しい青に変わってしまうし。 気温もいいくらいに温かいし、本当にいい季節だよな。春が嫌いな人って、花粉症の人くらいだろう。 「春だなあ」 「春なのね〜」 「ああ、春だ」 春眠暁を覚えず、とばかりに、バネが大口をあけて欠伸をした。 顎がはずれるんじゃないかと少し心配してみたけれど、まったく無駄な心配だったらしい。 気になって逆がわに目をやってみれば、膝を抱えて座る樹っちゃんが、眠そうにうとうとしていた。 「春がはるばるやってきた……春が春風の元にはるばる……剣太郎、どっちがいいだろう?」 「え? どっちもダメだよ! 決まってるだろ! そんなダジャレでモテモテになれるわけがないんだから!」 剣太郎ににこやかにダメ出しされたダビデは、あからさまに凹み、追い討ちをかけるようにバネの回し蹴りがダビデの後頭部に決まる。けれど哀れみが混じっているのか、その威力はいつもよりもだいぶ弱かった。 「でもよ、春って花とか咲くせいか綺麗で華やかで、なんか気持ちも明るくなるよな」 ついさっき俺が考えていた事をなぞるようにバネが言うから、 「そう言うの、俺や亮ならともかく、バネが言うと似合わなくてなんかギャグだよね」 反射的にこんな事を言ってみると、つまらなそうにバネは顔を反らす。 いやあ、でも、ねえ。 バネに花が似合わないのは、本当の事だし。 「花と言えばさ、俺、毎年この時期になると思い出すんだけど」 みんなが俺の声に耳を傾けてくれる。 樹っちゃんは眠そうな目を開いて、バネはもう一度俺の方に振り返って、ダビデと剣太郎は忍び足で少しずつ俺の方に近付いてくる(どうして忍び足なのかは判らない)。帽子を顔にかけて寝転がっている亮はどうだろう。こいつの事だから寝たふりしながら聞いているかもしれない。その隣に座ってる聡は俺の方を向いている。 「小学校の頃さ、理科の授業で、虫眼鏡で花を観察したじゃないか」 「したか? 顕微鏡で花粉を見るのとかは覚えてるけどな」 「したした。顕微鏡とか使い出す前だよな。かなりちっちゃかった」 俺も具体的にいつだったかは覚えてないんだけどさ。 「その授業で俺、虫眼鏡を落として割っちゃってさ。怒られるのが嫌だったから、セロテープで止めてごまかして、戻しちゃったんだよな」 ははは、と笑いながら言ってみたんだけど、一緒に笑ってくれるやつは居なかった。 なんだよ、みんな付き合い悪いな。 あ、小さくくすくす笑ってる声が聞こえる。亮のやつ、やっぱり起きてたな。 「サエ、二度とそんな事しちゃダメなのね」 樹っちゃんが俺の肩にぽん、って手を置いて、寂しそうに言う。 「やだなあ樹っちゃん。いくらなんでももうそんな事しないよ」 すぐに謝った方が楽だし、相手の怒りも削げるしね。とは、樹っちゃんには言わないけど。 「なんですぐに謝らなかったんだよ」 「怒られるのが嫌だったからって言わなかったっけ?」 「……今すぐ行って謝ってこい。小学校、そこだから」 呆れ半分怒り半分の顔で凄まれても、あんまり怖くないよ、バネ。 「やだなあ。もう時効だろ? それにその時気付かなかった先生にも問題があると俺は思うんだけど」 いや、まあね。俺が悪いって事を否定はしないけどさ。誰にでも小さい頃に、あるだろ、そんな隠し事。 だいたい謝りにいくにもその時の担任の先生、もう別の学校に転勤になったんだよな。そうでなくても、そろそろ定年だった気がするし。 「一応虫眼鏡を箱にしまう時、「ごめんなさい」ってメモ、貼っといたから、気持ちは通じてると思うんだ」 バネは冷たい目で、口をへの字に曲げて俺を睨むけど、諦めたように肩を落とした。 聡は俺と目が合うと、何とも言えない微妙な表情で、亮のとなりに寝転がる。 振り返ってみれば剣太郎はなんだか嬉しそうで、ダビデは――ダビデは、膝を抱えてうずくまっていた。 「どうしたんだ、ダビデ」 俺がダビデの名前を呼ぶと、ダビデはゆっくりを顔を上げる。 すごく、恨みがましそうな目つき。 「犯人。サエさん、だったんだ」 「え?」 「俺のぶん、虫眼鏡壊れてて。新しいのなくて。観察できなくて、寂しかった……」 ……う。 虐げられるダビデなんて何度も見てきた俺だけど、これはさすがに良心が痛むなあ。 いつもの悲しそうなのとか寂しそうなのとかと、少し違うからな。 「えー、ボクの時なんか、いっこだけ新しい虫眼鏡があってさ、みんなで奪い合いしたよ! もちろんボクがとったけどね! 壊してくれてありがとう、サエさん」 剣太郎の言葉が、ダビデの小学校時代の悲しい思い出に拍車をかけたらしい。ダビデがいっそう凹む。 余計な事言うなよ剣太郎、なんて怒る権利、ないよな、俺には。 ……しょうがない、か。 「ダビデ。今日の帰り、イチゴパフェおごってやるから」 「う!?」 「小遣いがないからスーパーデラックスじゃないぞ。普通のやつだからな」 「……うぃ!」 さっきまで凹んでいたのはどこへやら。ダビデはすっかり浮かれて、気持ちをイチゴパフェに飛ばして幸せそうな笑顔を浮かべている。 はあ。 痛い出費だな……今月、いきなりピンチだよ。 「だから、壊した時にさっさと謝っておけばよかったんだよ」 もっともな事を偉そうに言って、バネが豪快に笑う。 くすくすと亮が笑って、聡は口元に笑みを浮かべて、樹っちゃんは何度も何度も頷く。 「はいはい。バネの言う通りだよ」 さっき軽く口にした「もうそんな事しない」と言う誓いを、重く胸の中で受け止めながら、俺は強がって言い返した。 |