寝坊

 ブン太はまぶしすぎる西日を背負っていたから、俺は目をしっかり開ける事もできなかった。
「いいかジャッカル。明日一秒でも遅れたら、どうなるか判ってんだろうな? ブッ殺すぞ」
「あー判った判った」
「ほんとに判ってんだろーな? 俺はマジだぜ?」
 俺の眉間に人差し指をつきつけながら、ブン太は不敵に微笑む。
「判ってるって」
 本当にブッ殺されはしないだろうが、ロクな目に合わない事は間違いないだろうからな。
 俺が適当にあしらっていると、ブン太はクチャクチャと行儀悪く噛んでいたガムを大きく膨らませ、それが俺の目の前でパチン、と音をたてて割れたところで――

 目が覚めた。
 昨日の夜カーテンを閉め忘れたせいで、窓から強い日差しが射し込んでくる。すがすがしいと言えば、すがすがしい朝。
 それなのに妙に損した気分の朝だ。毎日毎日嫌ってほど見ているヤツの顔を、たまの休みにも見る羽目になった今日と言う日の朝に、なんで夢にまで見ちまうのか。俺ってかわいそうな奴。
 小さくあくびをしつつ、ゆっくりと体を起こしながら、枕元に転がしておいた携帯に手を伸ばす。
 今、何時だ? アラーム鳴ってないけども外はしっかり明るいから、八時とかその辺……。
 って、待て。
 俺は携帯に表示された時間を見て呆然とし、目をこすってからもう一度見た。
 九時四十八分。何度見ても、表示された時間は変わらない。
 いやいやいや。そんなわけねえ。
 俺は携帯から別の時計に視線を移す。
 何度合わせてもすぐに進んじまうその時計は、現時点では二分くらい進んでるんだが、九時五十分を示してる。
 ……間違いなく、九時四十八分、なの、か? 俺はアラームをセットし忘れたのか?
 ええと。
 待ち合わせは、十時だったよな。
 待ち合わせ場所まで、走って十分くらいかかるよな、確か。
 今は、九時四十八分。
 俺は昨日ブン太との別れ際に、眉間に人差し指をつきつけられながら、「いいかジャッカル。一秒でも遅れたら、どうなるか判ってんだろうな? ブッ殺すぞ」って言われていて、それを夢にみてしまう程度には時間を気にしている。
 ……。
 やばい、な。
 まだ少し眠っていた意識が、一気に覚醒する。
 俺は許された二分弱の自由時間で、何をするかを瞬時に選び取った。
 着替えと洗顔が、せいぜいだったが。

 九時五十九分四十二秒、現地到着。
 ……ギリギリ間に合ったか。
 家を飛び出してからここまで、一瞬たりともスピードを落とさずに全力失踪してきたかいがあったってもんだ。
 しっかし、持久力には自信があるとは言え、起き抜け朝食抜きでこれは辛ぇな。
 汗をふいて、大きく深呼吸してから、俺はブン太の姿を探した。人が多くてあんなちっこいの見つけにくいな。赤いアタマを探すしかねえ。
 そうして俺がきょろきょろ周りを見渡していると、突然、携帯が鳴った。
 かけてきた相手は、もちろんブン太だ。
「ブン太か」
『おー、ジャッカル! お前今どこにいんだよ!』
 なんか不機嫌そうな声だ。俺が遅刻したと思ってるのか?
「ちゃんと待ち合わせの場所に居るぜ。今お前を探してるところだ」
『そうなのか? あのな、それ、ムダだぜ?』
「なんでだよ」
『俺、今、家に居っから!』
 ……は?
 今、なんつった?
『いやー起きたの今でさ、スゲービックリした! んじゃ、これからメシ食って出るから、三十分くらいそこで待ってろよ』
「……ブッ殺す!」
 俺は携帯に向けて低くうなり、ふるえた手で通話を切った。


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