マルボロ

 ドドドドド、と派手な足音が部室の外から響いてきた。
 ふむ。この足音の重さ、力強さ、部室へ近付いてくるスピード。
「桃城の確率、100%」
 たった今着替えを終えた俺が、ジャージを羽織りながら呟くと、
「別にわざわざ分析されなくても判るよ」
 不二が辛辣に返してきた。
 確かに。こんなにうるさい奴は、桃城以外に居ないな。
「ヤバいっすよ! 大変です!」
 バン、と扉を乱暴に開け、青春学園二年八組在籍、桃城武が飛び込んでくる。
 桃城は大切なラケットが入っているバッグを適当に投げ捨て、室内をきょろきょろと見回すと、ほっと胸を撫で下ろした。
 ちなみに現在室内に居るのは、俺、不二、菊丸。その他二年と一年が二、三人だ。ほっとする、と言う事は、居てほしくない人物がここには居なかったと言う事か。
「どったの〜? 桃」
 すかさず声をかけるのは、菊丸だった。
「どうしたもこうしたもないッスよ! 英二先輩! 俺、スゲーもん見ちまいました!」
「だから何さー?」
「いや、俺のクラスに、新聞部の奴が居るんですよ。そいつカメラマンの役なんですけどね、多分次の『青学タイムス』に使うためだと思うんですけど、なんかやたら写真大量に持ってやがって、見せてもらったら!」
 桃城は制服の胸ポケットから、二枚のスナップ写真を取り出した。その二枚、許可をとってもらってきたのか、勝手にくすねてきたのか、気になるところだが。
「なんだコレ!」
 写真を見た瞬間、菊丸が叫ぶ。
 それだけならばさほど気にならなかったが、「そんなに凄いの? どれどれ?」と呟きながら覗き込んだ不二の顔から笑顔が消えた瞬間、俺の好奇心が激しく揺らいだ。揺らがなくとも、見せては貰うつもりだったが。
「俺にも見せてもらえるか?」
 半ば放心した菊丸の手から、写真を一枚抜き取り。
 さすがの俺も、絶句した。
「まさか。ありえない」
 思わずそう呟いてしまう。
 桃城も菊丸も不二も、俺と同じ気持ちだったようで、一様に肯いた。
 写真に写っていたものは、我らが青学テニス部の部長と副部長、手塚と大石。
 別にこのふたりが写っていること自体はおかしくない。ふたりとも、特に手塚は写真にとられる事を好ましく思わないタイプだが、彼らを写真に撮ろうとする人間はいくらでも居る。
 ツーショットなのも、別におかしくない。手塚と大石は一緒に居る事が多い。
 ジャージ姿なのも、まあ、構わないだろう。体育の授業がふたりと違う俺は、制服姿かレギュラージャージ(あるいはウェア)姿ばかりを見ているので、違和感を覚えはしたが。
 問題なのはたったひとつ。
「手にもっているのは、タバコか?」
「間違いないですね。マルボロって書いてありますよ」
「このふたりが、しかも学校で、タバコ吸ってたって事?」
「大スクープじゃん! こんなの!」
 菊丸が未だ手にしていた一枚を、くしゃくしゃに握り潰した。ああ、俺はまだそちらは見ていなかったんだが。
 俺は菊丸が投げ捨てる前に受け取り、丸められた写真を広げる。こちらは手塚が手にしているタバコの箱から、大石が一本取り出している図だった。
 これは……更に決定的な写真だな。
「この写真が青学タイムスに掲載されようものなら、まず間違いなく、テニス部は活動停止だね」
「ええー!? ようやく関東大会だってのに!? 大石のヤツ、亜久津のヤローを中体連に訴えようとか言ってたけど、自分が訴えられちゃしょうがないじゃん!」
 そっちなのか? 問題なのは。いや、俺としてもせっかくレギュラーを取れたのだから、出場停止などになりたくはないのだが。
「ううむ。喫煙による体力と肺活量、持久力への悪影響はさんざん言って聞かせていたつもりなんだがな」
 俺が口元を抑えながら唸ると、
「嘘つけー乾!」
 即座に菊丸が反論してきた。
「嘘?」
