街灯が作り出すいくつかの短い影を踏みながら、軽快なステップで先を進む英二が振り返った。 「とうとう明日だな!」 何が、と英二は言わなかったけれど、僕にはすぐに何の事か判った。 ずいぶん前にテレビでCMを見て以来、英二が映画をとても見たがっていて、僕や大石もその映画に興味があったから、じゃあ一緒に見に行こうって話になったんだ。 新しもの好きの英二だから、近くの映画館で先行ロードショーをすると判ったら、「じゃあ先行で!」って即決したっけ(僕らの意見も聞かずに、ね)。僕や大石は、英二みたいに気がはやっていたわけじゃないから、公開が終了するまでに見れれば良かったのだけれど、まあ早い分には問題ないからね。 「え?」 僕がすんなり納得して、「そうだね」と返すより一瞬早く、大石が短く動揺を示した。 英二は眉間に皺を寄せて、僕はいつも通りの表情で、大石に視線を集める。 「映画……明日、だったか?」 「え!? 何言ってんの!? 明日だよ! 明日逃したら来週になっちゃうじゃん!」 英二が力説すると、大石は慌ててスケジュール帳を取り出して、開く。隣に並んでいた僕がひょいと覗き込むと、明日の予定に僕と英二と行く映画は書いてなかった。代わりに別の予定が書いてある。 あ、一日書き間違えたのかな? 日曜日が映画の予定になってるみたいだ。 「しまったな……」 大石は小さく唸ってから、素早く携帯を取り出した。僕らに謝ろうとしないって事は、今スケジュール帳に書いてある予定の方を変更(あるいはキャンセル)するつもりらしい。 明日の予定のところに手塚の名前が書いてあるから、大石が今から謝ろうとしている相手は手塚なんだろうけど……自分のミスを理由に断わるのって、手塚相手じゃやりにくそうだね。まあ、先にした約束を優先しようとする律儀さが、大石のいいところだと思うけれど。 「あ、大石だけど」 電話が繋がったらしい。英二はやけに真剣な目で、大石を見上げた。 「すまないが、明日の晩、手塚のうちにお邪魔する事になっていただろう? あれを別の日に変更できるかな? 先約があったのに忘れていたんだ。申し訳ない」 簡潔に用件を伝えて、心のこもった、でもやっぱり簡潔な謝罪の言葉を告げる。 「ああ、明後日は大丈夫になった。じゃあ明後日の、同じ時間に行けばいいか? 本当にごめんな。ありがとう」 数回の相槌のあと、それだけ言った大石は、電話を切った。携帯をしまい、スケジュール帳を修正して、僕らに向き直る。 「うん、明日は大丈夫だ。心配かけてすまなかったな」 大石はそうして僕らに再確認をしたけれど、僕らの――いや、英二の、と言っていいかな。英二の興味はすでに別のところに飛んでいた(大石の予定がダメだったら、興味はそのまま固定されていたのかもしれないけど)。 「なんか、短くね? 電話」 「そうか?」 「なんか、冷たいっつうか、つまんないっつうか、用件だけじゃん」 英二のもっともな指摘で、僕は頭の片隅にひっかかる何かに気付く事ができた。 ああそうだ。今の電話の簡潔っぷり。父さんが仕事の電話をしている時に似てるんだ。 「手塚とはいつもこんなものだよ。あいつ、無駄な長電話は嫌いだろうから」 「え、大石は手塚と世間話とかしないの!?」 「普段はするけど、携帯ではまったくしないよ。急ぎの話でもない限り、次に会った時でいいって思ってるだろうからなあ」 「マジで? 信じらんねー!」 英二はやたら大げさに驚いているけれど、手塚ならそんなものじゃないかなあ、と僕は何となく納得していた。そのくらいは、大石でなくても判る事だと思うけれど。 まあ英二と手塚はまったく違う生き物だからね。きっと理解できないんだろう。手塚も英二の事、理解できないと思うけど。 「そんな人間、ありえねえよ」 手塚も、英二の事ありえないって思ってるかもしれないなあ。 「大石がそう思いこんでるだけだって。あいつだってきっと、楽しい話とか、したいって!」 その思い込みの凄さは、僕にとってもありえないなあ。 「よっし、じゃ、試しにかけてみよ!」 その行動力は、尊敬するべきなのかもしれないと思うけどね(しないけど)。 「いや、やめといた方が……」 ってやんわりと止める大石の声は耳に入っていないんだろう。英二は一応メモリーに入っているらしい手塚の携帯に、即座に電話をかけた。 「あ、手塚!?」 どうやら手塚は出てくれたらしい。英二と判ってて出たのかは判らないけどね。 「え? 用事? 特にねーけどさ、なんとなく。あのさ、今……」 手塚が口を挟む間もない怒涛のトークがはじまる予感がしていたのだけど、その予感はあっさりとはずれて、英二は途中で言葉を切る。呆然としてその場に立ち止まった英二に、「どうした?」と大石が声をかけると、英二はゆっくりと大石に振り返った。 「……電話、切られた」 そりゃそうだ。 僕や大石からしてみれば予想通りの展開に、ショックを受けてしまう英二を、慰める術は僕にはなかった。 慰める努力をする大石は、偉いなあと思うけどね。 |