ぬっ、とベッドの上に手がくるように腕を伸ばした丸井は、握り締めた手を開いた。 「ほい、これ、土産!」 言うと同時に、俺の上(の布団の上)に、適当なビニール袋に詰めこまれたものが柔らかく落ちる。四隅が尖っていて、どうやらそれなりに大きい箱状のものみたいだ。大きさの割りにほとんど重さがないから、俺が痛みを感じる事はなかったけれど。 「土産じゃなくて、見舞いだろうが」 「いいだろ、どっちでも」 よりによってジャッカルに日本語を正されたのが気に入らないのか、丸井はふてくされながらベッドの淵に腰を下ろす。それ以上何を言う気にもならなかったのか、ジャッカルはパイプ椅子を引きずってきてそこに座った。 「なんだい、これ」 「幸村、病室にひとりの時はいっつも本読んでんだろ。たまには違う事すんのもいいかなって思ってさ」 説明はあったけれど、俺の質問への答えにはなっていなかった。 自分の目で確かめろって事、かな? ビニール袋から箱を取り出すと、まずはパッケージ部分の大きな写真が目をひく。どこかの鉄橋を見た事もない列車が走っている写真。 そしてフタをあけてみると、パッケージにあった列車の写真が粉々になっておさめられている。 「パズル、か?」 「おう。弟がこないだ完成させちまってさ。飽きたっつうから、んじゃ幸村にどうかなって」 俺にパズルの趣味があるわけじゃない。それはもちろん丸井も知っているだろう。 けれど丸井の言う通り、読書に少し飽きたところがあったから、これは気分転換に楽しそうだな、と思った。子供向けの割にピースも小さいし思ったより数も多いからね。それに弟くんのお古なら、あまり気兼ねしなくていい。 「ありがとう。さっそくやってもいいかな」 俺が読みかけの本や水を置いていた台の上を片付けはじめると、丸井は俺を止めた。 「これ、メシ食う時にも使うだろ?」 「? うん」 「じゃ、直接この上でやんのはやめた方がいいって。ジャッカルに画板持ってこさせたから、それ使えよ」 「って、これそんな意味があったのかよ。自分で持ってこいよ!」 ああ、なるほど。さっきからちょっと気になっていたんだ。ジャッカルが持ってる画板が何なのか。 美術の宿題でもあるのかと勝手に納得していたんだけど、俺のためだったのか……。 でも。 「このくらいのパズルなら、夕飯の前に完成すると思うけど?」 「いーや、ぜってー、しねえって!」 丸井は胸を張って、キッパリと言い切る。 俺、馬鹿にされてるのかな……? それとも、そんなに難しいパズルなのか? いや、丸井の弟くんにだって解けるんだから、対象年齢はきっと小学生以下。それならそう難しいわけもない。 「あ、悪ぃ、俺たちそろそろ帰んねーと。んじゃ、がんばれな!」 ひょいっと身軽に立ち上がる丸井と、ゆっくり立ち上がってパイプ椅子を元に戻すジャッカルは、俺に手を振って病室を去ろうとした。来たばっかりなのに慌しいなあと思ったけれど、彼らも色々忙しいんだろう。引き止めるわけにも行かない。 「っと、忘れもん忘れもん」 後から病室を出ようとしたジャッカルを押しのけて、丸井は再び病室の中に飛び込んでくる。ポケットをまさぐって、少しぐちゃぐちゃになった封筒を取り出すと、俺に突き出してきた。 「これ、幸村のぶんな」 「俺の何さ」 「何か判ったら開けていいぜ!」 俺の質問に答えず、丸井は病室を飛び出していく。俺は疑問の目をジャッカルに向けてみたけれど、ジャッカルは曖昧に微笑んで丸井の後を追った。 何か判ったら開けろ、だって? 逆じゃないのか? 開けたら何か判るんじゃないのか? すぐに開けてみようかと思ったけれど、それだと何となく負けた気がして悔しいから、俺は封筒をベッドの脇に置いた。 それよりも、何としても夕食前にパズルを完成させたかったんだ。言われっぱなしじゃ悔しいからね。 困ったなあ……。 俺は完成間近の画板の上のパズルを見下ろしながら、ひとりで唸っていた。 夕食まであと一時間。完成間近だけれど、いっこうに完成しそうにない。いくつかピースが足りないんだ。 