手塚、と呼び捨てにしはじめたのは、一体いつの事だろう。 キミじゃなくてお前と、僕じゃなくて俺と、言いはじめたのきっと同じ頃。 「ほら、手塚、行くぞ!」 俺はいても立ってもいられず、戸惑う手塚の腕を無造作に掴んで走り出していた。 出会った頃から手塚も俺も、十センチくらいは背が伸びたかな。いつか手塚の背を追い越したいな、なんてちょっとだけ思った事もあったけれど、今のところそれは叶っていなくて、四センチばかり見上げてる。 身長だけじゃなくて、お互い、手も大きくなったよな。前よりもしっかりとラケットが握れるようになった。 腕だって伸びて、少しだけ遠くのボールに届くようになったよな。 それから――当然の事のように(事実当然の事なんだけど)着続けてきたからか、体育の授業で普通のジャージを着ているのを見ると奇妙に感じるほど、手塚はレギュラージャージが似合ってしまって。 逆に俺はぎこちないけれど、それでもこうして、新品のレギュラージャージを着られるようになった。 「大石、俺は……」 「いいから!」 未だ戸惑う手塚の腕を、俺は離すどころかよりいっそう力を込めて掴む。 「なあ手塚。俺たち、けっこう変わったよ。はじめて会った入学式の日から今日までの、一年の間に」 少しだけ低くなった声とか、そんな、体の事だけじゃなくて。 一緒に弁当たべたりとか、図書館で勉強したりとか、それからときどき一緒にアクアショップに行ったり、釣りに行ったり。 そんな日常の中で、あの時はまだ口にするだけだった「全国」と言う夢を、手の届く夢として深く強く、語り合えるようになったじゃないか。 それも全て、 「大和部長!」 貴方というひとが、居てくれたから。 だってあの時、大和部長が手塚を引き止めてくれなかったら――俺は今、こうして手塚の腕を掴む事は、できなかったと思うんだよ。 俺の声に気付いて振り返った大和部長は、少しだけ驚いて、それから俺の頭に右手を置いた。 「おやおやどうしました、大石くん。手塚くんも、僕を見送りに来てくれたんですか?」 「は……はいっ」 相変わらず優しいこの人が、中等部を旅立ってしまう事が、俺はものすごく悲しかった。 涙をこらえながら搾り出した返事は妙に上ずっていてマヌケで、無言で肯くだけの手塚が、同い年なのにものすごく大人に見える。 「卒業おめでとうございます、大和先輩」 「おめでと……ございますっ、大和部長!」 「おや大石くん、僕はもう部長ではありませんよ?」 ああ、そうだった。こんな言い方したら、今の部長に失礼だよな。 でも、俺が入学した時には、大和部長は大和部長だったから、大和先輩って呼ぶのは少しヘンな気がしてしまう――まるで、別の人のような。 「早いですね。君たちとテニス部で出会って、もう一年が過ぎようとしています」 大和先輩は俺の頭に置いた手をそのままに、左手を手塚の頭において、優しく微笑んだ。 顔を向ける事ができなかったから、見る事はできなかったけれど、たぶん手塚は戸惑っているんだろうな。 「手塚くん」 「……はい」 「きっと君は僕の望みを叶えてくれるでしょう。君が、青学の柱になる事によって」 手塚が肯く気配がする。 きっと、誇り高く胸を張って、頷いていたに違いない。 「それから、大石くんも」 「は、はいっ」 「わざわざ僕が言わなくても、君なら判っていると思いますが――どんなに強い柱でも、けしてそれだけでは立てないんですよ」 俺が小さく頷くと、大和部長の手はゆっくりと頭から離れて、力強く肩を叩いてくれた。 そこから伝わってくる温もりは、ひどく温かくて。 今までがんばってこらえていた涙が、こぼれはじめてしまう。 「大石くん、君には柱を支える力がありますね。安定して力強い、大地のような。その力は、とても尊いものです」 「はい……はい」 「僕は君たちの活躍を、遠くから祈っていますから」 感謝の気持ちが、あふれる。 こうして憧れだったジャージを着られるのも、手塚の隣で泣く事ができるのも、大和先輩のおかげだから。 「俺たちは必ず、全国へ行きます」 「行き、ますっ!」 それは手塚の夢。 だけど、いつしか俺の夢にもなっていて。 叶える事ができなかった、大和先輩の夢だった。 「そのニュースが飛び込んで来る日を、心待ちにしてますよ」 『はい!』 手塚と俺はまったく同時に、大きな声で返事をしていた。 叶えたい夢が、あるんだ。 俺自身のために。 俺に夢を見せてくれた手塚のために。 俺に今を与えてくれた――大和部長、貴方というひとのために。 |