授業中の保健室

 ばたり、と。
 背後でそんな音がしても大して気にして無かった。
 けれど、その音がした直後から、周りがザワザワしはじめて、視線が俺に集まって、ちょっと戸惑ったけれど、その視線が俺じゃなくて俺の背後に集まっている事に気付いた時、俺は振り返った。
 目を閉じて汗だくのバネさんが、倒れてる。
「バ、バネさん!?」
 俺は何がなんだか判らなくて、慌てて。
 どうしようとオロオロしていると、ひとり冷静なサエさんが、バネさんに近付いて、バネさんのおでこに手を置く。
「……すごい熱だな」
「え!?」
「風邪だと思うけど。よりによって一番図体がでかいヤツが倒れるとはな……ほらダビデ、背中貸す! 保健室に運ぶから」
「う、うぃ」
 俺はサエさんに言われるがままに従って、バネさんを背負う。
 それで、朝練で体力を使い切った事なんか全部忘れて、保健室までダッシュした。

「三十八度七分。黒羽くんの平熱がいくつだか知らないけど、発熱しているのは間違い無いわね」
 保健の先生がビックリするような数字を口にしたから、俺は先生から体温計を奪ってみたけれど、デジタルな文字で「38.7」って、ほんとに表示されている。間違いない。
「ジャージ着てるって事は、もしかして朝練習してたの? どうしてそんな事させるの」
「いや、だってバネさん、そんな事一言も言って無かった」
「誰も気付かなかったの?」
 俺は振り向いてサエさんを見てみたけど、サエさんも困ったような顔で頷く。
 言われてみれば、バネさん、朝、いつもよりちょっとハイテンションだったけど、昨日から明日まで家族が田舎に帰ってて、三日間だけひとり暮し気分満喫とか言って楽しそうにしてたから、そのせいかと思ってたし。
 あ、でも、顔赤かったかな。でも、練習中に見た時は、運動で赤くなってるんだと思ってたし。
「とにかく今日はもう帰る事ね。眠ってるなら、家族の方を呼んで……」
「あ、駄目です先生。バネ、明日まで家族が家に居ないんです」
 先生は困ったらしく、眉間に皺を寄せた。
「しょうがないわね。じゃあ、放課後までここで眠っててもらって、帰る頃には熱も多少下がるでしょうし、送っていってあげてくれる?」
「はい、判りました」
「担任の先生には私から連絡しておくから」
「お願いします」
 冷静に応対して、ぺこりと頭を下げるサエさんが、なんだかすごく大人っぽく見えた。
 バネさんが倒れたってのに、何にもできない俺って、なんか……なさけないよなあ。

 授業中、保健室のバネさんがずっと気になってたけど、一時間目が終わるまでちゃんと我慢して保健室を覗きに行くと、バネさんはまだ寝てた。
 三時間目が体育だから、二時間目が終わって着替えて、昇降口に行く途中に保健室寄ったら、やっぱりバネさんはまだ寝てた。
 体育の後に保健室に寄ったら、サエさんと剣太郎が心配そうにバネさんを見てて、「まだ寝てるよ」と教えてくれた。
 そんなに悪いのかな。
「昨日まであんなに元気だったのに、なんで突然こんなに熱出すのかな」
 俺が素朴なギモンを口にすると。
 サエさんが気まずそうに俺から目を反らす。
「……予想だけど」
「うん?」
「風呂上りにパンツ一枚で髪もよく拭かずに寝て、そのまま朝を向かえたんだと思うよ」
「なんで知ってんの?」
 サエさんはごほん、と咳ばらいをした。
「昨日電話をしてね、今風呂上りだって言ってたからさ。それでバネ、電話の途中で疲れていたみたいで、寝てしまったんだよね。一応何度か呼びかけてみたんだけど、返事がなくて。まあすぐに起きるだろうと思って、電話切って放っておいたんだけど」
「……サエさーん!」
「正直、バネの風邪は俺のせいじゃないと思うけど……謝っておくよ。ごめん」
 確かにサエさんの言う通り、サエさんのせいじゃないんだけど、サエさんもちょっとは責任感じてるみたいで、バネさんの汗拭いたり、しきりに面倒見てて、えらいなあとちょっと思った。
「バネさんって……バカだねえ」
 静かな保健室の中で、突然呟くのは剣太郎。
 そ、そりゃ、風邪ひいた原因は、だいぶマヌケだけど、病人にそこまで言わなくたって!
「しょうがないだろ。夏カゼはバカがひくものなんだから」
 俺が反論する間もなく、サエさんにまでそんな事言われてしまう。
 ……ごめん、バネさん。
 俺も実は、バネさんっておバカだなあと思った……。

 お昼の給食にはみかんが出た。
 風邪ひいた時はビタミンCがいいって言うから、俺はみかんを残して、保健室へ持ってった。
「せんせー、バネさんは!?」
 ガラリとドアを開けながら、即、聞いてみると。
「保健室では静かにしなさいね」
 と文句を言いながら、バネさんが寝てるベッドを親指で指し示した。
 バネさんはあいかわらず、ベッドに横になってたけど、そんでもってすごくけだるそうだけど、目は開いてた。
「おー、ダビ」
「バネさん、大丈夫!?」
 とてとてとて。
 俺はバネさんのベッドに近付いて、近くの椅子引きずってきて、座る。
「みかん、食べる?」
「おー、食いたい、冷たいの」
「冷たくないかもしんない。俺の手であったまったっぽい」
「んなキモイもん食わせるなよ」
 バネさん、ひどい。
 俺がせっかく、食べたいの我慢して残した、みかんなのに。
 でも相手は病人なので、俺はおとなしく引き下がって、保健室にそなえつけてある小さな冷蔵庫に、みかんを放りこんだ。
「バネさん」
「なんだ」
 俺はバネさんを指差して。
「夏カゼひいても春風」
 数秒、沈黙。
「……ぷっ」
「だから聞き飽きたって言ってんだろが!」
 バネさんは、さすがに蹴りは無理だったみたいだけれど、ごいん、って、思いっきり拳骨で俺の頭を叩いた。
 それはすごく、ものすごく痛かったけど。
「バネさん、元気だ」
「あ?」
「さっきまでずっと具合悪そうで、ずっと寝てて、でも、バネさんちょっと元気になった。よかった」
 バネさんはちょっと、驚いたけど。
 腕を伸ばして、俺の頭、撫でてくれた。
「心配かけて悪かったな」
 なんて、照れくさそうに笑いながら。


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