甘い汁

 部活が終わって家に帰ると、玄関にいつもよりもひとつ多く靴が置いてあった。
 それは泥かなにかで汚れているスニーカーで、我が家でこのたぐいのものを履くのは僕を含めたとしてふたりしか居ない。そして僕はまだ靴を履いているから、このスニーカーが誰のものかは明らか。
 まあ、こんな靴を手がかりにしなくても。
 裕太が今日帰ってくる事は、事前に判っていた事なんだけれど。
「おかえり、周助」
「ただいま」
「……」
 姉さんはちょうど台所かが出てくるところで、手には焼きたてのラズベリーパイがある。
 それを待ちわびていただろう、ダイニングテーブルに座る裕太は、僕の方をちらりと見るだけ。「おかえり」と言ってくれるどころか、少し不機嫌そうだ。
 そんなに嫌がらなくてもいいのに。
 さびしいなあ。
「裕太おかえり。ずいぶん早かったね。どうしたの?」
「別にどうでもいいだろ」
「そう言われると、どうしようもないなあ……まあ、でも、ちょうど良かった。一刻も早く裕太にあげたいものがあったんだ」
 僕は荷物をゴソゴソと漁って、ドリンクボトルをドン、と裕太の前に置いた。
 裕太はまず僕を見上げて、それからダイニングテーブルの上のドリンクを、疑わしそうな目で見下ろして。
「なんだよこれ」
「スペシャルドリンクだよ。裕太が好きそうだと思って、もらってきたんだ」
「兄貴の出すものなんて、どうせマズイか辛いんだろ? いらねえよ」
 うーん。僕ってずいぶん信用ないみたいだな。
 それに、辛いはまあしょうがないけど、マズイはちょっと失礼じゃないかな。僕が味覚音痴みたいじゃない。
 ……英二に言わせれば間違いなく味覚音痴らしいけど。
「裕太は気に入ると思うんだけどな。僕の口には、合わなかったし」
 僕がそう言うと、裕太は少しだけドリンクに興味を持ったみたいだ。
 そんなに僕の味覚を疑ってるのかな、裕太は。
 僕に言わせれば裕太の味覚の方がおかしいと思うんだけどね。
「じゃあ、ちょっとだけ、もらうぜ」
 裕太はおそるおそる、と言った感じで(まだ僕を疑ってるみたいだ)、ボトルに手を伸ばす。
 ゆっくりと口をつけて、少しだけ飲み込んで。
 口を離してしばらくボトルをじっと見ていたかと思うと、慌てるように僕を見上げる。
「……うまい」
「だろう?」
「なんだよ。兄貴が持ってくるから、どんなもんかと思ったけど……サンキューな」
 裕太は少しだけ照れくさそうに、消え入りそうな声でお礼を言ってくれた。
 まったく、ずるいなあ。そう言う素直で判りやすいところ。
「気に入ってくれて嬉しいよ。それに免じて、僕の分のラズベリーパイ、残しておいてくれるかな? 僕、着替えてくるから」
「おう」
 裕太の返事を聞いてから、僕はダイニングを出る。
 二階への階段を登る手前くらいで、ペタペタと僕を追いかけてくる足音に気付いて、僕は振り返った。
「姉さん」
「周助、今の、何なの?」
 あれ?
 もしかして、姉さんまで僕を疑ってる? 酷いなあ。
「別に危険なものとかじゃないよ。体にいい成分を豊富に含んだ、スポーツマンのためのドリンクだよ。我らが青学の誇るデータマン、乾の作った、ね」
 姉さんは一瞬だけ、間を開けて、
「ねえ、それって……もしかして」
 微妙な表情で、僕に曖昧な訊ね方をしてきた。
 うん、きっと、姉さんの予測通り……かな。
「今回は糖分やプロテインをメインにしたんだって。味付けは、飲んだ部員のほとんどがギブアップするくらいの激甘」
 ふふふ、と僕が笑うと、姉さんは苦笑しながらため息をひとつ吐いて、
「やっぱり血は争えないのかしらね」
 なんて言い出した。
 ……それは一体、どう言う意味なのかな? 姉さん。


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