「そーだよ。お前、大石と手塚にはそーゆー事言わないじゃん。俺とか桃とかおチビには厳しいくせにさー」
 そうだった。
 このふたりは言わなくても判るだろうと思って(特に大石はおじが医者だと言うし)、わざわざ注意しなかった。ぬかったな。
「どうでもいいよそんな事。それで、どうする?」
「どうするって、こんな写真捨てちゃえば!」
「捨ててもネガは残っ……」
「なんでドア開きっぱなしなんだ?」
『!!!!』
 突然聞こえてきた大石の声に、俺たち四人は硬直した。
 それから、ほぼ同じタイミングで硬直から解放され、ゆっくりとドアの方に振り返る。
 爽やかな笑顔の大石。ストイックな無表情の手塚。
 ふたりとも、そんな「一般中学生のような子供じみた興味本位で法律を犯しません」とでも言いたげな顔をしておきながら。
「大石!」
 俺はふたりになんと声をかけていいか判らなかったが、菊丸は何か思うところがあったのか、ロッカーに歩み寄る大石の肩を掴んだ。
「なんだ?」
「そのさ、大石。聞きたい事、あるんだ、けど……」
 そうだな。菊丸が一番、複雑な感情を抱いているかもしれないな。
 この写真が公開されるのは時間の問題だが、それまでに上手く対処すれば、手塚と大石のふたりが出場停止になるだけで、青学テニス部自体は免れるかもしれない。
 それでも菊丸は、ダブルスの相方を失ってしまう訳だ。
「どうした英二。真面目な顔して」
「その……コレ」
 菊丸は俺の手から写真を奪い返し、大石の目の前につきつけた。そんな至近距離では余計に見にくいと思うんだが。
「あれ? 英二、どうしたんだこの写真」
「どうしたって……!」
「まさか撮られているとは思わなかったな。気付いてたか? 手塚」
 大石は動揺するそぶりを少しも見せず、写真を手にとり、そのまま手塚に見せた。手塚はちらりと写真に視線を送るが、数秒見ただけで、何事もなかったように着替えを続ける。
 ふたりとも、妙に度胸が据わっているな?
「で? この写真誰が撮ったんだ?」
「桃と同じクラスの、新聞部のヤツだって」
「なるほど」
「なるほどじゃないだろ! 青学タイムスに載っちゃうんだぜ!」
「ああ、載るかもしれないな」
 載るかもしれないな、だと?
 この状況で、ここまで開き直れる男だとは思わなかったが、さて。
「大石、ひとつ聞きたいんだが、この写真はどういった時に撮られたのかな?」
 俺が試しに訊ねてみると、大石は少しだけ「どうしてそんな事を聞くんだ」とでも言いたそうな顔をしたが、きちんと笑顔で答えてくれた。
「ほら、先週、生徒会主催の周辺清掃ボランティアに参加した時のだよ。吸殻が落ちているのは良く見るけれど、中身が入っている箱が落ちているのは珍しいなって話していたら、先生が『もったいないから貰っておこう』って持っていったんだよな、確か」
 ……なるほど。そう来たか。
 このふたりに限ってありえないとは思ったが、そんなオチが来るとはな。少々予想外だったよ。
 安心した俺が薄く笑みを浮かべて振り返ると、不二と桃城も同じように静かに微笑んでいる。菊丸は、全身で喜びを表していた。
「なーんだ、そっか〜。びっくりしたにゃ〜。桃のヤツがさあ、大ニュース大ニュースって叫ぶから俺ホント、ビックリしちゃったよ!」
「ちょっ、エージ先輩!」
「大ニュース?」
「この写真を見て、君たちが学校でタバコ吸ってると思ったらしくて」
「不二先輩!」
 おや不二、それを暴露してしまったか。
 そうすると、あのお決まりの台詞が彼から飛び出す確率は、92%と言った所かな。
「桃城」
 着替えを終えた手塚は体ごと振り返り、冷たい視線で桃城を睨みつけると。
「グラウンド30周だ」
 確率に違わない台詞を、しっかりと吐いてくれた。


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