部室にかざられている、十三枚綴り(つまり、一月一枚のタイプ)のカレンダーを誰が持ってきたのかは覚えてない。 別にみんな、カレンダーなんか必要としてなかったと思う。そのカレンダーに予定が書き込まれていた事なんてこれまでほとんどなかったし。大会の予定を、橘さんが書き込んでいたくらいだろうなあ。 「あ、もう、月変わったんだよね」 二学期の始業式の日の放課後。 部室に入って来た途端、森は八月のカレンダーをビリビリと破いた(多分、先月までもこのカレンダーをめくっていたのは森だったんだろう)。 現れた九月のカレンダー。 森はそれをじっと眺めて、微動だにしない。 かと思うと、机に適当に放り出された細身の油性ペンを手にとった。 「なんか、予定書くのか? 新人戦?」 「いや、予定じゃなくて」 森が油性ペンで字を書き込んだのは、三日だった。 書きにくいんだろう、少し崩れた字で、「橘さん記念日」と書かれる。 ああ、そう言えば、去年の二学期の始業式、三日だったんだっけなあ。その日に、橘さんははじめて、不動峰中の生徒として俺たちの前に現れたんだ。 「こう言う事、書いちゃ駄目かな」 ペンのキャップをしめるなり、森は俺に振り返って、照れくさそうに笑った。 「いいって。俺が許す!」 「あはは。新部長にそう言ってもらえると、心強いよな」 「そうだろ? どうせだから、他にも色々書こうぜ」 俺がもう一本置いてあったペンを手にとって森の隣に並ぶと、森は嬉しそうに、再びペンのキャップをはずした。 「えーっと、新テニス部設立記念日は欠かせないよね」 「新コート完成記念日もだろ」 「橘さんにアドバイス受けて、今の形でダブルス組むようになったのって、いつだっけ?」 「アキラがクイックモーションのサーブを教わったのは、確か十一月の終わりだった気がするから、そのちょっと前――橘さん、そう言うの部誌につけてそうだから、見てみるか」 この一年間で橘さんが書き溜めた部誌は、机の中に放り込まれているはずだ。 ノート四冊目に突入したそれは、開いてみると、新テニス部設立記念日以降の思い出が事細かに書き込まれている。 橘さんとの、思い出が。 嫌と言うほどに。 いや、嫌なわけないんだけどな、もちろん。 「アキラが内村と喧嘩して目に痣を作ったの、この日だったんだ〜」 「石田のフラットショットが凄かったけど腕に負担がかからないか心配だ、とか書いてある。じゃあこの日、波動球記念日な」 「波動球が完成した日はどうするのさ」 「そりゃ、波動球完成記念日だ」 「波動球を使うなって注意された日は?」 「波動球禁止記念日」 アホみたいに、俺と森は(ほとんどむりやりに作った)記念日を、カレンダーに書き込んでいく。 隙間なんてないほど、カレンダーを真っ黒にするほど。 どのくらい時間を書けて、どんだけ沢山書き込んだんだろう。 俺たちの手が止まったのは、少し遅いホームルームが終わって部室にやってきた石田が、 「何やってるんだ?」 と、聞いてきた時だった。 「お、石田。お前もやるか?」 「だから、何を」 「カレンダーに記念日書き込んでるんだ。沢山ありすぎて、ふたりじゃ終わらないよ」 沢山、ありすぎだ。 カレンダーは、九月から十二月の四ヶ月分しかないってのに。 去年の俺たちは、九月に橘さんに出会ったばっかりだっつうのに。 「橘さんとの思い出、多すぎてさ」 橘さんはまだ卒業したわけではなくて、これからもちょくちょく顔を見せてくれると言っていたけど。 それでももう、今まで見たいに頻繁に、記念日を作れるわけじゃなく。 「今日がまだ開いてるな」 「去年の今日は、橘さんとまだ会ってないからね」 「じゃあ、そうだな……橘さんからの独立記念日って、しとくか?」 森の右手の動きが止まり、森はゆっくりと、うなだれる。 気持ちは判るんだけどな。 そんな日、別に、記念にも何にも、したくなんてないからな。 いっそなければいいと思うほど。 「泣くなよ、森」 俺は森の顔を見るようなマネはしなかったけど、大体予想はついたから、そう言ってみた。 「俺、泣いてないけど」 案の定、不機嫌そうな森の声。 「でも今にも泣きそうだろ、お前の事だから」 「桜井、人の事言えないって知ってる?」 「え、俺、森の事言えないか!? 石田!」 「……さあなあ」 小さく、石田の笑い声が部室に響く。 なんとなく、シャクに触るぞ、石田のヤツめ。 「お前たちはどうだか知らないけど、俺は泣けるものなら泣きたいかもしれない」 俺と森が同時に振り返ると、石田はびっくりするくらい穏やかに笑ってた。 そんな石田の笑顔を見てたら、照れくさがってる自分が、なんだか逆にガキみたいに思える。 「今日から、みんなで頑張ろうな」 「ああ」 「橘さんに笑われたり怒られたりしないように」 「……うん」 俺たち三人、顔を突き合わせて笑ってみたけれど。 笑ってるのは表情だけで、その奥でみんな泣いているのは明らかで。 バカみたいに空笑いを部室中に響かせるのが、精一杯だった。 |