表か裏か

「あ、そうだ。忘れてた」
 一番最後に着替えを終えた大石は、突然そう言うと、自分の荷物をあさりはじめる。あさると言っても整理整頓をしっかりしている大石だから、目的のものをすぐに取り出した。
 大石は最後まで居残り練習をする事になったレギュラー陣と、トレーナーになってくれている乾を、順繰りに見回して。
「お土産にもらったものなんだけど、沢山もらいすぎたみたいでね。余ってたから、ひと箱持ってきてみたんだ。練習が遅くなるから、お腹空くだろうと思ったし」
 言って、大石は手の中の箱をみんなに見せる。なんとなく老舗っぽい包装紙に包まれていて、包装紙のイメージからすると、和菓子っぽい。
「中、なんですか?」
「昨日食べたのと同じなら、饅頭だな。おいしかったよ」
 へえ、お饅頭かあ。
 部活が終わった後でお腹が空いてるのはみんな同じだし、家に帰る、あるいは寄り道するまでの時間を持たせるために、それはすごくありがたい。
「おお! さっすが大石先輩! 気がききますね〜!」
 特に桃なんかはおおはしゃぎで、大石から奪い取るんじゃないかって勢いで箱を奪い取って、びりびりと包装紙を破きだした。
「……もっと綺麗に開けられねえのか」
 何気に几帳面な海堂が、桃を睨みつけながら言った。
 俺も実は、ちょっと海堂と同じ事考えたんだけどね。
「開きゃいいんだろ、開きゃあ」
「もらいもんは丁寧に扱わねえと失礼だろうが!」
 いつも通りのケンカが勃発しそうになって、英二は身軽な動作で桃に近寄ると、箱を奪い取る。ふたりのケンカに巻きこまれたらお饅頭が無事じゃすまないと思ったんだろうけど……お饅頭だけ守っても。
「ほら、ふたりともケンカはやめろ」
 あともう少し待ったら手塚が「グラウンド○周!」って言い出しそうな雰囲気だったけど、その前に大石が割って入った。
「大石先輩、ほっといてください! これは俺たちの問題……」
「饅頭、やらないぞ」
 大石はそれほど声を張り上げたわけじゃなかったけど、ふたりには――と言うより桃には――その静かな声がしっかり耳に届いたようで、胸倉を掴んだ手から力が抜けた。
 さすが大石。お腹を空かせた桃は、食べ物で釣るのが一番だよね。
「わーい、俺、皮薄くてあんこたっぷりの方が好きなんだよねー!」
「うん、美味しい。上品な甘さだ」
「ふむ。うまいな。うちの近所で売られているものより十八パーセントほど糖分が少ないようだ」
「うわっ、先輩たちもう食ってる! ズルイですよ!」
 桃の言う通り、英二や不二や乾は、さりげなく食べはじめていた。駆け寄った桃は慌てて自分の分を確保している。
「じゃ、俺もいただきます」
 お腹空いてたし、美味いお饅頭なら尚更食べたい。俺は自分の分を取って、それから輪に入り辛そうにしている海堂と越前に一個ずつ渡した。
 それから、残った三つのお饅頭が入った箱を、大石と、その隣に立つ手塚に向けて差し出す。
「ありがとう」
 大石は笑顔で箱を受け取って、一個お饅頭を手に取って、箱を手塚に差し出した。手塚はお礼の代わりに頷いて、お饅頭をひとつ取った。
 あ。ほんとだ。このお饅頭、美味しいなあ。お菓子をそんなに食べるわけじゃないから、上手い事言えないけど、とにかく美味しい。スーパーとかで売ってるのと、皮もあんこも違うんだよね。
「ひとつ余ったな……」
 みんなが自分の手の中のお饅頭を食べ尽くしたころ、大石はぽつりと呟いた。
「竜崎先生も他の部員ももう帰ったし……」
「あ、俺、もうひとつ食ってもいいッスよ!」
 大石が何を言ったわけでもないのに、桃は勢い良く手を上げて、立候補してる。
「ずるいぞー、桃! 俺だって食いたい!」
 負けじと、英二が訴える。
