悔し涙

 関東大会は準々決勝で負けて、うなる腹をごまかすためにあらかじめ用意していた(だって、みんな準決勝に進む気満々だったからな)昼飯を食って、コンソレーションに備えて猛練習だ! と誓い合った、そんな帰り道。
 午後になったから、ふたつのコートで試合がはじまっている。準決勝、青学VS六角と、立海大VS不動峰だ。
 俺たちの帰り道に見かけたコートでは、渋いオレンジ(柿色って言うのか?)のジャージがずらっと並んでて、立海大と不動峰がこのコートで戦ってるんだろう事はすぐに判った。
 王者立海大。
 対するは、午前中にウチを負かしてくれた不動峰。
 立海大の応援の声が、ひときわ大きくうなる。
 半歩後ろを歩いていた千石が、ぴたりと足を止める。
 つられるように俺が足を止めると、俺の隣を歩いていた東方も、一歩先に進んでから足を止めた。
「試合、気になるのか?」
「んー……試合もそうだけど、今、それ以上に気になるモノが眼の端にちらっと映った気がしたんだよね」
 千石はフェンスに近寄って、立海大テニス部員の隙間を上手く見つけて、コートの中を覗き込んだ。
 動体視力のいい千石の目に映ったってなら、まず間違いないだろうけど……。
「うわー……」
 ひときわ背の高い東方は、立海大テニス部員の頭の上から易々とコートの中を覗き込んで、ヘンな声を上げた。
「どうした?」
「ダブルス2の試合が終わったところだ。見事にダンゴ」
 俺は慌ててふたりに並んで、テニスコートを覗き込む。
「ダブルス2って……ウチの新渡米と喜多を倒した奴らだろ? 負けはともかく、ダンゴ!?」
 そりゃまあ、立海大はほんと、半端じゃなく強いから、勝てないのは仕方ないとしても……1ゲームも取れないなんて、そんなのアリか?
「違うみたいだぞ。シングルス2と3の奴らが組んでる」
 シングルス2と3って。
 確かえっと伊武ってヤツと……神尾!?
 俺はゆっくりと、千石を見下ろす。
 千石は珍しく真面目な顔で(いや、今日の千石はいつもに比べて真面目な顔をしている時間が圧倒的に長いんだけども。よっぽど悔いがあるらしい)、じっとコートの中を見つめていた。
 コートの中に居るのは――おいおい、真田と柳かよ。去年のJr選抜ペアが、ダブルス2かよ。すげえな立海大。
 それと、ぐっとラケットを握り締めて、唇を噛み締めている感じの、伊武。
 そして、目のあたりを汗まみれの腕で乱暴に拭う、神尾。
「泣いてるね、亀田くん」
「神尾だよ。『か』しかあってねーぞ」
「よっぽど悔しいんだね」
 俺のツッコミは完全に無視か。まあ、いいけどな。
 あの試合は本当にギリギリの試合だったから、運とか相性とかそう言うのが色々と加味された上での結果で、千石が神尾より弱いと言い切れるものではない(ひょっとしたら、神尾が千石に勝てる確率は十分の一くらいで、その一回がたまたま最初に来たのかもしれない)。
 それでも、自分を負かした相手が、あまり慣れていない(たぶん)ダブルスとは言えダンゴで負けてたら、かなり複雑な気持ちだろうと思う――そうだな、俺も、青学の大石とか菊丸とかが、たとえシングルスでもダンゴ負けしているの見たら、やっぱり嫌だな。
「俺さあ……」
 千石はフェンスに両手の指を絡めて、額を預ける。少し俯いているけれど、上目使いで、神尾をじっと見つめてる。
「負け惜しみみたいに聞こえるかもしんないけど、違うんだ」
「何が」
「今の俺でも、亀尾くんと」
「神尾だって」
「百パーセントの力で戦ったら、俺が勝つと思う」
 それは、どう言う意味なのか。
 午前中の試合では、百パーセントの力を出さなかったのか、出せなかったのか。どっちにしても、負け惜しみに聞こえるどころか、完璧な負け惜しみだと思うんだけどな……?
「さっきの試合、手ぇ抜いてたのか?」
 俺が抱いていたけど口にしていいものか悩んでいた疑問を、東方はあっさり千石に投げかけた。
「違うよ。そりゃ試合開始前は、二年生だとか、足が速いだけの相手だとか思って、ちょっとみくびってたかもしんないけど、一ゲームもやれば相手の実力判るって。本気だったよ俺、百パーセント」
「じゃあ……」
「でも彼は、百パーセントを超えてたんじゃないかなって、思うんだ」
 挨拶をして、ゆっくりとコートを出ていく神尾を、視線だけで追いかける。
「真田くんとかさ、柳くんとかさ……彼にしてみれば、負けて当然みたいな相手だよね。そんな相手に負けても、俺、悔し涙なんて流せない気がする。そんでもって、負けちゃいけない試合で、負けるわけがないと思っていた相手に負けても、俺、やっぱり悔し涙なんて流せなかった」
 千石は、仲間たちに励ましの声を受けながらタオルに顔をうずめる神尾から目を反らす。
 まあ、確かに。
 あんな風に泣けるのは、全力以上のものを全て出し尽くして、それでも結果が出せなかったからなんだろうな。あの時ああすれば良かったなんて、試合に悔いなんて欠片もない上で、単純に自分の力不足を嘆いている、それだけだから、かもしれない。
「でも、これからは変わるんだろ」
「うん」
「お前の涙なんて見たくもないけどな」
「うわっ、地味's南、ひどい事言う! 俺のダイヤモンドの涙に向かって!」
 お前も地味'sってひどい事言うな。
 って言うかダイヤモンドの涙って何だ。お前の涙にいつそんな価値がついた。
「ああ!」
 ぽん、と。
 ひときわ高い位置から、東方の手が、俺と千石の頭に置かれる。
「悔し涙なんて見せられても困るって事か!」
 きょとんとした顔で、千石は俺と東方の顔を見比べて、それから何を思ったか、突然俺たちふたりに飛びついてきた。
「地味's、大好き!」
『地味'sって言うな!』
 基本として、俺たちは声を合わせて、千石にツッコミを入れる。
 東方にとって、それが照れ隠しだったかどうかは、判らないけどな。


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