家族

「淳、お前のハチマキ目の前でチラチラして気が散るだーね。試合中ははずすだーね」
 練習試合がはじまる前、柳沢先輩は木更津先輩に近付いて、胸を張りながら文句を言った。
 木更津先輩は首を傾げつつ腕を伸ばして、長いハチマキの端っこを手に取る。
 確かに、木更津先輩のハチマキ、何の意味があるのか判らないくらいに長いから、木更津先輩が前衛で、柳沢先輩が後衛のポジションについている時とか、特に気になりそうだ。
「ああ、ごめんごめん。確かに集中力削ぐよねこれ。じゃあ、柳沢が『だーね』って言うの止めたら、俺もハチマキはずすよ」
 木更津先輩がそう提案すると、
「そんなの無理だーね!」
 柳沢先輩はむきになって、反論する。
「じゃあ俺も無理。くすくす」
 え? そう言うものなのか? 無理ですませていいのか?
 端から聞いている俺は、疑問に思ったりもしたんだけど、
「しょうがないだーね……我慢するだーね」
 柳沢先輩が納得してしまっているのなら、口を挟む筋合いもない。
 でも、本当にいいんですか? 柳沢先輩。騙されていませんか。
 と、声に出して聞く勇気がない俺を許してください。
「そうそう、人間、譲り合いの精神が必要だよ」
 ……譲り合ってるかあ?
 九対一くらいの比率で、柳沢先輩が譲ってる気もするんだけど。
 やっぱり、一言くらい挟んでおいた方がいいんだろうか。今日の相手は千葉の古豪・六角中。並大抵の相手じゃないから、万全のコンディションで挑んだ方がいい。
 くすくす笑って流されてしまったら、しょうがないやで諦めればいいもんな。
 ああでも、本当に自分たちの不利になるなら、観月さんがとっとと注意してるよなあ。そう言うところ、抜け目のない人だから、観月さん。
 うーん……。
 俺はうつむいたままで、上目使いで覗き込むように、木更津先輩を見た。
「……?」
 木更津先輩の目が、切なげに細められる。
 視線は一箇所で固まったまま、動こうとしない。
 俺は少しだけ迷ったけれど、決意して、木更津先輩が視線をそそぐ方向に顔を向ける。
 長い黒髪が、強い風に揺れていた。
 六角中のウェアを着たその人は、小柄で細身で――木更津先輩に良く似た顔をしている。似ているって言うか、もう、同じだ。
 あ……そう言えば、木更津先輩って六角中出身だったんだっけ……!
「淳、あいつ」
 柳沢先輩も気付いたみたいで、なんだか少し慌てた風に、木更津先輩の肩を掴む。
「うん、俺の双子の兄貴。亮だよ」
 木更津先輩の瞳が、切なげなものから、優しいものへと変わる。
 ひきつっていた口元に、小さな微笑みを浮かべて。
「良かった……」
「淳?」
「亮が元気そうで、本当に良かったよ」
 俺は木更津先輩がどうして六角を出てルドルフに来たかを知らないし、知る必要もないと思うけど……なんて言うのかな。今の木更津先輩の表情を見て、なんとなく羨ましいと思った。
 いや。
 いや、ぜんぜん、羨ましくなんてねえ! 俺は、別に、周助が弱ってようとへたれてようと、どうでもいいからな!
 いやいやそれよりも木更津先輩のお兄さんの事だ。「元気そうで良かった」ってなんだろう? 木更津先輩のお兄さんって、怪我や病気でテニスができない体だったとか……?
 それは、嬉しいよな。
 ああして復帰しているところが見れたら、優しく笑いたくもなる。
「亮が、あんな似合わない上に恥ずかしいウェアを笑顔で着こなせるなんて……」
「心配どころはそこですか!」
 俺は反射的に、ツッコミを入れていた。
 木更津先輩はきょとんとした顔で俺を見て。
「うん。だって心配じゃない? 俺はアレが嫌でルドルフに来たようなものだからさ。亮はアレに耐えられるかなあってずっと心配だったんだ」
 って言うか。
「木更津先輩そんな理由でルドルフに転入したんですか!」
「え? そうだよ。言ってなかったっけ? くすくす」
 そんなくすくす笑ったってごまかされませんよ!
「聞いてません! 聞いていたとしても、そんな理由で転校するなんて信じられません!」
「そうかなあ。裕太だって俺と同じだろう? 裕太はお兄ちゃんが嫌で、俺はウェアが嫌。ほーら」
「兄貴とウェアじゃあ全然違うでしょう!」
「えー?」
 木更津先輩は寂しそうに眉間に皺を寄せる。
「違うかなあ……?」なんて呟きながら、心底不思議そうに首を傾げたかと思うと、
「まあいいじゃない。理由なんてどうでも」
 とひとりで頷きながら、くすくす笑う。
 ……なんか。
 敵わない、よな。
 なんとなく、「しょうがない」と言いながら納得してしまった柳沢先輩の気持ちを理解してしまった俺は、腹の底からため息を吐いて、それ以上何も言わなかった。


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