 確かにおいしかったし、もう一個ずつあるよって言われたら喜んでもらうけど……残った一個をみんなで争奪戦となると、遠慮するかなあ。
 そんな事を考えながら俺はふたりを見下ろしてた。多分、不二とか乾もそのタイプ。手塚は元々がっつくタイプじゃないし、大石もそうだし(食べたかったとしても譲っちゃうタイプだし)、海堂はプライドが高いから争奪戦に参加しないみたい。
 越前はクールな顔してファンタ飲んでる。お饅頭とファンタって、合うのかな?
「他のみんなは、いいのか?」
 大石はみんなの顔を見回して確認してから、
「じゃ、ふたりで仲良く半分ずつしろ」
 微笑んで、より大石に近い方に立っていた桃に最後の一個を渡した。
 桃は自分の手の中のお饅頭を見下ろす。英二も、桃の手の中のお饅頭を見下ろす。
 ふたりとも、目で語ってた。
 半分じゃものたりない。
「勝負だ! 桃!」
「望むところッスよ!」
 ふたりのノリだからこそ成立した、饅頭争奪戦だった。
 このふたりならお饅頭のためにひと試合はじめても驚かなかったけど、さすがにそれはしなかった(ひと試合したら、お饅頭いっこぶん以上お腹空きそうだもんね)。けど、じゃんけんとかじゃ芸がないと思ったのか、英二はサイフから百円玉を取り出して、桃に向き直る。
 英二は百円玉を跳ねさせて、左手の甲に乗せると素早く右手で隠した。
「表か裏か!」
「……裏!」
「うし!」
 緊張感を持たせるためか、少しためてから、英二はゆっくりと右手をどける。
 そうして現れたのは――「100」の数字。
「っしゃーー! 勝ったー!」
「くっそーー!」
 確かに美味しかったけど、お饅頭一個でここまではしゃげる英二と、落ちこめる桃って、すごいなあと思う。
 って、え、あれ?
 はしゃぐ英二と、落ちこむ桃?
「それ、裏だよ」
 冷静な不二の声が、一度に二人を黙らせた。
 あ、やっぱりそうなんだ。俺も昔は硬貨の表と裏、逆に覚えてたけど、絵の方が表だって教わって。俺が間違っているのかと思ったけど、ふたりが勘違いしてたんだなあ。
「へ? これ、表だろ?」
 不二ひとりに言われても納得できない英二は、救いを求めて他のメンバーに振り返ったけど。
「裏だ」
「裏の確率、百パーセント」
「英二にはかわいそうだけど、それは裏だぞ」
 俺が口を出すまでもなく、手塚や乾や大石に言い切られたら、諦めるしかなかった。
「俺の勝ちッスか! んじゃ、いただきま〜す!」
 大口を開けてお饅頭をまるごと口に放り込む桃を、何度か噛んで飲みこむまで、恨めしそうな目でじっと見守っていた英二は、
「なんだよ! 不二のバカヤロー!」
 そう叫んで、部室を飛び出して行った。
「……なんで僕なのかなあ?」
 不二はいつも通りの微笑みを浮かべていたけれど、なんとなく、冷ややかな微笑だった。

 それが二週間前のできごと。

「なんだよ! ひどいよ、不二!」
「あはは。ごめんごめん」
 泣きそうな目で不二を怒鳴りつける英二と、笑顔で交わす不二の姿を見て、俺は自然と饅頭事件(って言うほどたいそうじゃないけど)を思い出していた。不二のお母さんが作ったって言うクッキーを、美味しくいただいた直後の事だった。
 クッキーをもらったのは俺だけじゃない。竜崎先生や、部員のみんなも。
「数え間違えて、ひとつ足りなかったみたい」
 たったひとり、英二を除いて。
「十二日前のし返しの確率、九十三パーセント」
 うん。
 そのくらいのデータなら、俺でも出せるかな。


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テニスの王子様
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