勝者と敗者

 バネは喜怒哀楽が激しい奴だなあとよく思う。
 力一杯喜んで、力一杯怒って、滅多に無いけど力一杯悲しんで、えーっと、楽ってどんな感情だったっけね? まあ、いいか、それはそれで。
 それでもって、大雑把だけど大切なところだけは律儀で、優しくて面倒見が良くて頼もしくて、一緒に居るとすごく安心する奴だ。
 そう思っているのは、多分俺だけじゃないだろうな。
 だからこそバネの周りには、友達にしろ、部員にしろ、近所の子供たちにしろ、沢山の人が集まっているんだ。
 でも。
 バネって奴は、案外タチが悪いと俺は思ってるけどね。無意識なんだと思うけど。
 無意識だからこそ、余計にタチが悪いと言うか。
「あいてっ」
 しゃがみこんでいたダビデは突然後頭部に衝撃を受けて、前のめりに倒れそうになるのを必死にこらえる。体勢を整えると、足元に転がるテニスボール――彼の頭にぶつかったものだ――を拾い上げ、頭をさすりつつ、ゆっくりと振り返った。
「バネさん」
 ダビデは嬉しそうに、近付いてくる男の名を呼ぶ。
 バネが掃除当番で部活に遅れるって聞いて、誰よりもしょんぼりしていたからなあ、ダビデは。いつもより余計に遅れていたから、しょんぼり具合も余計にひどくて。
 でも……バネが不機嫌な顔しているの、気付いていないのかね?
「これ、ぶつけてきたの、バネさん?」
「おお、そうだ」
「ボール力反対……プッ」
 それは、ちょっと無理があるんじゃないかなと。
 でもまあいつもの事かなと。
 俺はバネの蹴りが綺麗に入るのを心待ちにしつつ、見守っていたわけなんだけど。
「……?」
 いつまでもバネのツッコミが入らないので、ダビデは首を傾げる。
「バネさん?」
「お前、今日、フェンスの外でボール打ったろ。俺以前、お前みたいなバカ力はうっかり人殺しかねないから、学校ではフェンスの外で打つなって注意したよな? 学校でなくても、周りに人が居ないかを確かめてやるようにってな?」
 俺の位置からでも、バネが怒りのあまりふるえているのが判ったから、近くに居るダビデはもっと感じているんだろうなあ。すっかり萎縮して、
「打って……ない」
 って嘘をついた。
 ダビデがコート外でラケット振っているところ、俺は今日は見て無いけれど、ダビデの態度からして嘘を吐いているのは明らかなんだよね。
 あれだけ無表情なのに判りやすいのって、すごいと思うよ、ダビデ。
「お前の打ったボール、どこ行ったと思う?」
「俺、打ってない」
「そうか? まあその話は後回しにすっか。実はな、さっき俺が投げたボール、職員室の窓ガラス割って飛び込んできたヤツなんだよ。さぁてここで問題だ。職員室の掃除当番、どこのクラスが担当していると思う?」
「……知らない」
「答え、三年A組。続いて第二問。今日は俺、どこの掃除当番だったと思う?」
「……職員室?」
「おお、ダビくん、一問正解だ! 偉いぞ〜」
 バネは、明らかに作った満面の笑顔で、ダビデの頭をぐしぐし撫でて。
「って偉いわけあるか!」
 油断したダビデを、思い切り蹴り飛ばした。
 うーん、これってノリツッコミって言うのかな? 別にダビデはボケてないから、違うのかなぁ。
「犯人、俺じゃない!」
「嘘つけ! あんな球威のあるボール、お前か俺のサーブ以外ありえねえだろうが!」
「じゃあ、犯人は、バネさんだ!」
「俺は目の前で窓ガラスが割れたのに奇跡的に掠り傷ひとつ負わなかったけどテニス部連帯責任だとか言われてひとりで後始末させられた善良な被害者だっつうの!」
 ああ、だから今日、こんなに遅かったんだ、バネ。ただの掃除当番にしてはおかしいと思ったよ。
 それじゃあ怒って当然か。片付けの上に、こっぴどく叱られたんだろうなあ。よりによって職員室の窓ガラスじゃあね。
「バネさん、怒ってる?」
「おう。悪い事したのにあやまらねえ奴も、嘘つく奴も、ムカつくからな。怒るってか、嫌いだな」
「……嫌い?」
「おう。そんでもって俺は、嫌いな奴にツッコミ入れてやるほど、ヒマじゃねえんだ」
 バネは明らかに作った冷たい視線で、ダビデをひと睨み。
 端から見るとギャグにしか思えないくらい、ものすごくショックを受けた顔でダビデが硬直する。
 そんなダビデの手からボールを抜き取ると、バネはダビデに背を向けて歩き出す。
 ほら。
 やっぱりバネって、タチが悪いよなあ。
 そうやって、相手にとっての自分の価値を理解した上で、武器にしているとしか思えないような言動をとるんだからさ。ダビデ相手に限らずね。
 無意識なんだろうけど。
 無意識だからこそ、タチが悪いと言うか、強いんだよな。
「バネさん!」
 あーあ、やっぱり捨てられた子犬みたいな顔してるよ、ダビデの奴。図体でかいのに。
 そんな顔で追いかけられて、ウェアの裾掴まれて引き止められたら、バネにはたまらないだろうなあ。
「バネさんが居ないと、俺、困る」
「へえ。だから?」
「……ごめん」
「謝るのは俺にだけか?」
 ダビデはぐっと息を飲んだ。
 少しだけ戸惑ってから決意したらしく、
「職員室、行ってくる」
 ぐっと拳握って、バネにそう告げる。
 はい。本日も勝者はバネ、と。
「よっし!」
 バネは、今度は作りものなんかじゃない笑顔で、ダビデの頭をぐしぐしと撫でた。
 だからダビデも怖い目を細めて、柔らかい笑顔を浮かべたりするんだよな。


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