人はひとりでは生きていけないと言うけれど。 誰かと交流して生きていくより、ひとりで生きていく方が、ずっと楽だと思っていた。 その年、たまたま同じ学校に入り、同じクラスになり、同じ部活に入った人物の名は大石秀一郎。 彼もまた、今まで出会ってきた他の人たちの例に漏れず、俺にとってさして意味のない人物になるはずだった。 大石君は目が大きく、表情をくるくると変え、屈託なく笑う。頭が良く、教師やクラスメイトにしょっちゅう頼られ、けれどけして相手を無下にせず、ひとつひとつ丁寧に対応する。 彼がクラスや部活で人気者になるのに、さほど時間はかからなかった。 入学式から一週間も過ぎる頃には、彼はいつでもどこでも人の輪の中心に居て。 対して人付き合いを好まず、好んだとしても下手過ぎてどうしようもない俺は、輪からはずれた所が定位置となった。 それで良かった。それが良かった。 はずなのに。 「おはよう、手塚君」 「手塚君、部活に行こう!」 「手塚君、一緒に帰ろうよ」 俺よりも少し高い、耳に心地よく響く優しい声は、事あるごとに俺の名を呼んだ。 輪の中からわざわざはずれて、俺の隣に駆け寄って来る事もあり。 どうしてだろうと思う事は度々あったけれど、彼が隣に居る事はけして不快ではなく、それどころか、とても心地よいと気付いた。 はじめて彼を見た時の感想は、「俺とは違う人種」で。 今彼に抱く感想は、「不思議な奴」だ。 「大石君」 「なんだい?」 「君はどうして、俺に構うんだ?」 俺は自分の事をある程度は知っているつもりだ。 同い年の連中に比べて、勉強ができ、テニスが上手く、無愛想。どの点をとっても、他人に嫌われる要素になる事はあっても、好かれる要素にはならないだろう。 それなのに大石君は、事あるごとに俺の隣に居る。沢山の人に愛されている彼ならば、隣に居るべき人物を、いくらでも選べるはずだ。もっと話していて楽しい奴や、優しくしてくれる奴のそばにいればいいのに。 どうして俺のそばに居るのだろう。 「構っているってわけじゃないんだけど……ひょっとしてまとわりついて迷惑だった? ……ごめん」 大石君の、常に明るく輝いている瞳が、急激に曇った。 だから俺は、めずらしく少し慌てて。 「いや、そう言うわけでは」 「本当に?」 「ああ」 「それなら良かった」 雲はすぐに風にさらわれ、明るい太陽のような笑顔が見える。 大石君は胸を抑え、「安心したよ」と呟きながら、小さくため息を吐いた。 「手塚君、怒らないで聞いてくれる?」 「ああ」 大石君が何を言い出すかもまだ判っていないのに、俺は彼の笑顔に押されて、つい頷いてしまった。 「誰と話をしていても、楽しいんだ。皆優しいし、興味を持つ対象が違うから、それぞれからぜんぜん違う話が聞けて、すごくおもしろい」 それが俺には理解できなかった。興味のない話をされても、鬱陶しいだけだと思う。 「でも一番楽しいのは、手塚君と居る時なんだ」 「……は?」 俺は柄にもなく、口を中途半端に開いたまま、少しだけ背の低い大石君を見下ろした。 自慢じゃないが、一緒に居て楽しいなんて……初めて言われた。 「手塚君とテニスの話をするのは楽しいし、テニスの話してない時は、なんて言うのかなあ、すごく気楽って言うかさ。なんでだか判らないんだけど。だからついつい、手塚君と一緒に居たいと思っちゃうんだよね」 そう言って、大石君は笑顔を浮かべたまま、照れくさそうに頭をかく。 「……そうか」 俺はそれしか言えなかった。俺が大石君のように気配りのできる人間だったら、もっと気の効いた事が言えただろう。 とりあえず俺は、大石君は変な奴だと確信した。不思議な奴だと言う認識も、変えるつもりはない。 俺とは違う人種だとも、まだ思っているけれど。 今ようやくひとつだけ見つけた共通点。 俺も、大石君も、人に甘えるのが苦手だと言う事。 だから、相手が不用意に頼って来たりしないから、お互いに気楽でいられるんだろう。 大石君はいつも誰かに頼られていて、俺は俺で、誰かが近付いてきた時は必ず頼られる時だから、他人がそばに居ると無意識に疲れてしまうんだ。 「君はすごいな、大石君」 「? 何の話?」 「思った事を言ってみただけだ」 大石君は、大抵の面において人より(はるかに)優れているのに、それがさりげなさすぎて、一見普通に見える。だから嫌味なく、皆に好かれる。 けれど彼は、本当は俺と同じ目線でものを見ているはずだ。 「大石君は、人はひとりで生きていけると思うか?」 俺はかねてから抱いている疑問を――俺の中では結論付いているつもりだけれど――大石君に投げかけた。彼になら尋ねる価値があると思えたから。 大石君はなんどかまばたきを交えながら、俺の顔を凝視する。 「うーん、難しいなあ。いざひとりきりで放り出されたら、なんとかして生きていくのかもしれないとは思うけど……わざわざひとりで生きていきたくはないなあ。誰かと一緒の方がいいよ。楽しいし、寂しくないし、仕事分担できるし」 最後の一言が妙に生々しいな、と俺は思った。 「一面に広がる荒野を進む時でもね、ひとりで歩くとすごく辛いんだけど、一緒に歩く人がいれば、花が咲き乱れる草原を歩いているみたいに楽しいって、言ってたよ。そんな感じじゃないかな」 「誰がそんな事」 「去年の夏休みに会った、世界中を歩いて旅してるって言うお兄さん。公園で会って色々話を聞いたんだ。お母さんはそう言う人にあんまり近寄るのはやめなさいって言ってたけど、知らない国の話とか聞けておもしろかったし」 彼の母親が言う事はもっともだと思う。 無防備と言うか、天然なんだな、きっと、大石君は。 「手塚君」 「なんだ」 「笑わないで聞いてくれる?」 「……」 俺は大石君の目を見つめた。 この俺に「笑わないで」と前置きするとは、どう言うつもりだろう。俺は彼の前で笑った事など、今のところない。そんな俺に笑われる事を危惧するとは、相当妙な事を言うつもりだろうか。 「あのさ……その」 大石君は少々どもってから、大きく息を吸い込み。 「僕は、手塚君の歩く道がもしも荒野にあるなら、それを花が沢山咲いている草原に変えられたらなあって、思ってるんだ」 俺は、大石君に負けないくらいに目を大きく開いた。 それから不覚にも、口の端を持ち上げて、ほんの少しだけ、吹き出してしまった。 まったく、突然何を言うかと思えば。 「笑わないでって言ったじゃないか!」 「笑うだろう、普通」 「でも笑わないで欲しかったの! 僕は本気なんだから!」 「それは判っている」 判っているからこそ、笑えたのだと、思う。 ほとんど誰にも見せた事のない笑顔を、大石君には見せられたのだと。 「楽しみにしているよ、大石君。君が草原を見せてくれるのを」 俺が笑いをこらえながら言うと、大石君は満面の笑顔で、強く頷いた。 俺は、誰かと交流して生きていくより、ひとりで生きていく方がずっと楽だと思っていた。 けれど、今は――。 |