風邪をひいた夜

 今日、突然休んだ自分の事を、みんなはどう言っていたんだろう。
「鬼の霍乱」とかならまあいいけど、「バカは風邪ひかないはずなのにな」とかだったら、腹立つな。
 そんな事をふと考えたのは、あたたかい毛布に包まれながらまどろんでいた時の事だった。ごはんとかトイレとか最低限の活動だけはしたけれど、あとはずっと寝っぱなしだったはずなのに、まだ眠れるんだなあ俺、とか、余計な事も考えてみたりしてね。
 いや、もしかしたら。
 テニスや海で精一杯で、俺の事なんか忘れてるかもしれないけど。
 ……なんて方面に思考が働くあたり、俺は今間違いなく病人だ。体が弱っているから、心の方までついでに弱ってるんだ。うん、そうだ。
 俺は頭を毛布から出して、いつでも水分補給ができるように枕元に置かれたミネラルウォーターに手を伸ばす。喉を通ったミネラルウォーターをあまり冷たく感じなかったのは、ミネラルウォーターが温くなっているからなのか、それとも俺の体温が下がっているからなのか。
 後者だといいなあと思う。そうだったら、明日には学校に行ける。
 ……いや、だから、そうじゃなくて。ああもう、なんだかな。
 苛立ちをぶつけるように枕に突っ伏して、ずれた毛布を肩まで引き上げる。温もりは心地よくて、でも静か過ぎる部屋はどこか居心地が悪かった。
 いつもの自分の部屋なのに。しかも、寝る時に静かにするのは当然の事なのにな。
 だから!
 何かを考えるたびにイライラするなら、何も考えなければいい。そうだ、もう、とっとと寝ちまおう。それがいい。両目をしっかり閉じて、体中から力を抜けば、簡単に眠れるんだから――。
 コン。
「ん……?」
 窓に何かがぶつかる音で、閉じようとした意識が覚醒してしまった。
 何かが風で飛んできて、偶然ぶつかってしまったんだろう。そう思えば意地でも正体を確かめてやろうと思うほどには腹も立たなかったし、放っておいた。
 すると、コン、コン、と二連発。
 偶然じゃない。わざとだ。誰かが故意に俺の部屋の窓に何かをぶつけている。俺の部屋だと判っているのか、判っていたとして俺が病人だって事を判っているのか、まだ判断はできない。
 俺は毛布を跳ね除けて立ち上がり、窓に近付いて、乱暴に窓を開ける。
「よ! 具合、どうだ?」
「サエさん、だいじょぶ〜?」
 悪びれもせず、これでもかってくらいの笑顔で、バネと剣太郎がそこに居た。それから、少し後ろにダビデが。
「おっじゃまっしま〜す!」
「邪魔するぜ!」
「……お邪魔」
 呆気に取られている俺を押しのけて、三人は窓から俺の部屋に突入してくる。変な所だけ律儀なダビデが、窓の外に靴を揃えているのが妙におかしかった。
「ほら、病人はとっとと寝ろよ。体冷やして悪化したらどうすんだ」
「お前たちが窓から来るからだろ。くるなら玄関から来いよ。って言うか、何しに来たんだ?」
「何しにって、お見舞いに決まってるじゃん! 何言ってんのサエさん、ヘンなの〜!」
 いや、ヘンなのは窓から見舞に来るお前たちの方だよ。
「これ、俺から」
 俺が冷たい視線を三人にそそぎつつ、ベッドの端に腰かけると、ダビデは羽織ってるジャケットのポケットから箱を取り出して、それを俺に差し出してきた。
 食べ物じゃない。薬って言うか……。
「風邪にはカーゼがよく聞……」
「くわけねえだろこのダビデが!」
 バネが力一杯ダビデを蹴り倒し、その振動が俺にも伝わってきて、俺の手の上にちょこんと乗っていたガーゼの箱が、ころん、と転がり落ちた。
 まあ、いいか。どうせガーゼなんて使わないし。転がしておこう。
「バネさーん、ベッドの下、特に何もないよ?」
「バッカだな剣太郎。サエが見つかって困るようなもん、俺たちが見つけられるような単純なトコに隠すわけねえだろうが」
 ああ、よく判ってるじゃん、バネ。その通りだよ。
「そっかー。すごいや、サエさん! それがモテモテの秘訣なんだね!」
 でも、もてる秘訣かどうかは知らないよ、剣太郎。
 俺はふう、と大きくため息を吐いて、毛布の中にもぐりこむ。
 まったく、何なんだ? こいつらが来てまだ一分かそこらなのに、もうこんなに騒がしい。病人の見舞いって、もう少し静かにするものじゃないのか?
「見舞いに来てくれるのは嬉しいけど、なんでこんな時間なんだ?」
「それがさー、今日、サエさん居なかったけど予定通り潮干狩りしたらさあ、なんかたっくさん獲れちゃってさー、それ全部食べてたら、遅くなっちゃって」
 そりゃ、立派な理由だな。
「楽しそうで、良かったな」
 別に意味を含ませて言ったわけじゃない。今日は前々から(って言っても三日前だけどな)予定していた潮干狩りの日で、みんな楽しみにしていたから、本当に楽しそうで良かったなって思ったんだ。それに参加できなくて残念だってのは、また別の話だからさ。
「うん、楽しかったけどさ、サエさん居なくて寂しかったよ!」
 そして、こんな風にストレートに言われて、ストレートに受けとめられるかって言うと、それもまた別の話だ。
 俺が戸惑ってるのに気付かないらしい剣太郎は、平気で続けるんだけどな。
「みんなでお見舞い行こうって言ってたんだけどさ、明後日練習試合あるし、みんな風邪ひいちゃ困るでしょ? だから、移りそうにない人だけで行こうって」
 ああ、だから。
「三バカ登場、か……」
「おい三バカってなんだ三バカって!」
 べし、っと毛布ごしにバネのツッコミが入ったけれど、それがあからさまに病人相手に遠慮してます、って感じだったから、俺は笑ってしまう。
 笑ってしまったからだろう。三人とも、何かぎゃあぎゃあ喚きはじめて、けど、俺はそれを聞き取る事はできなかった。
 悔しい事に、とても穏やかな気持ちで、ぐっすり眠りについてしまったからね。


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テニスの王子様
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