最初に窓の外を見たのが誰だったのか判らない。
 たぶん、ひとりふたりと順々に、窓の外に視線をやったんじゃないかな。
「ああ、雨か」
 桜井くんがそう呟いたのは、誰かに伝えるためじゃなくて、ただのひとり言だったと思うんだけど、たまたま私の耳に入ったから、私はとっさに窓の外を見た。
 ぽつり、ぽつり。あまり勢いはないけれど、大きな雨粒が続々と空から落ちてきてる。クラスメイトたちは浮かない顔でバッグを持ったり、置き傘を得意げにとりだしたり、それぞれの表情で教室を出ていった。
 私は傘を持っていなかったから、浮かない顔をしている方に入るのかな。
「杏」
 どうしようかと悩んでいると突然名前を呼ばれて、私は振り返る。
 ゆっくりとしたスピードで投げられた折りたたみ傘が、手をのばすと届く位置まで近付いていて、狂いのないコントロールで私の胸元に飛んでくるそれをしっかりと両手で受けとってから、私はこの傘の持ち主を見上げる。
「お兄ちゃん」
 なんでここに居るの、って聞こうとしたけど、これを届けに来てくれた以外にないんだろうな、って思って、言葉を飲み込んだ。
 でも、これ、お兄ちゃんの傘よね。
 お兄ちゃん、今朝長い傘持って出てなかった。傘持って出ようとしても、家族の誰かが止めてたと思うな。天気予報でばっちり、雨の確率ゼロパーセントだったもん。だからクラスのみんなも傘を持ってないコがほとんどなんだし。
 これを私が借りちゃったら、お兄ちゃんどうするのかしら。
「お兄ちゃん、もう帰れるの?」
「いや。今日も部活だ。なあ?」
 お兄ちゃんは桜井くんに同意を求めて、桜井くんは無言で頷いた。
「どうします? このくらいなら、コートでもいい気がしますけど」
「とりあえず室内でアップして様子を見よう。どっちにしても体冷やさないように、暗くなる前には家につくよう切り上げるぞ」
「はい。じゃ、みんなに伝えてきますね」
「悪ぃな。頼んだ」
 教室を出る桜井くんを頼もしげに見送ってから、お兄ちゃんは私に向き直る。
「傘私が使っちゃったらお兄ちゃんが濡れちゃうじゃない」
「どうせ部活で濡れるから別にいいだろ」
 そう言われちゃうと、返す言葉がなくなっちゃうんだけどね。
「それにこう暑い日が続いてるんだ。濡れて帰った方が気持ちいい」
 そう言われちゃうと、逆に羨ましくなってきちゃうんだけどね。
 お兄ちゃんの言う通り、ここの所暑い日が続いてるし。雨で少しは気温下がるかもしれないけど、湿度もあがっちゃいそうだし。
 軽く水浴びしながら帰るのって、気持ち良さそう。家までそんなに遠くないしね。
「いいなあ。私もそうしよっかな」
 私がぽそりとそう呟くと、お兄ちゃんは眉間に皺を寄せた。
「……透けるぞ?」
 ちょっと! 何よそれ!
「他に心配するところないわけ?」
「……あったか?」
「あるでしょ!」
 まったく失礼よね! 私だって風邪のひとつやふたつひくか弱さがありますー! お兄ちゃんみたいな体力バカと一緒にしないでよね。
 ほんっと、デリカシーに欠けるって言うか。
 まあ、ある意味では、私よりも注意深いんだけど。
「ああ、そうだな」
 考えこんでいたみたいで沈黙を続けていたお兄ちゃんは、何かを思い付いたのか、口を開く。
「のぞきの場合は覗いた方が犯罪だが、露出狂の場合は見せた方が犯罪だからな」
「って、何の話よ!!」
 私が振り上げた拳を軽く受け止めて、お兄ちゃんは小さく笑った。
 もー、マジボケなんだかからかわれてるんだか! どっちにしてもなんか悔しい!
「とにかく、気を付けて帰れよ」
 お兄ちゃんは私の頭に軽く手を置いて、それから軽く手を振って、うちのクラスを去ってった。
 ちょっと腹立つわ。ほんとに濡れて帰ってやろうかしら。
 なんて思いながら自分の席に戻って、荷物を手にしてみたら、窓を叩く音がさっきよりも強くなってるのに気付いてしまった。
「……」
 ま、せっかくだから、使ってあげるわよ。もったいないもんね。


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テニスの王子様
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