部室のドアを開けると、中に居たのは神尾ただひとりだった。 朝だと大抵、部室に集まる順番ってのは決まってしまってるけれど(橘さんとか石田とかは早いし、神尾や内村はギリギリだ)、放課後の部活の場合ホームルームの長さなんてどのクラスも日によって違うから、けっこうランダムになる。 今日はたまたま、神尾が一番で俺が二番。他のみんなはまだ来てない。 「よう、桜井!」 神尾はベンチのど真ん中にどかっと座って、にたにた笑っていた。 正直言って、キモイ。 そんな表情で、まるで待ちわびていたように俺の名前を呼ぶの、止めてほしいよな。 触らぬ神にたたりなし。 今日の国語の授業で出てきた話の主人公が、そんな台詞を言ってたのを思い出す。まさに今の俺はそんな気分で、ベンチのとこにラケットを置いて、神尾から逃げるように、すぐにロッカーに近付いた。 訂正。 近付こうと思った。 けれど、神尾が素早い動きでその場から離れようとした俺の腕を掴むから、俺はロッカーに近付く事はできなかったんだ。 「まあまあ、まだ橘さんも他の連中も着てないし、ゆっくり座れよ。そんで、聞けよ」 「いや、早く来たやつから着替えてネットとかの準備した方が、練習時間がとれていいだろ?」 「あのな、実はさ」 こいつ、俺に拒否権を与えないのか! むりやりにでも聞かせる気か! 表情からして、よっぽど嬉しい事があったんだろうけどな。それを誰かに聞いてほしくてしかたないんだろうけどな。 大体予想がつくから、聞きたくないっつうか。 あー、なんで俺、今日、二番目に部室に来ちまったんだろ。 「今日の昼休みの終わり近くにさあ」 ああ、なんかもう判った気がする。 「うちのクラスに杏ちゃんが来たんだよ」 やっぱりな。 「そんでな、これ。くれたわけ」 神尾は荷物を開けて、ゴソゴソとあさる……事はしなかった。一番上に、潰されないように大切に、それは置いてあった。 クッキーが数枚。透明な袋に小さいリボンをかけただけとは言え、簡単なラッピングもされているそれは、手作りである事は誰の目から見ても明らかだ。 「すごくねえ!? 手作りだぜ、手作り! 俺のためにわざわざ作ってくれて、持ってきてくれてさ!」 「……はあ」 「なんか、愛がこもってるような、そんな気、しねえか!?」 「……そうだな」 俺は知っている。 そのクッキーは、杏ちゃんが今日の調理実習でつくったもので、わざわざ家で焼いてきたものではないと言う事を。 神尾にだけでなく、同じクラスで同じ実習を受けた俺以外のみんなに、同じクッキーが配られている事を。 焼き色や形が綺麗なものは、石田や橘さんに優先して配られている事を。 そんでもって、もしそのクッキーに愛が込められているのだとしたら、一緒に作った俺の愛も、そのクッキーに込められているだろう事を。 「食べるのもったいねぇな〜」 けれどそんな真実を、浮かれまくって脳内お祭騒ぎな神尾に、言えるわけもない。 真実のうちのいくつかは、次に誰かが部室に入ってきたら明らかになるだろうから、それまで幸せな夢を見させてやろう。 |