さっき一回ひっくり返してしまったからなあ。その時に無くしてしまったんだろうか。このパズル、いただきものなのか借り物なのかイマイチ判り辛いお見舞いだけど、どっちにしてもその日に無くすのは気まずい。 全部拾ったつもりだったけど、まだベッドの下や布団の中に隠れてるかもしれない。俺はパズルを崩さないように画板を置いてベッドから出て、回りを探してみた。ベッドの下にひとつだけ落ちているのを見つけたけれど、それだけだった。 「何をしている?」 声をかけられて、振り返る。いつの間にか入口に立っていたのは柳だった。 事情を知らない人が見れば、ベッドの脇にうずくまっている病人と言うのは、奇妙に見えるのかもしれない。あるいは、具合を悪くしたかと心配するのかもしれない。 「あ、いや、何でもないんだ」 笑ってごまかそうとする俺をじっと見下ろしたあと、柳は俺から少しだけ視線をずらした。気になってそれを追ってみると――パズルを見ている。 「パズル……?」 ふふ。これを見られちゃったら、笑ったところでごまかしきれないかな。 「さっき丸井が暇つぶしにって持ってきてくれてね。だけどいくつかピースを無くしてしまったみたいで、完成しそうにないんだ」 俺はベッドに戻り、拾い上げたピースをぱちんと埋めてみたけれど、それでもまだいくつか穴が開いたままだ。 丸井の言った通りになってしまったな。これは夕食までに完成しそうにない。 けれど――なんとなく丸井に負けた気分になった事よりも、ひとつの完成したものであるはずの写真が完成を見ない事の方が、俺には嫌だった。とても悲しい事のように思えるから。 俺がいくつかの欠片をなくしてしまったから、この列車は走れないんじゃないだろうか……なんて考えは、大げさだと判っている。これはあくまで写真で、日本のどこかでこの列車は走っているんだろう。 けれど。 「なるほど。そう言う事か」 パズルに自分を重ねながら、深く沈んでいきそうな俺の思考を遮ったのは、薄く微笑みを浮かべた柳の言葉だった。 「よーっす、幸村ー! 元気かー!」 元気じゃないから入院してるんだろう? と言い返すべきか迷っていると、ジャッカルが丸井に無言でツッコミを入れた。無言だったのは俺に気を使ったのかもしれない。 俺は少しだけ笑い声を漏らして、ふたりの顔を見比べる。 「どうした?」 「いや、あとはふたりの分だけなんだよ」 完成間近のパズルが乗った画板を膝の上に、俺はふたりに手を差し出す。 足りないピースは、あと三つ。 「なんだよ、みんなもう来たのか?」 「昨日の夕方から、面会時間ギリギリにかけてね。柳はひとりで。次が真田と赤也で、柳生と仁王のふたりが最後に来たかな」 「すっげえ、奇遇〜!」 「昨日、『幸村の見舞いに行く時はコレ持ってけよ』って言いながらみんなに渡したんだろう? そんな事言われてしまったら、誰でもすぐに行かないとって気になるよ」 「そりゃそうだ」 ジャッカルが笑いながら、ポケットから写真の欠片を取り出して、俺のてのひらに乗せる。 「んじゃ、コレが俺のぶん、っと」 続いて丸井が、やはりポケットから取り出したピースを、俺のてのひらに乗せた。 ぱちん、ぱちん、と、そのふたつのピースをパズルにおさめて。それから俺は、昨日から棚の上に置きっぱなしの封筒を手繰り寄せた。 開けるのは今がはじめてだけど、確信があった。中に入っているのは、最後のピース。 「確かに丸井の言う通り、昨日の夕飯前に完成するわけがなかったね。最低でも二ピースは足りないんだから」 「だろぃ?」 丸井とジャッカルの笑い声を聞きながら、俺は最後のピースを埋めて、列車の写真を完成させる。それをしみじみと眺めていると、自然と微笑みがこぼれてきた。 これは、このパズルは、読書に飽きた俺への新しい暇つぶし……だけじゃなかった。 誰ひとり欠けても完成しないようになっていたパズルに、丸井たちが込めてくれた気持ち。それが何よりも温かなお見舞いだったんだ。 「……ありがとう」 俺が本心からのお礼を口にすると、丸井は照れくさそうに頭をかいた。 |